『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

AIに頼って経験値が積めるか?

2020年01月09日 | 『AI 分岐点に立つ人類』
AIが正しそうな答えを出してくれると、
その答えから自由になるのは、とっても大変。
だって、何かに頼るのって楽だもの。
責任取らなくていいし。考えなくていいし。

どんなに自分に自信がないかっていうと、
日々、自分で判断しないクセがついてることでわかる。
でも、判断するには経験値を積まないといけないのに、
誰かに頼っていると、経験値が上がらない。

例えばITの会社に10年以上いても
新しいパソコンのセットアップができない私のように
誰かが指示してくれる通りに動いているジャンルでは、
10年経ってもそれは自分の経験にはならない。

自分で歩いたらだんだん町がわかってくるのに、
ナビの言う通りに行っても、全体のマッピングができず
何度行ってもピンポイントでしかわからない。
そんな経験は、誰でもしたことありますよね?

「この時間はお弁当が売れるんだよね」と言う事は
熟練の店主ならわかるとしても
データで自動的に発注できるシステムになっていると
その店で10年働いても、いつ何が売れるのか、
自分の経験として積み重なっていかない。

逆に、グルメサイトの星の数で評価が低くても
自分がいつも行ってるお店なら気にならない。
「ここはそういう評価する人もいるけど、
慣れたら居心地いいんだよね」と思うだけで済む。

車を運転していても
「ナビの言う道より、こっちの方が早い」って却下して、
「ルートを再検索します」ってナビの方が考え直すこともあるけど、
そんな時、ちょっと「機械に勝った♪」って思ったりする。

まぁ、そんな風に、機械より上に立てるのは、
自分で何度も通った経験があって、
自分で知っている道だからだ。

人が経験を積まないで機械の指示によって動くようになると、
機械の答えが、ただの選択肢であると言うだけじゃなくて、
全面的に頼ってしまう。
足し算の原理を知らないまま電卓使い出すと、
答えは永遠に電卓に頼るしかないもの。

結果、思い通りにならないと
システムを作った人のせいにしたりして。
エンジニアも大変だ…。

人が経験を積まないで仕事をしていく世の中になれば、
全ての判断を機械に委ねる日が近づいてくる。

すでに「こーゆーシステムだからこの経費は落ちません」
と言うようなことが普通に行われるけど、
システムに載せると人間的な判断は、
システムの後に退かざるを得ない。

茨木のり子の詩に
「自分の感受性くらい自分で守れ」という詩があったけど、
自分の感受性どころか自分の判断、ひいては行動も
機械に委ねてしまう。
どんどん、そんな時代になっていく。

判断を機械に委ね、心を黙らせ、そして働く職場が
やりがいのある職場なわけがないじゃないか。
気晴らしや休みを心待ちにするのも当然だ。

人間と人間の触れ合い
そんなことを求めるのが、いくら時代遅れだとしても
そういやって、泣いたり笑ったりして、
喜びを持って手ごたえを持って生きがいを持って働くことが
人として必要なことは間違いない。

「技術は使う人次第で良くも悪くも使える」と言うけれど
人がまだエゴに振り回されているのに、
技術だけは発展していく。

もしかして、今の時代、AIが出てきたことは、
人間が自分たちに科したスパルタな教育かもしれない。
動物的に生き抜くための弱肉強食のエゴを脱して
愛と自由に向かう「人間」になりゆけ、という時代のメッセージ。
人間の進化を課題として突き付けられているのだろう。

そして、それにどう立ち向かうかが
それぞれがそれぞれの立場でどう立ち向かうかが
一人ひとりの進化が
直接人間の進化に影響を及ぼしていくのだと思う。

手足を使うことの意味も
どんどんないがしろにされていく
そりゃ、機械でやったほうが早く正確だし。
料理だって、お店でプロが作った方がおいしいだろうし。

それと同じように、
思考も判断も機械にさせた方が
早くて正確だと言う理由で考えなくなる危険がある。

そのルールのまま進むと、
遅くてあいまいな人間を殺していい
という判断にならないと、誰が言えるだろう。

そういうエゴではないのだ。
早くて正確なのはいい事だけど、
遅くてあいまいなことが悪いわけではない。
飛行機で行く方がふさわしいこともあれば、
歩いていく方がふさわしいこともあるのだ。

早く目的地に着いて休みたいのか、
景色や人との出会いをじっくり味わいながら、
自分を成長させつつ生きたいのか。
結局は、生きる目的をどこに置くのかにつながる。

私たちの作りたい社会は
勝ち組が勝ち組で居続けるための、
弱肉強食のエゴが充満する社会ではない。
勝ち組だって、疲れてるんじゃないのか??

私たちが作りたいのは、
誰もが自分らしく大切に生きられる、
心を閉ざさなくても働ける、
愛と自由に溢れた、生き生きとした社会だ。

どんな社会を作りたいか。

それぞれの立ち位置で答えは違うけど、
ホントに考えた答なら、その全部が正解なんだから、
それぞれが自信を持って、
1ミリずつでも、それに向かっていくことで、
全体として、人類が成長していくんだと思う。


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