年末に子供がインフルで発熱したので、
大事を取って実家に行かなかった。
熱が下がって3日も経ったので、
もう大丈夫だろうと、顔を見せに帰った。
兄一家がいなくて、ウチだけ。
いつもより人数が少ないので、
なんだかゆっくりとした、
ちょっと遅れたお正月。
おじーちゃんと私たち一家、
5人で一緒にごはんを食べていた。
高校生の娘は、普段より少し幼い感じで、
孫にふさわしい役割を自覚しているのか?
ちょっと甘え気味にふるまって、
あったかくて楽しい雰囲気を醸してくれている。
80を超えた母が、しみじみと言った。
「若いころに苦労する人や、
年取ってから苦労する人や、
いろいろいるやん?
若いころは、忙しかったり、
病気して大変なこともあったけど、
今は、ありがたいことに、
ほんとに穏やかに過ごせてる。
もう、いつ死んでもいいな~って思うわ」。
最後の一言はぎょっとするけど、
今は、幸せを感じてるんだって。
その夜、
たまたま読んでいたシュタイナーの本
『魂について』の中から
「幸と不幸」についての講演録。
幸せと不幸せに関して考えるとき、
いい人だから幸せになれるとか、
努力したら幸せになれるとか、
そういうのって、全然通用しないでしょ?
事故に遭ったり、病気になったり、
「なんで私(〇〇さん)が?」
って思うようなことが、
数えきれないくらいある。
そういうテーマについて書かれている中の、
ほんの途中の、結論でもなんでもない、
ふと目についた一文。
「幸福への問いに対しては、
人生そのものが答えを与えるのです」
(226ページ)。
母が、晩年になって、
「幸せだな」って思っていることが、
ほんとに嬉しい。
素敵な言葉のお年玉。
ありがとう。
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