
KAZIコメント
REDЯUM結成前夜1994年頃。
俺と剛くんは英国ブリストルから発生したPORTISHEAD,Massive Attack,TRICKY(所謂御三家)やDJ SHADOW,DJ KRUSHなどのブリストルサウンドに夢中になっていた。
退廃的なNWニュアンスとHIPHOPとレゲエとブレイクビーツが混ざり合った当時音楽雑誌で名付けられた"トリップホップ"を生バンドで日本語の女性ボーカルでやりたいとREDЯUM始めたのが1995〜1996年に差し掛かる辺り。
2000年に入る頃には54-71,downy,honeydipなど同世代のバンドが都内で活動を活発に始めてとても刺激的な時代だった。
恩人であるSUGIZOさんの元を離れメンバー4人とM・O・Gで始めた自主CD制作「CRONENBERG」「4」を2001,2002年と発表。
余談だが俺は自分の作品や映像などを聴いたり見返すことはほぼない。
それは出し切った行為に対する一抹の恥ずかしさや後悔、反省など入り混じりどうにもならない感情になるからだ。
ただ今回2枚に収録している24曲は当時会場限定と通販で数百枚しか販売していないので聴いたこともない人も多いだろうということもあり再発を決めた。
改めて聴いてみると青臭く前のめりな激情に鼻の奥がツーンとしたがこれを20〜30代にやっていたのは相当渋い。手前味噌で結構だがかっこ良すぎるね。
陳腐な言い方かもしれないけれど日本歌謡的な泣きのメロディとブリストルサウンドがうまく融合している。
"2001年ブリストルと東京が最も接近した瞬間"
もしCDの帯コメントを依頼されていたらこう書いてたはず!
REDЯUMサウンドで大事にしていたのは「生のサウンド」
4人だけでDJや鍵盤や他の楽器を入れないこと、静寂や間を活かす世界を創ること、だった。
「abstract area -CRONEOBERG +4-」では見事にその世界観が表現されているし久しぶりに聴いたが唸った。
そして外さんが一旦バンドを離れてからex.THE BACK HORN直己、COCK ROACH祐也が強力なサポートをしてくれて数枚のシングルを発表。
この辺りからライブの激しさや動員など加速していく。
元々あったREDЯUMの良さを活かしつつ意図的にサウンドやライブのステージングも変えていったが2枚目"memoria del silencio-RARE TRACKS-"辺りのYUMIちゃんのボーカルが脂が乗り切っていてとても素晴らしいと思う。
解散が決まってからの成長の加速はちょっともったいないと今でも思う。
一見ダークでシリアスなサウンドをストイックに演奏しているバンドだからどんな気難しい集団なんだと思われがちだがいたってシンプルでナチュラルな4人で、それがとても心地良い。
大袈裟な装飾を必要とせず声と、弾く弦と、バチで太鼓を打ち鳴らすだけで何にも変え難い独特の世界を作り上げたREDЯUMを誇りに思っている。
初代ベーシストJYUNJI
サポートしてくれたex.THE BACK HORN平林直己、COCK ROACH本田祐也
アルバムを再構築してくれたM・O・G(music of gentleman)に心からありがとう。
そしてたくさんのジャケット、アー写など全ての写真を撮影してくれた今は亡きカメラマン増子武志に感謝です。
20数年の時を経て少しでも多くの人に聴いてもらえることを祈ってます。


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