女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

認知症は、そばにいてもわからないときがある?!

2012-03-29 | 日記
わたしは、ある仕事で、認知症の人のお世話をさしていただきました。
すごく、初めてのことで、不安でしたが、いつも、お部屋のかたずけから、
せんたく、ごはんをたべさせる、おむつ交換、その他雑用でした。

一番困ったのは、あばれることでした。痩せた体の男性でしたが、毎回怒鳴られたり、叫ばれたりしました。それに、かえりぎわに、かならず、おむつ交換をさいどさせられたりして、とまどいました。

いまのわたしなら、子供のように、せつしてあげたらよかったけど、昔の私は、いらいらして、こちらまで、鬱になりました。

いつも、お部屋はあばれているので、めちゃくちゃです。
まいにち、どうしてだろうと思いながら、かたずけたのです。

その繰り返しで、はじめて、どなられなくなり、意思の疎通らしきものができたときはうれしかった思い出があります。

彼は、認知症でした。
だから、わけのわからない状態で、おこり、いかり、あばれていたのですが、その状態も愛情をこめて、接していくうちに、コツがわかり、おこられなくなりました。

方法は、やさしく、せつする、まいにち、確実に介護していくだけのことでした。
手を抜かないで、丁寧にことばかけをすることにより、彼はおこらなくなりました。

認知症の人はちかくでも、わからないものです。
ちゃんとした意見がいえるし。
ちゃんとしてみえる方がおおいのですね。

でも、すぐに、おこるだけでも、認知症かもしれませんね?!
介護のことは、いまでも幼稚なじぶんですが、すこしわかったことがあります。

認知症の人々は、わるくないんだと、知らないうちに、イライラがつのるようになり、わけのわからない、いかりを、ぶっつけるのだと。
だから、すこしいらだつけど、子供の駄々っ子とおもい、自分まで、ふりまわされないで、母親のように、おおきなこころで、せっする。

すべて、なれたら、できるし、認知症の人は、怖くはないのです。
ただ、さびしがり屋で、甘えん坊さんが、おおいのが、げんじつですね。


小鳥を飼うことで学ぶこと。

2012-03-29 | 日記
私は、人間関係が嫌いですが、小鳥を飼うことで人にやさしくなれました。

文鳥は空気の読める賢い鳥です。
それなのに、人間をやっている私は、空気が読めないほうで、人間関係にひびがはいりました。

空気が読めるこれは、たいへんなことです。
その場の状況で、判断して、空気をへんなかんじにしない。
あんがい、私みたいなKY人は、たくさんいます。

私が嫌がることを、わざとする人がいました。
「のぞき」です。

たび、たびするので、その人をきらいになりました。
暇だから、するのでしょうが、きもちわるいと、女ならみんな感じています。

空気の読めない人は、その場で立ちすくんで、道を邪魔したり、自分だけのことを考えがちです。
文鳥は、私の悲しい時には、やさしく、にぎられ、くるしいときにも、やさしく、目をしっかりみて、とぼけてよろこばしてくれます。

元気な時は、楽しく一緒にあそんでくれたり、人間の私が、ああ空気をこいつ読んでるな?!と思うほど、かしこいとおもうときもあります。

強い文鳥は、怒りもすごいです。
ほんとうに、おこると、もうすごいです。

でも、許されるのは、私が、さみしいときに、優しく寄り添ってくれるからです。

人間でも、文鳥のように、空気が読める人は、素敵です。

わたしも、学んでしまいますね。

賃貸物件(何を我慢すべきか?)

