『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

そうなるのか~! 手仕事=青い鳥説

2021年07月05日 | 手足を使う日々
手仕事が好きです。
買い替えた方がラクなことはわかっていても、
「これ、こうしたらもっと生かせるかな」と思うと、
早速、やってみたくなる性分。

で、靴下を繕うのが結構好きで、
もはや別モノになっているのがいっぱいあるけど、
それでも繕い物は止まらない(^^)。


上の写真は、靴下のかかとが破れたので、
補強するために、羊毛をフエルト化したらどーなる?
と思いトライしたもの。
結果、ちゃんと一体化しなくて、失敗してはがれました。
で、アルマジロのように縫い付けて謎のデザインに(^^)。


上の4足は、あえて目立つ色で繕うことで、
「繕って履き続けるってステキなことだよ~」
っていう文化をこっそりアピールして楽しんでいた時期。
この4足は、親指の長い(親指だけ破れる)夫の靴下。


コレ(↑)は、こっそりアピールするワクワクを過ぎて、
誰かに何かを言うとか言わないとかじゃなくて、
もとのデザインに敬意を表して長く履きたいと思って、
かかとは繕ったことがわからない黒糸で、
足の裏は、元のデザインと馴染む色にして、
「これならエンドレスで履けるんじゃない?」と思っている靴下。

まぁ、他にもアレコレあるのですが、
繕いものに使っていたのは
家に余っていたアクリルの毛糸だったり、
太いしつけ糸だったり、刺し子のあまり糸だったり。

羊毛やウール100%の毛糸で繕った時には、
糸が柔らかくて、すぐ破れてしまいました。
ちゃんとフエルト化したら別だったんでしょうけど。

さて、今回は、茶色の靴下。
赤系統の色で繕いたくて、
子どもが小学校の工作で使ってた毛糸玉を
作品に影響がない程度にこっそりほどいて、
ちくちく(^^)。

その毛糸で1回目に繕ってから数か月が経ち、
そのさらに外側が薄くなってきたな~と思ってよく見たら、
最初に繕った部分がフエルト化しているではありませんか!



1回目に繕った部分のさらに外側を繕ってみたのがコレ。
上の方が最初に繕ったところ、
手前の下の方が今回繕ったところ。

見比べてみると、よくわかります。
最初に繕った部分は、
もはや布になっているではないですか!!
お~、これは嬉しいサプライズ!

同じようにフエルト化することを狙って、
2度目の繕いものも、この糸でしてみました。
そのうち、足の裏全面が、赤いフエルトになるかもしれません。
その頃には、子どもの工作も解体が許されるでしょう。

それが重なったら、いずれは
「脱げないスリッパ」に成長していくかもしれません。

新しいものを手に入れるワクワクと、
こういうクリエイティビティを発揮するワクワク。

前者は、買った直後が一番ワクワクします。
後者は、付き合っているうちに、
もっともっと好きになってワクワクします。

こういう「本当に好きなものを買って、
それと大事につきあう」っていうスタイルは、
消費やエコや節約のワードで捉えるよりも、
まずは「手元にある間、ず~っとワクワクできる」
っていう喜びなんだよね!

あれ? 子育てと共通点がある気がしてきた。
優秀で性格がいいから愛おしいんじゃなくて、
身体が弱くて手間かかってオバカだとしても、愛おしい。
愛すると決めたら、そこに存在するだけでず~っと嬉しい。

私たちは、ふだん、何かが足りないと思って、
その何かを手に入れることを目指しがちだけど、
衣食住が満ちた後の人間の喜びって、
案外、一人ひとりのそういうプロセスから
生み出していくものなのかもしれないな。

青い鳥だ~!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