カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

砂漠へ Vol.2

2011年07月29日 | Travels

ハイウェイを走り続けて、車内の温度計が摂氏40度を超える頃、

突然左側に見えて来る、今走って来た道とは違う風景。

砂・・・・・

砂・・・・・

砂・・・・・

砂。


少し赤みを帯びた白い砂と青い空の他に何も見えない世界です。

砂漠。。。。。。

私が子供の頃からずっと心に抱いていた砂漠のイメージが目の前に広がっています。

ゆらゆらと灼熱の中に浮かぶ陽炎からは静かな音が聞こえます。

何時間でも何日でもこの砂の中に居たいと思いましたが、

靴底を伝って容赦なく登って来る熱で数分と砂の上に立っていることは出来ませんでした。


迫って来るのは衝撃的なパワーとエナジーとしか表現出来ません。

それを言葉にすることはとても難しい。

私の言葉などその程度もの。

肝心なことは言葉で何一つ伝えられないのです。

でも嘆くのは止めましょう。

私には言葉以外にも表現の手段が有るのですから。。。


来て良かったな。

砂漠は私の作品にジワジワと影を映していく、そう感じる今日この頃です。


では


砂漠へ Vol.1

2011年07月27日 | Travels

早朝のハイウェイを南へ。

無限に広がる風車の群れを過ぎ、

岩・・・・・

岩・・・・・

・・・・・どこまでも続く岩。


私が住んでいるところは、かつては赤土と岩しか無い、まさに砂漠だったところです。

長い年月をかけ、人々のどん欲な開拓精神によって人が住める場所となり、

やがて世界の大都市となりました。

普段の生活の中では砂漠を感じるのは、夏の間に何度か乾き切った熱風が吹き荒れる時位で、

遥か600マイルの彼方から運ばれる水に潤され、砂漠は息をひそめています。

それでも車で30分程走ると、低い岩山と赤土の大地が広がり、

ここは砂漠なんだと知ることになるのです。


写真の様な、岩と赤土の砂漠は私にとっては見慣れた風景です。

『だけどこの砂漠、私のイメージと違うのよね。』

ずっとそう思っていました。

今回の旅で、私がずっとずっと見たかった別の砂漠の形を訪ねました。

その時のお話は次回。


To be continued.

 



 


