50歳になった夜。
羽田空港から北九州空港へ。
生誕に関するライブやイベントなど何も考えてなかったのでとにかく地元に帰りたくなった。
最終の飛行機は悪天候で予定より遅めの着陸。
空港からのバスは下曽根駅止まり。
今回は両親に負担をかけたくなく実家の隣駅の行橋にホテルを予約した。
電車は2.3分間隔だったり、夜通しタクシーは走っていたりと、東京の感覚でいたからさぁ大変。
次の電車は最終でしかも35分待ち。
ホテルのチェックイン時間を過ぎている。
料金的に3000円以上はかかりそうだが背に腹はかえられん。
タクシー会社に電話するも
「あーもうこの時間じゃ無理やね」
とあっさり配車拒否され仕方なく終電を待ち、日付が変わりホテルの方にも時間外労働で待っていただき無事チェックイン。
とにかく50歳になった日に地元に帰ってこれた。
それだけでなんだか嬉しかった。
翌朝。
レンタカーを借り50歳記念ツアー開始。
まずは朝5:30からやっている小倉の久野うどんで小倉名物肉うどんを。
ほほ肉たっぷりで生姜はセルフで擦りおろす。ひっきりなしにお客さんが入ってきて常連さんも多い。
帰る時に店のおばちゃんたちから「いってらっしゃーい」がいい。
初めて北九州肉うどん食べたけど美味しかった!
そしてここからがメインイベント。
生まれ育った団地の跡地へ行ってみた。
今でも古びた家がまだいくつか残るこの小さなエリアで育った。
家ももう更地になっているが道はまだ残っていて頭の中に子どもの頃の風景が蘇りちょっと切ない。
三角公園と呼ばれていた場所で幼馴染とブランコに乗ってると彼が「爆撃機が400機 所狭しと飛びまわり〜」と歌いだして「な、なんなんその歌??!」と目の前の彼の家でカセットを2人で聴いたのがルースターズとの出会い。
18の時に東京に出て行かなかったら今ごろ地元で何をしてたんだろうと想像してみる。
生まれ育った団地〜小学校〜中学校〜高校〜高校生の時よく行ってた駅前のデカ盛り中華屋〜放課後によくみんなで遊びに来てた駅近くの浜辺巡り田川市に移動して温泉。
詰め込みすぎたが自分のルーツを辿る旅楽しかった!
50歳記念弾丸帰省ツアー初日夜。
高校同級生たちと行橋市駅近くの居酒屋で。
高校卒業以来初めて会った人もいてとても嬉しかった!
空前のバンドブームだった当時は猫も杓子もバンドやってたから学校内に10コくらいバンドがあった。
博多でもなく小倉でもなく限りなく大分県に近い微妙な位置にあり極悪でもなく、エリートでもないちょうどいい感じの生徒が集まるこの高校が大好きだった。
全員50歳。
腹よじれるほど笑った。
2次会はスナック。
カラオケで流行歌ではなく普通に同級生たちがARBやモッズを歌う光景に九州を感じた。
3.4次会と続いたが3次会で離脱。
全部皆がご馳走様してくれた。
「成功したのはお前だけやけ払わせろや!」と……
まだ何にも成功なんてしてないし、成功って何?(笑)とにかくみんなありがとう!
32年経っても変わらずみんなで集まれるって最高やね!
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