「とりあえず動くこと」なんていうタイトルをつけると、
「とりあえず動けってことでしょ?」なんて思うでしょ?
でも、その難しさを誰より知っているのは私。
なんたって、リアル三年寝太郎中だもの。
3年前から「動ける身体」って書いて、
ロッカーの扉の裏に貼っているくらい。
それもヨレヨレになってきた。
「心から喜べる仕事をするぞ」
「自分にしかできない仕事に近づくぞ」
「自分の役割を知り、それに尽くすぞ」
なんて、大きなことを考えてばっかりで、
目の前のことに動かないんだよな~、この身体。
だけど、身体ってのは不思議なもんで。
散歩行く時に、家を出るまでは大変だけど、
歩きだしたらそれほど大変じゃないようなもんで、
動き始めたら、動き続けられるんだよね。
いつもわちゃわちゃ動いている人と一緒にいたら、
そのエーテル体の影響で、こっちまで活性化させてもらえる。
まぁ、大人になって、
人頼みで自分が動くってのも恥ずかしいけど、
今の私は、まだそんな感じ。
人のパワーをもらって動けるなら、
それでも動いた方がいい。
それで自分が生き生きと動けたら、
相手も相乗効果で活性化するし。
ただ、自分に自信がなくなってる時は、
輝いてる人のヨコにいるのがしんどいよね。
自分の「影」の濃さが際立つような気がして。
そんな時は、
好きなアーティストのライブを楽しんでもいいし、
楽器の演奏や絵に感情をぶつける、でもいい。
悲惨な状況を友達に聞いてもらってもいいし、
自分より悲惨な小説を読んだり、悲しい歌を聞いて、
「私なんかまだマシだわ」って思ってもいい。
なんか、ひとつ、
自分を元気に戻す方法を見つけるといいね。
そして、
自分が失敗するのは、すごく怖いけど、
自分の近くの人が、失敗ばっかりしながら、
綱渡りで前に進んでいる姿って、
やっぱり恰好いい。
まぁ、確かにそういう人のまわりは、
巻き込まれて大変だったりもするけど、
どんどん具体的な形が動いていくのを共有できる。
動き続ける人は、すぐ次の挑戦をするから、
ひとつの失敗をただのステップにできるし、
まわりも一緒に育っていけるから、
まわりも大変だけど楽しいよね。
ああ、そこだ~~!!
私なんか、時々しか挑戦しないから、
たとえ「良かったよ」って人が言ってくれても、
「そんな慰めはいいです。失敗した~~!!」って、
自分で勝手に打ちのめされるもの。
そんなヤツを慰めなきゃいけない、
まわりの身にもなれ、っつーのね。
うわ~、言葉にしたら、めっちゃイケてないっ(^^;)。
「コレやりたい」っていう旗を立てて、
SOSを出しながら、自立しよう!!
とりあえず、今やりたいことは、
まずは、手持ちの原稿を楽しんで書いてしまってから、
春休みの家族旅行のプラン。
そして、シュタイナー系なら、
「自分を育てたい大人」が学び合う今の集まりを活性化したい。
読書会も、頭だけじゃなくて心と身体で読んでいきたい。
アートや手仕事と人智学を絡めて自分になっていく場も作りたい。
フォルメンで自分に気付く場も作りたい。
シュタイナー系じゃなくても、
ひとつのテーマについて、ゆっくり話す場を作りたい。
青少年が人と違う自分の意見をまっすぐ言えて別の人の考えを聞けて、
違いの中で深め合える場所も作りたい。
うわ、どんどん出て来るな。
やりたいけど、実力が伴って実現できるものはあるのか??
…動けないのは、身の丈に比べて難しいからかな?
私は「教える」はできないから
「場を作る」や「聞く」が役目なんだろうな。
何からやろうかな~。
って、まず溜まってる原稿からなのは決定~(^^;)!
とかやってると、3年経ってもできないから、
同時並行、だな。
とりあえず、何か動け。
インプットじゃなくて、アウトプットを。
自分を建てようとすることが前提になってしまっているからです。
自分を建てずに済むようにすれば動きやすくなります。
自分を建てようとしない努力をすべきです。