会社員以外の人が「自称〇〇の男(女)」って表現される事に、
組織に所属する側からのやっかみというか、
うらやましさの裏返しの蔑視というか…
を感じてちょっとイヤな気持ちになる事がある、
というようなことを、昨日書きました。
そしたら、
視野が広がるようなコメントをいただきました。
曰く、
「他称・・・よりよくないですか。
自称できる人は・・・立派だと思います。」
その方もブログをしておられて、
時に哀しみや苦みの混ざった、静かな言葉が、
いつも、ちょっとだけ綴られています。
このコメントも、
「ああ…そうか、本当だ」と思わずにはいられなかった。
その方が書いてくださった意図に沿ってるかは疑問だけど、
自分なりに思い当たるフシもあって。
「他称・・・よりよくないですか」に関しては、
私は「他称」されるシーンを想像せずに書いてた。
それって、どういうシーンなんだろう?
たとえば、誰かに決めつけられたり、
的外れなレッテルを貼られたりすること?
小さい事なら、身に覚えがあるぞー。
見た目ほど運動が出来ないとか、
根は地味なのに、派手好きだと思われたり、
人前でしゃべるの苦手なのに、カンタンに出来ると思われたり…。
勝手に期待されて、後で失望されるのってキツイ。
あ、でもこれ、
人の期待に自分が応えられないしんどさばっかりだ。
その逆は、関わってももらえないんだよね。
「あいつは〇〇」って他人から称されて、
関わらない方が無難だ、みたいなことって、
いくらでもあるもんな。私も、してるはず。
そして「自称できる人は立派だ」という言葉。
それも、本当にその通りだわ、
私、自信を持って堂々と
職業を言えてないじゃないの、と。
カタカナの肩書を書いた自分の名刺は、
私の一部だけ無理に切り取ったみたいで、
自分の名前なのに妙によそよそしい。
振り返れば、社名を書いた名刺は、
さらによそよそしくて、
もはやコスプレだった。
まぁ、中身で付き合ってくれる人は、
私の肩書なんか、どーでもいいから、
そもそも肩書は役割コスプレでいいのかもしれない。
その役割コスプレに逃げ込んでることが、
なんか、本質と違う、って思ってしまったんだよなー。
役割が決まってるだけラクだった面もある。
そこから離れてみたら、
今の仕事関係の、経験の浅い若い人が
やりたい気持ちを担保にして、
遠慮なくカタカナの肩書を名乗ってるのが、
すごく眩しい。
ガンバレ!って応援したくなる。
若い頃ほど、
無邪気に自称できるまっすぐさを持てないでいる。
やりたい気持ちだけじゃなくて、もっと実績がなくちゃ、
なんて言いながら、寄り道や休憩ばっかりしてる。
職業を自称できる人って、ホント立派だ。
身の丈に合わせた形とサイズの肩書きを
自信を持って「自称〇〇」って
言えるようになるんだろうか。
うわぁ、そんなトコから始めるのか~~。
あ、思い出した。カッコイイ名刺。
昔、年上の女性からそういうのをよくもらったんだけど、
社名もロゴも肩書もデザインもない白い名刺に
縦書きの筆文字で、ど真ん中に名前だけ書いてあるヤツ。
今あなたと挨拶をしているのは、
社名や肩書ではなく、私という一人の人間です。
みたいな空気を感じて、憧れた。
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