『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

この樹は、たぶん私を励ましている

2020年04月18日 | 考える日々


春のうららかな日差しの中で、
元気に緑を茂らせている、この樹。
歩みを進めて正面に来たら、
うそっ、幹の中が見事に空洞だった!

よく立ってられるな、この樹。



近所の散歩ルートだけど今まで気づかなかった。
なのに今日は「え、これって私っぽい」と、立ち止まってしまった。
私も時々(いつも?)こういうことある、って。

中身がスカスカなくせに、
元気に見せたくて、外だけ普通に立ってみる。
誰のために、何のためにかわからないけど、
反射的に大丈夫なふりをする。

心配されたくないのもあるし、いい恰好をしたいのもある。
外から見て大丈夫なように見せたいくせに
「もうちょっと助けてほしい」と思ったり、
自分でいい恰好してるくせに、
「わかってほしい」と思ったり。

我ながら、バカじゃないの??
「アンタは一体どーしたいのよ!!」
って感じです。

普段の正解はたぶん
「それもコミで付き合いたい」
でも私の本当の願いは
「中身の詰まった樹になりたい」
みたいなとこ。あ~、ややこしい!


中がちゃんとしていたら一番いいんだけど、
外だけでも、ふりだけでも、元気に立ってたら、
そこから新しい芽が出て、葉っぱが伸びて、
いつしか外側が成長してその樹を支える。
この樹みたいに。

人からの評価に一喜一憂する人や、
資格マニア
私とは対極だと想っていたけど
自分と似てるからイヤだったんだな。

え、もしかして、この樹、私を励ましてる??

ボロボロの中身は、
「私、ボロボロだ」と認めることで、
意外とこの樹の養分になったりして。

…と思えるあたりが、
中年の強みであり、
ふてぶてしさであり、
やわらかさでもある。

ほぉ。

なかなか味わい深い樹に会えました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