カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

7月の庭で

2011年07月07日 | Soliloquy

夕方庭に出たら、突然懐かしい秋の匂いがしました。夏なのにね。

落ち葉の焚き火の匂いです。変でしょう?

乾燥するこの辺りは、焚き火なんて厳禁!

夏真っ盛りの今、暖炉に火を入れている人も居るはず有りません。

多分BBQコンロに落ち葉か木の枝が紛れ込んだのだと思います。

その匂いが突然私を子供の頃に連れ戻しました。

私は田舎生まれで、10代の終わりまで田舎で育ちました。

その頃は、秋になると田畑の土手で雑草を燃やしていました。

きっと今は色々な理由から、そんな事はしないのでしょうね。

私の秋の学校からの帰り道は、いつもその匂いの中でした。

その時の山の様子や、夕焼けや、冬がそこまで迫っている事を感じる冷たい空気や、

自転車をこいでいる自分の姿が、一瞬にして写真のように蘇りました。

だけど・・・・・

写真じゃないな。音も匂いも温度も有るのだから。。。。


空を見上げたら、大きなヤシの木が私を今に連れ戻しました。

もうあの季節外れの焚き火の匂いもどこかに消えてしまっていました。

こんな風に、ほんのささやかなきっかけで、昔のワンシーンを思い出す事があります。

その頃の私が悲しい気持ちだったのか、幸せだったのか、不安だったのか?自信に満ちあふれていたのか?

細かい事は忘れてしまいました。色々な記憶が薄れても、鮮やかに蘇って来る風景は美しいものばかり。

それらの風景は私の歴史であり、私が生きて来た事の証のようで愛おしい。

不思議なもので、人生の大きなイベントだけが記憶となって残る訳では有りません。

むしろ、何でも無い平凡な一日が生涯の友となったりするものです。

もしかしたら『残しておきたい思い出は選べないのかな?』なんて思ったりします。

いずれにしても周囲に無関心だったり心を動かす事をしなければ、

時間は残り香さえも置いて行ってはくれません。

ですから例えば今日が何気ない、日記にさえならないような一日であったとしても、

やはり私はきちんと味わって生きようと思います。

頑張った日、頑張れなかった日、嬉しかった日、悲しかった日。。。。

イケてる日、サエない日。。。。

それがどんな日であっても、今日がもう2度と戻れない日である事に変わりはありません。

そしていつの日か、その時の自分から勇気をもらえる事が有るのを私は知っています。

毎日100%の力を出し切る事は難しくても、毎日を100%味わう事は出来そうな気がいたします。

7月の庭で、そんな事を考えました。

 

お元気でお過ごしでしょうか?

思いもかけず留守中に、ブログの向こう側の見知らぬ皆様から、

『生きているのか?』と、ご心配のメッセージなど頂戴し恐縮しております。

ハイ、生きております。 旅をしておりました

However, 時制を追いながら旅行記的なものを書くのが苦手な私です。

Therefore, また普通にボチボチと参りたいと思います。

お気にかけて下さった皆々様、有り難うございました。


では

 

 

 


キッチンから生まれるデザイン

2011年04月15日 | Soliloquy

食事の後片付けはお好きですか?私は案外好きです。

備え付けの大きな食洗器がありますが、使いません。

私にとって器を手洗いする事は、陶芸家としてとても大切だからです。

 

 

私のキッチンシンクの目の前はこのような感じで、庭の一部が見渡せます。

ここに並んでいるのは全て私の作品。

飾りではなくて、実際にお料理を盛りつけたりお花を生けたりして普段に使います。

この「目の前に出しておく」というのは私にとって非常に重要なのです。

私は少なくとも一日2時間はキッチンのこの場所に立ちます。

お料理をしながら、後片付けをしながら、自分の器に付いて考えます。

一生懸命見て、考えて、使って、自分の作品を理解するのです。

自分で作っておいて理解も無いものだと思われるかもしれませんが、

そう簡単に器を理解する事など出来ないものです。

ひとつひとつ器を丁寧に洗いながら土と語り合ううちに、

ようやく少しずつ、見えて来るものが有るという程度のものです。

 



おもてなしの器、普段使いの器、等と申しますが、

本当の所、果たしてその器がどのような役割を果たすのかは、

作り手や売る側が販売戦略として分類するのではなく、

使う方がお決めになる事です。

私はお料理が盛りつけられる絵ばかり想像して器を作る事はしません。

収納を含めた後片付けの事まで考えて作らないと、

使って頂ける頻度が減るからです。

我が家はおもてなしが仕事の一部ともいえるのですが、

お客様がお帰りになった深夜に器を洗う時などは、

本当に器のデザインを考えるのには最良の時間です。

疲れていても、洗うのが苦にならない器が、

実のところ最も出番の多い器だったりする訳です。


日常の中で使いながら問題点を改善し、器を理解し、

次作のデザインを考える。

私の器はキッチンから生まれます。

 


