エネルギー保存の法則の項で、人類が増えれば、地球上の他の生物(生命)が減ることになるという趣旨の話をしましたが、医学生だった頃、生態学をかじりながら思ったのは「医師が人間の命を救い続けることは、人類全体として見れば、長ーい目で考えたとき、人類滅亡の手助けをすることにはならないだろうかといことです。地球の持っているポテンシャルは人間の想像力をはるかに超えたものだと思います。おそらく、小生の考えは杞憂だとも思うのですが。
最近、家庭菜園を始めました。加減が分からず、あまりに多くの種を蒔いたために、いずれの作物も貧弱な出来になりました。「間引き」はしたのですが、そもそも植えたものが多すぎたようです。さて、「間引き」という言葉、本来はこのように農業などの用語ですが、かつて、人間にも使われていたことはご存じでしょう。昔、小生の知っているお年寄りが、五つ子誕生のニュースを見て発した言葉に驚愕したものでした。それは「可哀そうに、一人ぐらい潰せばいいのに」というものでした。その人の若い頃、子沢山のために生活が苦しかったものと想像します。真実は分かりませんが、その方には7人の子供がいました。もしかしたら、もっといたのかもしれないと考えてしまいました。
これも少し古い話で恐縮ですが、体外受精や他人の精子や卵を使って子どもを作ることの是非が大きな問題となり始めた頃のこと。あるテレビ番組で不妊症をめぐるインタビューに答えた若い医師のセリフです。「使える技術があるのに、それを使わないのは罪だと思います」というのです。飽くまで、子供が欲しいのに、授からない人達を救済したい一心から出た言葉と思いますが、際限なく進歩する科学技術を、使えるからと言って、なんでも利用するのがいいとは、小生には思えません。
目の前の命を救いたいという思いが医療の原点であろうと考えます。しかし、その結果についての責任を誰がどうとるのかが問題だと思います。
不妊症治療に反対しているわけではないことを言って、今回の話を一旦終わります。
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