『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

やりたくもないし、必要でもないことの大切さ

2018年06月28日 | 昼行燈より愛をこめて
自分の行動の無駄をチェックしよう、
とか言って、紙にX軸とY軸を書いて、
4つの象限に分けたりするじゃない?

X軸が「急ぎのこと」−「急ぎではないこと」
Y軸が「必要なこと」−「必要でないこと」
あ?「やりたいこと」−「やりたくないこと」だったっけ?



んで、まずは左上の「急ぎのことで、必要なこと」をするけど、
2番目は? 左下の「急ぎだけど重要じゃないこと」?
それとも、右上の「急ぎじゃないけど重要なこと」? 
って、あれこれ議論したりして。

4番目の「急ぎでもないし、必要でもないこと」は、
ムダなこととして、サックリ捨てられる(^^)。

でも、特に急ぎでもないし、
自分に必要なわけでもないけど、
やったらいいこと、っていっぱいあるじゃない?

自分の責任じゃないけど、ゴミに気づいて拾うとか、
困ってる友達の話を聞くとか、
いただきものをお裾分けするとか、
一人暮らしの老人宅に気を配っておくとか、
会社に遅れるけど迷子を交番に届けるとか…。

そういう、経済活動に役立たないからと切り捨ててきた
右下の「急ぎでもないし必要でもない」ことたちって、
「成熟」社会の潤滑油だと思うんだよね。
そこを大事にしたら、何かが変わるな、と思う。

そう考えると、江戸時代の社会は、
結構「成熟」してたんだね。
江戸時代に生きていた日本人には、
今より人間として成熟してた部分がたくさんあると思う。

完全に島国内のサスティナブル(持続可能)な社会。
わざわざ砂漠にドーム作って
バイオスフィア計画とかしなくても、
すでに何百年も何百万人もが実践してこれた社会。

日本の昔に学ぶこと、多し!

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