2012-03-29 | 日記
わけあり物件、一つだけ我慢すると安い物件。
私の住む街は、全体的に、特区だからなのか、安い。

我慢すべき点は、人間関係がむずかしいので、あたらず、さわらずにすることだ。
それから、その中で、人間関係をひろげすぎるのもよくない、隣近所にかかわりをもつことも、注意なのだ。

秘密は、絶対しゃべらない、人の口は、ふさげないので、放送局的な人がたくさんいる。
それに、安い物件は、広いが、なにかわけありなのだ。

そのわけありを、少し我慢すると快適だ。
階段だけの、へやとか、日当たりが悪い、隣がかなりややこしい、嫌がらせで追い出された物件とか、いろいろ近所に、借りる前に、調査すべき点なのだ。

私は、今住んでいるところは、気に入っている、ひあたりは、まあ、まあなのだが、古い建物が、昭和をかんじさせるし、銭湯にいかなくてもいいし、一番は交通便利なところ。

どこにいくにも、あるいていけるし、買い物は近い、おまけに、運動がてら、難波までもそう、
遠くはないのだ。
ひとの欠点は、さがすのはきらいだけど、すみやすさゆえの、物件情報は、知るべきだ。

そうしないと、あとあと、またいやになることもありなのだ。
わけありなのだが、許せる範囲なら、安くて、いい物件があるのも、大阪の良さの一つだろうね

親友とは?!

2012-03-29 | 日記
親しい友と書いて、親友ですが、私は親友ほど、ものすごくケンカして、殴り合いもしました。
しかし、不思議と、憎しみよりも喧嘩したときの、怒りよりも、かけがいのない、大切なものをなくしたようで、そのあとに、すぐに自分から謝れる、友達ですね。

私は、友達は、自分の欠点をズバリ言ってくれる人。
よい、アドバイスとは、ほめ言葉よりも、苦い助言をしてくれる人。
自分がにくまれてもいいけど、あえていやなことをいってくれるひと。

おせいじは、だれでもいえるものですが、その人の欠点をズバリ言える人は、いないものです。
そんな人は、私は悪気のない意見は聞いて、治してきました。

でも、そういってくれる人は、なかなかいないものです。
まして、身内でさえ変な気を使うものです。

ずばり、欠点をいってくれる。
善意の、意見を言ってくれる人が親友です。
おかげで、いきてこれたのも、本当のことを言い合える人がいたからです。

一つのパン⇒片方のパン(朴正子)

2012-03-29 | 日記
私の母が、教えてくれた、一つのパン物語の続きを書こうと思います。
その一つのパンの大体の、物語のストーリーを先に書いていきます。

母が教えてくれた温かなお話です。

神様が、地上に一つのパンを二つに割り落としました。
地上で、その二つのパンが必ず出会うのが、結婚であると、しかしなかなか見つからない人は、その片割れのパンが、かならずいるので、あんまり焦って違うパンとくっつくと、別れてしまうという、簡単な物語ですが、神様のなさることなので、信じて生きてきましたね。

お母さんが、作った物語は、一つのパンで、必ず結婚できるし、愛する人がいるということです。さて、片方のパンが、死別した場合どうでしょうか?

ひとりぼっちでいきていかなくてはならないのでしょうか?
いいえ、私なりの解釈で、書いていきます。

ある時、一つのパンだけになった男は、さびしくって、なきながらいきていました。
大切な、奥様を亡くされて、生きてゆく元気さえなくなっていました。

そのとき、同じ一人ぼっちになった女がいました。やはり旦那様がなくなり、毎日、毎日泣いて暮らしていました。さびしいよりも、むなしさで体と心が、つめたくなっていきました。

そして、その男と、女が、偶然知り合うのです。同じ境遇で、さみしい未亡人と、さみしい独り者の男でした。
その出会いで、その男は、考えました。

もう一つのパンになれませんが、お互いの片方のむなしいのを、補える、一人ぼっちの未亡人が生きてゆく、喜びとじぶんのたすけになるのだと。ひとつにむすばれなくてもいきていけると。

つまり、友達になることです。
恋人や、旦那や、妻は、別れが必ずあります。

でも、生きている限り、親友は、別れがないのです。
永遠に、楽しい友達には、喧嘩があっても、憎みあうことはありません。

たいてい、少ししたら、さびしくなって、なかなおりできます。
親友とは、親よりもなによりも、がつよいものです。

そのがつよい、片割れのパン同志仲良くなれば、お互い心をいたわりあい、いきていけるんです。
わたしは、一人ぼっちになりましたが、さみしくはないのです。

それは、親友がいるから、お互いに、親しき仲にも礼儀ありで、楽しいからです。