女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

あったかなひざし(朴 正子)

2012-03-14 | 日記
あるところに、とてもかわいい小鳥がいました。
でも、どんなところにも、慎重に行動して、あんまり動かない鳥でした。

とてもかわいい目をしていて、さえずりは美しいのですが、よくぶつかり、けがをしていました。ある時に、友達がその鳥にいいました。

「きみは、慎重に行動するけど、どうしてなの、ぼくなんて、おっちょこちょいでいつも、失敗ばかりで、まちがえるのにさあ。でも、あんまりうごかないしね」

「ぼくさ、目がみえないんだ、だから、うごくのは、ご飯をもらう時だけで、あんまり動けないのは、怖いからさ、なんとなくわかるのは、餌をくれる人間のあたたかさだね。後は、動物の慣でうごいているから、ゆっくりだし、おそとはみえないし、ずいぶんつらいんだけどね。」

「ふ~~~~~ん、じゃあ、僕の顔はみえないんだ、結構男前の鳥なんだけどね、へへへへ」

でも、その小鳥さんは、あかるく、たのしくいきていました。それは、小鳥さんの環境がとても、めぐまれていたこともあり、飼い主さんのように、毎日餌をこの大きな木のある公園まで、
運んでくれる人も、たくさんいたからです。
すずめの、男の子は、こんなこともいいました。

「人間界はね、そんな僕ならいじめられてたし、きっといきられなかったかもしれないね。」
小鳥は、おもいました。

あったかい日差しは、かんじることができるし、餌を運んでくれる人の、やさしいこえはきこえるし、この大木の木は、やさしくたまに、はなしかけてくれるし、ちょうどいい穴に住んでいて、もう何年もなるので、本当はおじいさんのすずめでした。

春になると、公園では、お花見がありました。
たくさんの、人々の喜びの声が、聞こえて、すずめまで、たくさんのおすそわけをもらえました。
冬の寒い日は、こごえそうになるけど、いつも優しい人間さんが、パンをたくさんはこんでくれるし、しあわせでした。

でも、お友達とは、すこしちがっていたのは、いつも大きな木のまわりしか、とべませんでした。それは、目が見えないから、そとの大きな空の世界は、しらないのでした。
あたたかいひざしは、見えなくても、かんじているので、いきてこれたのでした。

「僕は、ほかの子よりしあわせなんだ、ご飯のにおいもすごくわかるし、パンなんていちばん好物だから、すごく、あまいかおりがするんだ。いちばんうれしいのは、寒い時のかんじから、あたたかな、日差しを感じる春だよ。ほら、みんなこの公園でおしゃべりをしているし、大きな木の周りで、いそがしく、たのしそうなんだ、春がね。」

「それはね、ぼくがみえるからおしえてあげるよ。この大きな木は、さくらのきなんだよ。さくらは、春になると、おひさまにむかえられて、きれいなピンクの花が、たくさん開いて、お花見を、人間たちがするからね。この木の下で、えんかいで、ごちそうがたくさんでるんだよ。だから、春は、あたたかなひざしのなかで、みんなしあわせなきぶんになれるんだよ。」

「そうなんだ、桜の木のそばで、僕は、幸せな人生をおくっているんだね。だけど、たまに、ずぶぬれになるんだ、すごく、さむくてさあ。」

「じゃあ、ぼくが、これから友達に、なって君の目の代わりをしてあげるから、そばに来て一緒に、あそぼうね。」

「うん、ありがとうでもね、でも、しあわせだから、あんまり飛べなくても、いいんだよ。あたたかな、ひざしとか、さむさとか、幸せな声とか、君より僕はたくさんきこえるしね。」

そんな風にことりは、育ちました。

人間なら、目が見えなかったらどうでしょう。
それは、困ります。
でも、この小鳥さんは、わからなかったのです。

こうえんのみんなに、助けられて、幸せな人生を送ったのです。

皆さんの近くの公園の桜の木にも、もしかしたら、このすずめがいます。
なんだか、あんまり、とべないけど、すごくかわいい目をした、のんびりやさんですよ。

(おわり)