『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

異文化に学びたくて言葉を学ぶ

2020年06月10日 | 『AI 分岐点に立つ人類』
久しぶりに授業が始まり、
中2の子どもが枕草子を暗唱している。
枕草子が画期的だったのは、たしか
普段の日本語で書いていたからだったっけ?
随筆(エッセイ)のハシリ。

そう、それまで
昔の貴族はバイリンガル。
話すのは和語、書くのは漢文。

当時、文化の最先端だったのが中国の言葉で、
漢語の読み書きができない人は、
「あいつは漢字も書けないらしい」って
貴族の間でバカにされてたんだって~。

今は中国語もあるけど、
英語の方が主流だな。

前の職場で、ふだん控え目な人が、
英語で電話がかかってきたりすると、
急にイキイキ大きな声で話出して、
いつも「あ、人格変わった」っておもしろかった。

別の先輩は、
外大で「インド・パキスタン語」を専攻したそうです。
「なぜあえて、そこ行く??」と、初めて聞いた時に全員ツッコミます。
とても度量の深い、飄々とした先輩でした。
言葉を学ぶと、その言葉の影響を必ず受けるんだろうね。

言葉の力だよね。
私も手話で話をする時、を
表情や口の動き、身振り手振りも大きくなるせいか、
いつの間にか楽しくなって、笑ってることが多い。

平安時代、「漢会話」ができる人は、
漢会話する時、どんな別人格になってたんでしょうね(^^)?

昔は、中国語ができたら、
今なら英語ができたら大きな顔が出来る。

そんで、スマホで瞬時に翻訳してくれるようになった今は、
もはや英語ができるだけでは、
別にどってことないんだけど。

そしたら次は、全員プログラミングを学べ、だって!
プログラム言語。
英語もそうだったけど、
できる人がやってくれたら、私は便利に使うだけでいい。
人生に1ミリもいらんわ~。やりたい人だけやればいいや~ん。



AIの時代。
シンギュラリティを目前に、
ついに人は人間に学ぶのをやめて、
機械が最先端の文化になってしまったのか?
オンラインクラスに慣れてきたのは、その先ぶれか?

どの言葉で表現しても変わらない、
真ん中の大切なことが詰まっているのが、
時代に磨かれた古今東西の古典。
私は、そっちの方が読みたいな。

私は日本語の白黒つけないのが好きよ。
あいまいだとか、論理的じゃないとかバカにされるけど、
違う意見を全否定するんじゃなくて、
どうとでも解釈できるこの言葉は折り合いをつけるのに最適。

ケンカばっかりしてる、かの国のリーダー2人に、
「日本語でケンカしてみたら、折り合いつけやすいかもよ?」
って、お伝えしてみたいわ。


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