願興寺の紋章は願興寺公式サイトにも掲載しているように、天皇家と同じ菊の紋と蟹牡丹の紋の2つを使用している。
菊の紋章は、元々は天台宗の紋章で伝教大師(最澄上人)が桓武天皇(天皇家)に献上したとされている。そのために天台宗の主立った寺院での使用が認められている。
蟹牡丹の紋章は、願興寺独自のものである。平安期に一条天皇の皇女とされる行智尼なる尼僧が、願興寺の薬師如来に帰依し、朝夕に仏道修行に励んでおられたところ、西方の尼が池で天変地異が起こり、人々が恐れおののいていたのを、行智尼が祈りの力で鎮められた。このとき、池の中より数千、数万の沢蟹に背負われて1寸8分の小尊像が顕現した。このことが紋章に蟹を使用した由来であろう。
また、その行智尼なる人物の出仕(母方であろう)が藤原氏の九条家であったため、牡丹寺と称せられるようになったという。この後、小尊像は本尊仏「薬師如来座像」の胎内に安置されている。
また、わが子が民衆の安寧に努めていることを知った一条天皇は、この地に七堂伽藍の寺院建設を命じ、山名を大寺山、寺名を願興寺とされたのである。
願興寺公式サイト
twitterもご覧ください
菊の紋章は、元々は天台宗の紋章で伝教大師(最澄上人)が桓武天皇(天皇家)に献上したとされている。そのために天台宗の主立った寺院での使用が認められている。
蟹牡丹の紋章は、願興寺独自のものである。平安期に一条天皇の皇女とされる行智尼なる尼僧が、願興寺の薬師如来に帰依し、朝夕に仏道修行に励んでおられたところ、西方の尼が池で天変地異が起こり、人々が恐れおののいていたのを、行智尼が祈りの力で鎮められた。このとき、池の中より数千、数万の沢蟹に背負われて1寸8分の小尊像が顕現した。このことが紋章に蟹を使用した由来であろう。
また、その行智尼なる人物の出仕(母方であろう)が藤原氏の九条家であったため、牡丹寺と称せられるようになったという。この後、小尊像は本尊仏「薬師如来座像」の胎内に安置されている。
また、わが子が民衆の安寧に努めていることを知った一条天皇は、この地に七堂伽藍の寺院建設を命じ、山名を大寺山、寺名を願興寺とされたのである。
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わが御嵩町は車なら東海環状自動車道の可児御嵩ICより5分、電車なら名古屋から1時間余です。中部国際空港からも便利で、車なら1時間、電車なら2時間弱です。
精進というお言葉… いいですね~ お姿が目に浮ぶようです。急ぎませんので、機会があれば是非お越しください。ありがとうございました。
岐阜県の地図や御嵩町にはどうやっていけるかなど色々見ておりました(^_^)すぐには行くことが出来ませんが、お参りを実現できるよう精進します<(_ _)>