先日、友人が手慰みで作った
折り紙の「象」。
これ、結構、私、感動しました。
ビックリ感動度で言えば、
美術館にある絵にだって
負けていません。
プレゼントされるでもなく、
ポロッと置いていってくれたけど、
コスト、ほぼゼロ。
これ、経済成長を望めなくなった今後の社会の
ヒントになるかもしれない!
経済が成長しなくても、競争しなくても、
自分の給料が上がらなくても、
豊かさ、シアワセを感じられるヒント。
豊かに生きるってことが、
豪華な海外旅行ができることだとか、
ゴッホの絵を買えることだとか、
何十万もするバッグを持てることだとか、
そんなことだと思われていたバブル時代。
そこから30年ほど経って、
そんなこと思ってる人は減った。
若い人たちは、私たちよりもわかってる。
大きな車やブランドの服で
豊かさを表さなくなったもの。
感覚では、明らかにわかってる。
ただ、「じゃあ、大事なのは何なの?」
ってことは、大人も子どもも若者も、
はっきり意識できている人は少ないかもしれない。
私も探し中。
相変わらず、いい大学行って、いい会社入って、
競争に勝った人はシアワセになれる、
みたいな価値観のまま、
社会がただ元気をなくして行ってる感じがして、
それがちょっとイヤ。
んで、あの象。
「うわ~、すごい!」と、感動したけど、
感動を差し出す方に、金銭的なコストがあんまりかかってない。
差し出す方も楽しんで作ってるし、差し出す時のキモチは
「要るの? んじゃ、どうぞ」程度で、
「いいものあげた」という上下関係じゃないから、
喜びをもって、素直にいただける。
自分がすでに持っているものを
今いるところで繰り出せばいい。
経済に頼りすぎない楽しみのやりとりは、
他にももっといろいろあるはず。
何だろ。うーーーん。
それが見つかった時、
経済の衰退は「成熟」と呼びかえられる気がする。
人間にたとえたら、
青年期、中年期を過ぎて老年期に入った社会が
今もまだ「もっと筋肉付けなきゃ」、
って必死でジムに通ってる状態が今の社会だとして。
衰退するのを先伸ばしするのは大事だけど、
それにも限度があるよね。
ただ命を延ばせばいいんじゃなくて、
その人らしく生きられる命。
クオリティ オブ ライフ。
時間があって、体力はない、老年期の状態を
ただの「老衰」と呼ばれないよう、
「成熟」と呼ばれるには何が必要?
うーん…。
うーん、うーーーーん。
うん! 「真善美」の領域じゃないかなぁ。
モノやチカラじゃなくて、心や知恵の領域。
モノが増えなくてもシアワセになる術を
尊敬すべき老人の方たちに学んでいけばいいと思うなぁ。
「真善美」や心の豊かさについて話す時、
目に見える数字の前では、
「そんな実態のないもの」と後回しにされがちなんだけど、
働く人が、あまりにもそこを無視して、
損得とか数字とか地位とかに固執させられる状況があるから
メンタル不調の人が増えたりしているわけで。
…逆に「お金?何とかなるんじゃない?」
と軽視しているから、私はいつでも低収入なわけで。
それも程度問題だと思いますが(^^;)。
「貧乏とは少ししかモノを持たないことではなく、
限りなく多くを必要とし、
もっともっと欲しがることである」
by 元世直しゲリラの世界一貧しいウルグアイ(前)大統領
ホセ・ムヒカ氏
折り紙の「象」。
これ、結構、私、感動しました。
ビックリ感動度で言えば、
美術館にある絵にだって
負けていません。
プレゼントされるでもなく、
ポロッと置いていってくれたけど、
コスト、ほぼゼロ。
これ、経済成長を望めなくなった今後の社会の
ヒントになるかもしれない!
経済が成長しなくても、競争しなくても、
自分の給料が上がらなくても、
豊かさ、シアワセを感じられるヒント。
豊かに生きるってことが、
豪華な海外旅行ができることだとか、
ゴッホの絵を買えることだとか、
何十万もするバッグを持てることだとか、
そんなことだと思われていたバブル時代。
そこから30年ほど経って、
そんなこと思ってる人は減った。
若い人たちは、私たちよりもわかってる。
大きな車やブランドの服で
豊かさを表さなくなったもの。
感覚では、明らかにわかってる。
ただ、「じゃあ、大事なのは何なの?」
ってことは、大人も子どもも若者も、
はっきり意識できている人は少ないかもしれない。
私も探し中。
相変わらず、いい大学行って、いい会社入って、
競争に勝った人はシアワセになれる、
みたいな価値観のまま、
社会がただ元気をなくして行ってる感じがして、
それがちょっとイヤ。
んで、あの象。
「うわ~、すごい!」と、感動したけど、
感動を差し出す方に、金銭的なコストがあんまりかかってない。
差し出す方も楽しんで作ってるし、差し出す時のキモチは
「要るの? んじゃ、どうぞ」程度で、
「いいものあげた」という上下関係じゃないから、
喜びをもって、素直にいただける。
自分がすでに持っているものを
今いるところで繰り出せばいい。
経済に頼りすぎない楽しみのやりとりは、
他にももっといろいろあるはず。
何だろ。うーーーん。
それが見つかった時、
経済の衰退は「成熟」と呼びかえられる気がする。
人間にたとえたら、
青年期、中年期を過ぎて老年期に入った社会が
今もまだ「もっと筋肉付けなきゃ」、
って必死でジムに通ってる状態が今の社会だとして。
衰退するのを先伸ばしするのは大事だけど、
それにも限度があるよね。
ただ命を延ばせばいいんじゃなくて、
その人らしく生きられる命。
クオリティ オブ ライフ。
時間があって、体力はない、老年期の状態を
ただの「老衰」と呼ばれないよう、
「成熟」と呼ばれるには何が必要?
うーん…。
うーん、うーーーーん。
うん! 「真善美」の領域じゃないかなぁ。
モノやチカラじゃなくて、心や知恵の領域。
モノが増えなくてもシアワセになる術を
尊敬すべき老人の方たちに学んでいけばいいと思うなぁ。
「真善美」や心の豊かさについて話す時、
目に見える数字の前では、
「そんな実態のないもの」と後回しにされがちなんだけど、
働く人が、あまりにもそこを無視して、
損得とか数字とか地位とかに固執させられる状況があるから
メンタル不調の人が増えたりしているわけで。
…逆に「お金?何とかなるんじゃない?」
と軽視しているから、私はいつでも低収入なわけで。
それも程度問題だと思いますが(^^;)。
「貧乏とは少ししかモノを持たないことではなく、
限りなく多くを必要とし、
もっともっと欲しがることである」
by 元世直しゲリラの世界一貧しいウルグアイ(前)大統領
ホセ・ムヒカ氏
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