パスタの思い出

2011年03月16日 | Soliloquy

毎日パスタしか食べられない時代が2年程有りました。(お金が無かった~。あはは)

今は小麦の価格が上がって、そういう訳には行きませんが、

当時は4箱のパスタが日本円で150円程でした。4箱有ると二人で8食分です。

御飯は滅多に炊けませんでした。おかずが欲しくなっちゃいますから。

安価に手に入る食品が日本とは全く違っているので仕方が有りません。

今、被災地以外でも食品の入手が困難になっているとの事。

その事を考えていたら、当時の事を思い出したのです。

無論私達の貧乏は行きたい道を行く為に模索している過程のことで、

自分達が好きで選んだ事。身から出た錆というべきかな?

食料不足で苦しんでおられる方々と比べているのでは有りません。


その頃私が絶対に諦めなかった事は、美味しく食べる工夫でした。

食べる事は生きる事。どうせ食べるなら笑って食べようと、

毎日食卓を楽しくすることばかり考えていました。

美味しい物を食べる努力をする事は贅沢な事ではないと思います。

手に入る限られた食材で笑顔をどう創り出せるか、

窮しているときこそ、クリエーティビティーの見せ所ではないかと思っていました。


そんな私なのですが、色々考えて二つの事を始めました。

食費と電気代の節約です。

停電は大変な問題になっていると知りつつも、私が節電しても。。。。。

と最初は思っていたのですが、節電して浮いた電気代をプールして寄付できるぞ!と思いまして。

食費も、パスタばかりで2年生き延びた私達ですから、節約は得意です。

そこからも寄付金が捻出出来そうです。

とりあえずの寄付金は既に手配しましたが、この戦いは長期戦。

自分たちのゴールを決めて、工夫しながらチャレンジして行きます。


笑顔の食卓は、元気の源です。どうぞ皆様も自慢の腕を振るって、

笑顔の食卓をクリエイトして下さいますよう。


VOICE

2011年03月15日 | Soliloquy

災害発生以降、私達の元には様々な国の知人、友人から励ましの言葉が届き続けています。

こんなに沢山の方々が心配して下さっている日本という国を誇りに思います。


人は日々種を蒔きながらら生きていると申します。

その種がやがて芽を出し、根を張り、花を咲かせ、実を結ぶと。

私達の元に集まる思いやりに溢れた言葉は、

日本人としてあなたが蒔き続けて来た種が、今実を結んだ事の証のように思えます。

海外滞在時にあなたが見せた優しい笑顔、美しい振る舞い、

また外国の方々にあなたが差し伸べた優しい手、言葉、親切。

あなたが長い年月をかけて蒔き続けて来た種が

『おもいやり』という美しい花を咲かせています。

世界中の方々からの愛に溢れる声はあなたに届いているでしょうか?

どうかあなたが涙を拭い、胸を張り、

今日も美しい花を咲かせる種を蒔き続けて下さいますように。


大好きな日本の為にと、寄付の申し出も頂いています。

海外の団体の場合、募金が一定額に達すると、

それ以降は別の目的に使われることもあるのだそうです。

世界中に助けを求めている方々が居られる以上、それは仕方の無い事ですが、

特に日本の為に何かしたいと申し出て下さる方々の思いが、

間違いなく目的の場所に届く様、私達は責任を持って手続きをしたいと思っています。

こんな私達にも、ささやかながら役に立てる役割を与えて頂けた事に、

心から感謝です。


抱きしめる

2011年03月14日 | Soliloquy

 

人のぬくもりが言葉以上に伝わる事が有るのを、

私は日本を離れて暮らすようになって実感した。

当初、言葉でコミュニケーションが取れなかった私の心は、

悲しみや不安が襲って来る度にフラフラと宙を彷徨った。

そんな時、度々周囲の人が言葉の代わりに抱きしめてくれた。

体温がジワジワと伝わって来るにつれ、

彷徨っていた心がしっかりと自分の中に戻って来るのを感じた。


被災地で不安な時間を過ごしている方々はもちろんの事、

被災地に住む家族や知人友人の方々を思い、

不安を抱えておられる人達は日本中に居られるだろう。

そんな時、かけるべき言葉を見つける事は難しい。

けれども抱きしめる事で、伝えられる気持ちも有ると思う。

日本に抱きしめるという習慣が無い事が悔やまれるけれど、

どうかしっかりと抱きしめてあげて欲しい。

そのぬくもりの力はとても大きいと思うから。