『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

東海道五十三次、8ヶ月…。

2018年06月24日 | 昼行燈より愛をこめて
去年の10月30日、買ったばかりのスマホに
東海道五十三次を歩くアプリを入れた(らしい)。
ほぼ、忘れ去っていたが、
今朝、やっと三条大橋に着いた(らしい)。
約8ヶ月、235日もかかっている。

この東海道521kmの距離を、
江戸時代、2週間ほどで歩いたんだよね。
え、1日37kmも歩いたってか???????
可能??

あ、フルマラソンが42.195kmなことを考えれば。
しかし、毎日…。アスリートでもないのに。
じーさんも、ねーさんも。
うーーーむ。

江戸時代の人と、今の私たちと、
同じ人類とは思えない!!!

田畑の仕事をしなくなって、
足腰は明らかに退化してる。
顔の見えない関係が増えて、
人の道、助け合う心、人としての矜持…
神仏や上司、師を敬う心、
みたいなのも退化してる。

じゃあ、進化したのは、何?
技術?知識?
どっちも人間の中じゃなくて、
外のモノじゃん!!

ええっ、私たち、中身スカスカ???

うーむ、進化したことも、何かあるでしょ?
ないとサビシイ。
あ、そうだ!
昔よりも、人類は自由へ向かってる。
…これも、中身じゃなくて社会だけど。

でもまあ、好きなように旅行できるし、
恋愛や結婚相手も自分で選べる。
仕事もある程度自分で選べるし、
好きなことを勉強し、発信さえできる。

そうだそうだ。
人間の素材としては退化してしまった分、
心のエンジンは、自由を目指しているんだ!
身体を一所懸命使えば、身体が鍛えられるように、
心を一所懸命使えば、心が鍛えられるんだ。
きっと、それがこの時代の人間の進化の方向だ。

日常の自分の快不快や損得、好き嫌いに基づいて、
好きなようにできることを自由とは呼ばない。
それは単なるワガママ。
そういうことじゃない。

例えば、今日は練習をサボリたいな〜という時に、
好き勝手にサボれるのは、
自由というより「感情の奴隷」状態。
自分がやりたい事なら、それに近づくために
サボりたいキモチを乗り越えて練習できるのが、
本当の自由への道。

そのためには、やっぱり、
明治維新で捨てちゃったアレコレが必須。
足腰は強く勤勉で、強い意志を持ち、
粘り強く、人間として気高い方が、
自由になって行けるよなー。

そんな話を夫としていたら、
「進化や退化じゃなくて、変化じゃない?」と。

食生活も農業も変化した。
江戸時代より足腰は弱って、背が伸びて、
腸が短くなって、足が長くまっすぐになった。
確かに!

江戸からほんの100年ちょっとの間に、
種族全体の人体自体が変わってしまうなんて!
食生活、生活習慣、恐るべし!

そう思えば、
今から毎日の暮らしを変えれば、
私がマッチョな身体になることも可能なのかな。
うーーむ。
それを求めてるかどうかは要検討だけど(^^;)、
鍛えたら変わるはずよね、たしかに。

100年って、
種族の身体が変わるほどの変化が起こせるんだね。
この人生に許された一人ひとりの時間って、
ものすごい変化を起こせる可能性を持っているんだね。

人の一生、長いんだか、短いんだか。

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