クルーズ

2011年07月13日 | Travels

船旅をしていました。

今回はスタッフも含めますと世界65カ国からの人々と同船いたしました。

日本では一般的ではないかもしれませんが、こちらでは長期旅行にクルーズを選ぶ人は多いのです。

理由は、老若男女を問わず、体力が有っても無くても、

それぞれが自分のペースで楽しめるからかと思います。

クルーズ船は巨大なホテルがそのまま海の上を移動している様なものです。

客室、幾つものレストラン、、ショッピングアーケード、カジノ、劇場、スパ、ジム、プール・・・・・

24時間眠らない巨大なホテル。

バケーションをどのように過ごすか?好みは様々かと思いますが、

おそらくどんな方も、ここではそれなりの過ごし方を見つけることが出来るでしょう。

航海中は客室の窓から、刻々と姿を変える海を眺めることが出来ます。

岸から眺めるのとは少し違う、とても静かな海です。

目的地によって、様々な長さやコースが有りますが、

夕方から朝にかけて航海し、日中は停泊している港から出発する様々なツアーで観光したり、

ビーチで遊んだり、どこにも出掛けず、ゆっくりと船の中でスパ三昧、船上のプールサイドで読書。

クルーズ中は参加者全てが自分の事だけ考えていれば良いのです。

誰かがにわかツアーコンダクターになって、参加メンバーのために疲れ果てる必要は有りません。

24位間体制で小さな子供を預かってくれる託児施設も用意されています。

普段は夜遊びなど考えられない子育て中のお母様方もナイトライフを満喫出来ます。

それがクルーズですので、家族や仲間等と大勢で同じ場所を旅していても、

誰も無理をせず、他人に気を使う事無く、ご自分の休暇を楽しめるのではないかと思います。

いつも思うのですが、クルーズ船には他のリゾート地では感じる事のない、

独特な空気が流れているように感じます。

何一つ不自由の無い旅。全てが華やかで完璧に準備された旅。

行き先に何が有るのか、明日は何を食べるのか、最後の最後まで先が見通せる旅。

私達二人だけなら決して選ばない旅です。

それでも、もう何度このような船旅をしたことでしょう。

参加者全員が心行くまで楽しめるクルーズは、やはり素敵な旅の形だと思います。

今回の旅の主役は私達ではなく、同行した大切な人達。

旅慣れている訳ではない彼らにも、旅の開放感を満喫して欲しくて選びました。


最初は巨大に感じたクルーズ船も、何日かしますと顔なじみの方々が出来て参ります。

例えば深夜のコメディーショーで席を隣り合わせた方、昨夜レストランで同席した方、

ナイトクラブでステップを共に踏んだ方、早朝のヨガクラスで毎朝顔を合わせる方等々。。。

そういう旅で頭を悩ませるのが毎日のお洋服

顔なじみが出来るという事は、いつも同じお洋服ばかり着ても居られなかったりするのですが、

お洒落はしたいけれど、客室のクローゼットの収納力には限りが有ったり、

何日かに一度はブラックタイがドレスコードのディナーが有ったり、

クルーズならではの悩みがあるものです。

次回はそんな私が今回スーツケースにパッキングしていったお洋服のお話など。


では


 


2011年05月30日 | Travels

 

 

私は陶芸を通して、常に自分と正面から向き合わざるを得ない。

実際に作品を作るに際しては、お使いくださる方の事を考えて制作するのだけれど、

結果的に出て来るものは今の自分なのだから、

やはり作品越しに自分を見ているというべきだと思う。

何を感じ、何を考えているかが今の自分だが、今の自分は過去の時間の積み重ねだ。

嘘をつく事もごまかす事も出来ないのだから嫌になる。




”木は森を見せてはくれない”

ある国にこんなことわざが有る。

森は沢山の木々で出来ているが、その木には葉が生い茂っていて、

木を見ているだけでは、森全体を見る事は出来ないという事だ。

人も、人の人生も同じだな。

一心不乱に内面を掘り下げていく事も大切だけれど、

そればかりでは自分の全体像が見えなくなる。

私に関しては陶芸が人生ではない。人生の中に陶芸が有るだけだ。

十代の終わりに手痛い挫折を経験し、その時は人生はもうおしまいだと本気で思った。

しばらくは手の施し様がない程沈んでいたけれど、

ある日、こんな馬鹿な話が有るかと思って吹っ切る事にした。

何かひとつを失ったぐらいで終わるような人生を私は生きたくなかった。




それから私は時々遠くに離れて自分を確認する作業を意識して始めた。

その作業が『旅』。私にとって旅行という言葉は何かしっくり来ないから旅。

日本を離れる前の一年間も、私達は日本中を旅した。

何でそんな事をしたのか、はっきりした理由は今も判らないが、

日本各地の、自分が会ってみたいと思う様々な分野の職人さん達に、

片っ端から手紙を書いた。もちろん誰一人、知っている人等居なかった。

その頃の私は当然陶芸等とも無縁だった。

何も知らぬ素人の手紙など相手にされないだろうという予測に反して、

多くの方が返事を下さり、訪ねる事を快く歓迎して下さった。

中には、私達にお金が無い事を知って、旅費滞在費のすべてを負担し、

一門総出で歓迎して頂いた事も有った。何故なのか今も全く判らない。

確かな理由も目的も無い旅だったけれど、結果的にその一年間の旅が私達の今を決めた。




普通の方々と比べて、かなり多くの旅を続けている私達だけれど、

その場所を訪れたなら誰もが一度は訪ねるであろう名所旧跡の多くを知らない。

旅先には必ず人がいて文化が有って暮らしが有る。

それを見るだけで手一杯になってしまう。

旅先で出会うものは笑顔や楽しい思い出ばかりではない。むしろそういうものは少ない。

やるせない程の無力感や、選べない人生の不公平、怒りと紙一重のむなしさ。

そういうものを持ち帰って来ては、日々の暮らしの中で咀嚼し、自分の血や肉とする。

私達の旅はそれで良い。




 

