女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

花桃の木が逝った?!(朴正子)

2012-05-29 | 日記
小さなお庭の玄関にある、貴女が植えた花桃の木が逝きました。
いつも、貴女が空を見上げて、悲しそうにしたときそばに寄り添ったように、立っていた。

貴女の体が召されてからも、一生懸命一人で咲いていた。
貴女のことが好きだから、後から追って行って天国で今年も花桃を付けているの?

みんな、さみしがっています。
私も、貴女をおもいだしています。
どうして、花桃さえも、逝ってしまったのだろう?!

貴女の親友がその木を眺めながら、悲しい目をしていた。
その時に、もう花桃は、天国に行っていたのかもしれない?!

今年は、枯れ枝のようになり、魂の抜け殻のように、立っている。
それでも、私は何とか、生きていたらいいのにとおもった。

さびしいから、花桃の木が、貴女に会いに行ったのだ、永遠にあなたに愛されるために。

お別れを言おう、華麗なかわいい花をつけてくれて、ありがとう。
貴女のことを、あいしてくれたんだよね、ほんとうにありがとう、そしてさようなら。

木には魂が宿るという、きっとあなたも素敵な心で、許してくれたんだと思う。
素敵な空に、すんでいるあなた、みんなは、元気です、懸命にいきていますから。
お元気で、そちらに行くまで、みんなを守ってください。

朱に交われば、赤くなる?!

2012-05-29 | 日記
人間関係は、気を付けないといけない、心の美しい優しい人と、かかわれば、自分も染まる。
心根の優しい人は、癒されるし、自分も真似しても感じがいい。

そのうちに、いい人に、自分がうまく、染まっていく。
悪人や、人をだますような悪い人と、かかわりがあれば、自分も傷つくし心も痛くなる。
できるだけ、悪い人、根性の悪い人とは、かかわりあわないほうがいい。

自然と、人間は良くも悪くも染まりやすい生物であるし。
それでも、いい人になれば、人を生きているだけで、癒される空気になれる。

損をしてもいい、人を陥れたり、無理に人を蹴落としたりしたくない。
負けても、人を傷つけるぐらいなら、自分が悩んでいくほうがいい。

本当にいまならいきるいみがわかる?!
人を、愛するなら、人嫌いな私でも、人を好きになるように、やさしくしていきたい、ただし、よい人にそうしたい。

悪い人には、染まりたくないし、心が荒んでしまい、いやになるから。
心根の悪い人は、自分から不幸づくりをしている。

ちゃんと、優しい穏やかな種を人間にまいていったら、優しい花が咲き、いやされるのだ。
私は、いいひとになりたいのではなく、やさしい、たおやかな気分になりたいだけなのだ。

貧乏でも、楽しく?!

2012-05-29 | 日記
そこそこ、貧乏でも動けたら、楽しくなる時も多い。
まず、ご飯が食べれる普通の喜びを、毎日味わうだろう。

それから、エコ生活を楽しんでいけるのは、身に沁みこんでいるから。
外に行けばよい情報を、くまなく探していける貧乏人には頭が必要なのだ。

一番は、これより下がないなら、少しでも上がっていけたら、心の満足があるのだ。
上に行けば、下がる苦しみがあるので、まあ貧乏のほうが、安心だ。

見栄を張らない、嘘をつかない、そして、生きる貧乏を楽しんでいく。
只で、本を読んだりして勉強できる空間はたくさんある。
只で、運動できる公園は山ほどある。

情報をラジオでも何でもいいから、耳を傾けたらいい、電話ひとつで小さな品を当てることもできるし、何よりも無料でできる得する貧乏人のための情報は毎日一つぐらいある。

今年も暑いようなので、ゴーヤの苗を無料で配るところもある。
まさしく、エコカーテンになるものが、只なのは、ありがたいことだ。

一つだけ、貧乏を楽しむ方法を教えてあげたい?!
自分より少しだけ、金持ちを見つけて、その人の賢い知恵を盗んでいく。

人間は、賢く生きたら、うまく人生をたのしめるものだ。
よい、知識、考え方、知恵は、盗んで行っても、だれも責められない、

エコばかりではなく、金持ちのいい知恵を盗んで行ったら、人生を楽しめるのに、間違いない。

本当の貧乏しかし、今は嘘が多い?!

2012-05-29 | 日記
タレントの母が、不正じきゅう、なまぽをした。
話題は、扶養義務がある人が、高額所得者だから、問題になっただけ。

本当は、もっと底辺に問題がある。
たとえば、某成くでは、ふせいなまぽのために引っ越してくるわ、身内を切るわ、
それから、偽装離婚をして、若くても20万以上母子家庭でもらうわ。

そんなことをしたら、まじめに働く、貧乏人がかわいそうである。
最低時給で働いたら、22日働くよりも、なまぽのほうがいいのである。
若者が、そんな悪知恵をしたら、この日本はおしまいである。

私の父と母は、とても暮らしが貧しくて、お金をかりてくらしていた。
それでもない時は、雑草を食べていた。
しかし、生ぽは受けなかったのは、それは知識もない代わりに貧乏にたけていたのだ。

ご飯が炊ける匂いに、胸を躍らせて、塩だけのおかずに興奮していた。
私も母の子で、その知恵は少しは受け継いでいる。
米、塩、みそがないことはまずない、しかしおかずらしいものはあまりない時が多い。

雑草如く、猫の額ほどのところで、しそなどを植えて、非常時に備えている。
また、貧乏人同士、助け合いの心でいきている。

お金じゃない、心の栄養は一杯母から、もらっているので、まあ安心である。
お金は、生きた使い道だけにしたいものだ。

私は、本当の貧乏の生活だから、今でも雑草をうえているのだ。
なりふり構わずに、アルミ缶を集めたこともあるが、これは率が悪い、それよりも食べれるものを少しでも、植えたほうが安心である。

家具は買わない、拾う、もらう、などして、いいものはなにもない。
家電品は、2~3年節約して、それでもどうしてもいるものは、買うのだ。

毎日、我慢と辛抱で暮らしていたら、つらい時でも、母さんを思い出す。
私を貧乏から、育ててくれた母は、今でも私に言っているような気がする。

「お前は、賢いんだよ、だから、大丈夫だ!?」とね。