『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

Google先生にも答えられない

2018年01月27日 | 昼行燈より愛をこめて
1月20日、イェッセ氏のテツガク講義を受けて、
「真実って、人や立場や時代によって、いっぱいあるんじゃないの?」と
彼と自分の考えの違いをなんとか埋めようと、
自分であーだこーだと考えてました。
(これが楽しい! その経緯はこちら

顔見知りの人が会場にいたので、
帰り道、それについて話しながら大阪で別れ、
それでも、答えが見つからなかったので、
その夜、事務局の方に質問してみました。
(あつかましい…)

んで、自分でも考えてみたのです。
そしたら、
「そっか、自分も真実はひとつだと思ってるんだ」
と、自分で発見してしまいました!!

自分で問いを立てて、それについて考えたら、
自分で答えが発見できるんだなー。
と、嬉しい発見。
なんとなく知ってたけど。

答えるのなんか、
かわいそうな受験生やAIにでも任せて、
大人は、人間は、問いを作ることをしよう、
おー!

好きな人とある程度つきあってみたら、
この人と結婚して大丈夫かな、とか、
就職の内定を2つもらったら、
どっちの会社が自分に合うかな、とか。

せっかく就職したのに自分に向いてなければ、
会社辞めてどうやって食べていこう、とか、
家に帰ったら、
今日はなんでパートナーが不機嫌なんだろう、とか。

生きていくには、
そういうことばっかりだもの。
だから、自分で問いを立てて、
自分で答える習慣を持つと助かる。

んで、そういうことの答えは、
どこかの専門家の答えが、
自分の答えと重ならないのが特徴。
体験談やヒントはいっぱいあるけど、
自分の答えは自分でしか出せない。

自分が立てた問いには、
全世界の英知を結集したグーグル先生にも
決して答えられない。
やーーい、まいったか!

そういうのって
すごい「人間らしい問い」だよなー。
ヘンかもしれないけど、
PCを叩いて答えが出ないのって嬉しいんです。
自分が唯一無二のかけがえのない人間だと思えて。

私は他の誰かではなくて、
この「私」なんだから、
「私」の問に答えられるのは、
全世界の英知じゃなくて、一人の「私」。

正解は「私」だけが知っている。

なーーーんて、エラソーに言いながら、
やっぱり、人にも聞きたくなるんだけどね。
「ねーねー、どう思う?」って。

それも「人間っぽーーーい」ってことで、
許してもらおう(^^)。

でも、本当に、
自分で問いを立てたら、
答えは半分見つかったようなものだと思う。

身の周りの不満や問題を、
文句じゃなくて問いに仕立ててみてね!

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