予備知識ナシで、誰でも参加できて、
意見や考えや興味の違ういろんな人たちと一緒に
「もっとホントウのこと」に
近づいていくことを楽しむ場所を作りたい。
そんな場所に集まってくださる方と、
「ホントウ」を探す共同作業をしながら、
結果的に、自分の眼鏡をはずし、
見る力、認識する力を育て、
ついでに自己肯定感を育て、
相手も尊重できる社会性も身に付ける。
そんな場所を作るために、
参考になりそうな本を読み出したら、
「そうそう、それよ!」と共感しまくりで、
どの本も線だらけになってしまった!!
オソロシイほど、自分の想いに
ピタリピタリと言葉が与えられていきます。
そして、
「これは私の一大事になる」という予感。
この予感は、
シュタイナーに出会った時の予感と似ている。
「人は全員違い、それぞれ生きている意味がある」
「違いを折り合わせることは平和の体験」
「探せば見つかる。答えは自分の中にある」
「自分の精神は、自分で育てることで育つ」
「自由と幸せは、エゴを越えたところにある」
…というような、私の価値観に響く響く響く!!
「世の中、そんな甘いもんじゃないよ」
という声は、もちろん承知していますし、
若い頃は特に、そんな厳しさに飲まれ、
翻弄されるばっかりだったけど。
でも、ある程度の年齢になったら、
弱肉強食の世界で戦って勝つんじゃなくて、
小さくてもいいから、
「あらゆる人が人として尊重される世界」
という方向に自分を使いたくなってきたんだよねー。
世界は変えられなくても、
世界の一角に、数人規模の理想の世界を作るのは、
すごく充実して楽しそうだもの!
「見る人」「光景」「見る行為」の関係で成立するわけです。
どれ一つが欠けても見ることはできないわけです。
「見る力」が一体どんなものかはわかりませんが、少なくとも「力」があると思うこと自体が色眼鏡ではないかと思います。
とは言え、見る力があるというのも、ないというのも、どっちも色眼鏡では?と、根本から考える姿勢は大事ですね。