『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

消費する商品じゃなくて、圧倒的な生命力

2021年05月19日 | 考える日々
夕方、家に帰ると、段ボールがふたつ。
開けてみると、圧倒的な緑が爆発!!
おお~~~、野菜がモリモリ~~♪

おとーさん、来てくれたんだ!

「娘の予定を狂わせたら悪い」と思うようで、
いつも近くまで来てから家に電話をくれる。
今日は出かけていたから会えなかったわ。
1時間以上かかるのに、申し訳ない。

父からは、えんどう、スナップえんどう、
水菜、ほうれん草、小松菜、
かつお菜、ネギ、タマネギ…。
早すぎる梅雨入りのせいで、
いつもより瑞々しく、成長も早い気がする。

そして母から、謎の健康サプリ。
子を思う母心、ってヤツでしょうが、
これ以上なんの栄養が必要だとゆーのだ(^^;)。
そして、アンコ好きの夫のために饅頭ひと箱。
ありがとー。

この量の野菜、家族3人で食べきろうと思うと、
何からどういうメニューで食べるのか、
傷む前にどう下処理して保存するのか、
ちょっと工夫がいる。

これがね~~、
忙しい時に泥とかついてたら、
食べるまでの処理が大変だな~って思う時もあるけど、
こっちに余裕があると、豊かな気分になれるのよ。

雨に打たれて、圧倒的に元気な緑。
これだけで、「地球に生かされてる!」
っていう気分になれます。
工場で温度や光を管理して作られた、
清浄野菜的なものとは、迫力が違うよなぁ。

こういう野菜は、いい土があって、人や虫がいて、
命の循環の中で育ってるんだから、そりゃ生命力あるわ。

寝る時間がないほど忙しかった時には、
外食とカロリーメイト片手に生きてたけど、
やっぱり、体調ボロボロだった。
だから、余計に刺激物ばっかり食べて。
ごはんなんて、娯楽か栄養だと思ってたなぁ。
グルメ雑誌とかやってた時は、特に。

四半世紀経って、今。
食料や栄養としてじゃなくて、
たとえば、わざわざ花見に行くような方向に、
野菜の見え方が振れてきたような気がする。

「うわ~、元気なほうれん草だな~」とかね。
そんなことに目が止まるようになってきた。
野菜との付き合いが変わってきたのかな。

何にしろ、消費する商品じゃなくて
共存する生命に見えるようになったのは、
嬉しい変化です。

石フェチの人とかにとっては、
石もすごく豊かに見えているんだろうな~。

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