『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

意志を鍛える(1)アプリを消す

2018年07月26日 | 昼行燈より愛をこめて
強い意志を持ちたい。
そう思って数十年。
もう、ムリなんじゃないの(^^;)?

そう思うが、しかし、
意志が弱いと自分を自由に使えない。
自由に向かおうとしないくせに、
「自由がいい!」とかノンキに言ってはいけない。
私は、「自由になりたい」と言う。

んでね、小学校の夏休みや中学校の試験前に始まり、
何十年間も、あれこれ計画を立ててきたわけですよ。

今だって、早起きして瞑想して散歩して、
仕事は○時〜○時、自分の勉強を○時間、
体力作りに○を○回、○○はしない、
などなど、懲りずにやってます。

これを一番邪魔しているのが、意志の弱さ。
それを助長するツールとしてはスマホさん。

なんで、動画見放題でゲームし放題なんだよーー。
遊んでくれるモノがこんなに身近にあるのが悪い!
逆恨みなのはわかってるんだけど。

まあ、そんなわけで、1ヶ月ほど前。
思い切って、スマホの動画アプリとゲームを
ぜ〜〜〜んぶ消してみた。

おー、なんてスッキリ!!
アプリ消しただけで、
こんなに軽やかな気分になるなんて!

とにかく、自分でコントロールしなくていいのがいい。
そもそも、遊んでくれるアプリがないんだもの。
これはいいぞっ(^^)!!

別に、すごくハマってる自覚もなかったけど、
スキマ時間がつぶせるってのがダメだったなぁ。
ヒマな時間って、大事じゃない?
何かに向き合ったり、考えたりするのに。

それが、ことごとく消化されていた。
何もしない時間が、
それほど大事だとは思ってなかった。

何が問題って、ぼーっと考える時間がないと、
自分がこの世の現実の自分だけで完結しちゃって、
自分の中の「自由」や「真善美」担当の人と
会話しないようになるのよ。

あ、ワケわかんないね?

イメージとしては、
流れるプールで周りと一緒にぷかぷか流されながら
「うわ〜、楽しいね〜」とか言ってるのが、
ゲームや動画を楽しんでいる状態。

プールから上がって
「あ、こういうルートになってるんだね」
「私が行きたいのは、どっちかな?」って考えて、
そっちに歩き出すのが、自由に向かう状態。

もちろん、流れるプールは
少しでも楽しんでもらえるように、
大人から子どもまで退屈しないように、
いろんな工夫が凝らされている。

だけど、それでどんなに楽しんだとしても、
それって、設計者の思惑通りで、
独自性とか、創造性とかからは縁遠い世界。
私が私である必要がまったくない。

私が私であること。
それが「自らに由る」の第一歩。
自由への一歩は、意志を鍛えることから。

意志が強ければ、同じ自分でも、
ホントにいろんなことが出来るんだろうなぁ。
と、意志の弱さを嘆きつつ、ぼーっと考える日々。

とりあえず、アプリを消したら、
自分が仕事に求めることを考えたり、
そのために自分をどう活かすのかを考えたり、
会いたい人に連絡を取ってみたり…。
そんなことを始める時間ができた。

ヒマがつぶせないって、すごいパワーだ!

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