おいしいものもいらない。
居心地のいい景色もいらない。
とにかく、ゆっくり話ができたらいい。
今日会ってた人が、
私のそういう感じを受け入れてくれる人で、
駅の近くのカフェで3時間ほどお茶して、
そのままエレベーターで上がって3時間ほどランチして、
半径50mで6時間も話しっぱなしで、
名残を惜しみつつ帰ってきました。
食べ物や飲み物を口に入れる時だけ、
ちょっとマスクをズラして口にいれ、
次に入れるまではまたず~っとマスクして話をしている
という、推奨スタイル。
思ったほど大変じゃない。ふつーに出来る。
2人ともおしゃべりじゃないから、
5分ほどず~っと無言で考えこんでたりして、
だけど居心地は悪くなくて、
むしろ、ゆっくり考えさせてくれてありがとう、な感じ。
楽しい、というのも違う。
大笑いもするけど、涙こぼれることもある。
かと言って感情のデトックスというのでもない。
とにかく聞いて?というのでもない。
わかる!というのでもない。
何を話しているわけでもないけど、
最近あった出来事の中で、
自分の中でなんとなく「ん?」とひっかかった事について話す。
伝える時には、なるべく誠心誠意、偏らないようにする。
自分を正しいと言わず、かと言って間違っているとも言わず、
トラブルになった相手を、悪くも言わず、
「あれって、どういうことやったんかな?」を
一緒に考えて理解するために、話す。
「自分はあの時こう思ってこうした」と言うのと同じ温度で、
「相手はきっとそう思ってそうしたんかもね」と、
出来る限り、相手の心情や事情に寄り添って、描写してみる。
これって、まさに、こないだ書いた
自分を育てる6つの練習の中の、
第4回「肯定的に捉える」と、
第5回「先入観を捨てる」そのものじゃん!
その人は、私がシュタイナーを勉強してることも知らないどころか、
シュタイナーという名前すらたぶん知らない。
なのに、彼の言う方法を知っているという、この順番!
モノゴトをちゃんと見るためには、そういうやり方がいい
と、誰でも知っている。
だけど、それをあえて言葉にしてくれて、初めて、
「そっか、それってホントにモノゴトを認識するのに必要なんだ」と、
再認識できる、という順番。
何かの言葉を見て「そっか!」と思うことは、
たぶん、すでに自分で知っていることの再確認であり、
自分の中が整理されて、出し入れ可能になるための行為なんだ。
自分が学んでいる内容を、それを学んでいない人と話す時、
共通言語が制限されるし、一般用語とは言葉の意味も変わるけど、
それでも通じ合える言葉で話せたら、
それこそ、身についたと言えるんだろうな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます