『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

こんな肩書、どうでしょう?

2021年07月09日 | 考える日々
こないだ、人としゃべってる時に、
「アレコレやってるけど、
本業にライターってのがあるからいいやん」
と言ってくれたんだけどね。

もはや書きたいことしか書きたくないし書けない。
自分がやってみたことや考えたことばっかりを
好きな時に好きな文字数でしか書かない人を、
「ライター」とは呼ばない。

なら、もう、
「ライター」じゃなくてもいいじゃん。
仕事でも仕事じゃなくても、
いつでも何か書いているんだし。

小さなことに立ち止まって、
あれこれ手探りで考えるのが好きだから、
「相手が受け入れやすいようにセンスよくまとめる」、
ってのが苦手になっている。

時代や流行り廃りを無視しまくっているのも、
仕事が増えない原因なんだろうな~。
でも、1000年前の人も1000年後の人も
西洋の人も東洋の人も、ずっと変わらず、
人間なら答えを探したくなるようなこと。
そこが気になるんだから仕方ない。

んで、結局何がしたいのさ?

言葉を、自分を耕すために使いたい。
自分を映す鏡として、使いたい。

あ、えーと「自分探し」とかじゃなくて、
「人間」を知るための手持ちのコマとして、
自分を使う、って感じ。
自分の真ん中に近づけば近づくほど、
他の大勢と共通するところに近づけるから、

じゃあ、書きたいことをちゃんと書け。
ブログなんていう気楽な方法じゃなくて、
責任もって発信しろ。

あ~でも、目的地ナシに書く方が、
誠実に自分の中に入っていけるしなぁ~。

う~ん、なんだかな~。
前の職場を離れたことは必然だったし、
新しい場所も、とてもステキな場所で、
身体を使ってみる、というニーズには合うけど、
体力のない私の中心からは遠い。

だーかーらーー、
私のど真ん中にあるものって何なんだろ?

案外、こうやって毎日、
身の回りの小さなことと大きなことを重ねて考えて、
それをちょっとずつ身体を使って答え合わせしていることが
ど真ん中のような気がしてきた。

それって、何者なの?
わかりやすい肩書きを考えないと、
人に説明するのに苦労しそうだな。

う~んと、そだな~。
「半径3mから考える人」ってとこか?
3mは、一歩くらい踏み出して手を伸ばせば届く範囲。



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