”木は森を見せてはくれない”という言葉が私にはストンと腑に落ちる。

私は森を見る為に旅をしているんだ。



 

日本は梅雨の季節ですね。降り続く雨が好きな訳では有りませんが、

梅雨時でなければ見られない風景を懐かしく思う事があります。

どうぞ日本の美しい季節をご堪能下さいますよう。

しばらく留守にいたします。7月までしばしのお別れです。


 


 


旅の終わりのカフェで

2011年05月19日 | Travels

ホテルをチェックアウトして、午後の便で帰ります。

しばらく時間が有ったので、ホテルのすぐ近くのローカルなカフェへ。

普段 soy milk 等飲まない私が、カフェでは必ずソイ・ラテ。

 

東京で暮らしていた頃は、仕事の打ち合わせ、友達との待ち合わせ等々、

日に何度もカフェ(コーヒーショップというべきか?)を利用したものでした。

今の私は全てが車社会。わざわざパーキングを探してコーヒーを買うのなら、

早く帰って、家で王様と。。。カフェは滅多に行かない場所です。


思うに、カフェ文化というのは『歩く人』がいる場所に栄える気がいたします。

世界中の街をくまなく尋ねた訳ではありませんが、

個人的にカフェの似合う街ナンバー1はベトナムはサイゴンです。

ベトナムコーヒーの濃い味わいが大好きというのもありますが、

容赦ない蒸し暑さ、バイクの騒音、排気ガスの匂い、屋台から漂う食べ物の匂い・・・・

それらが渾然一体となってお前は今ベトナムにいるんだからなっ!

・・・・・と、声なき声で迫ります。

長い間フランスの統治下にあり、フランス文化の影響を色濃く残していますから、

オープンカフェが当たり前。というよりオープンしか無いカフェもいっぱい。

澄んだきれいな空気というのもさわやかで結構ですが、私は人間を感じたい。

そんなわけで、サイゴンのカフェLOVEです。


いつもながら、話しがそれました。

今回尋ねた港町は、それはそれは寒いところでございました。

本当に一年中、毎日雨が降るのですよ。

一日一雨 >と目標を掲げているお天気の神様が居るのでしょう。

そんな街に、その名を知らぬ人無しの一大コーヒー帝国を築いたカフェの一号店があります。

私は入りませんでしたが、何時も長い行列ができているのだそうです。

コーヒーのお味は同じですが、店舗限定のマグカップが売っているとか。


この街に来る前は「なぜ、ここからだったのだろう?」

この小さなコーヒーショップが世界を手中に治めた訳が判りませんでした。

でも数日滞在してみて、少なくともカフェがこの街で暮らす人にとって、

病院や郵便局と同じ位、必要不可欠なものだと知りました。

港町はどこも急で細い坂道が多く、車の運転には不向きです。

それに伴い公の交通機関が機能的に整備されているので、人々は歩きます。

歩いておりますと海からの冷たい風がビルの谷間を吹き上げて来て、

震え上がる寒さに、雨まで降って来ようものなら、どこかに非難したくなります。

カフェです。

近くにあるカフェに飛び込んで、熱いコーヒーで体を温めていれば止んでしまう雨。

だからこの街には数百メートル毎にカフェが必要なのです。

そこで暮らす人々に必要とされている文化は絶対に廃れる事はありません。

カフェはこの街で暮らす人々のための傘なのです。



 

 

『文化を守る』

よく聞く言葉です。と同時に守るという事の意味を考えさせられる言葉でもあります。

どんなに素晴らしいものも、必要とされなくなれば消えて行くのです。

イベント等で一時的にその存在をアピールする事は可能でも、

本来文化とは人々と共に呼吸をし、人々と共に変化しながらその生命を維持して行くのです。

フランスからもたらされたエスプレッソ文化は、

暑い気候の中で濃厚なコンデンスミルクと出会い、

社会主義国ベトナムの気質に育まれ、今も人々と共に暮らしています。

シアトルの無数のコーヒーショップは有名無名問わず、

人々の傘として存在し続けています。


その土地で時間を過ごしてみると見えて来るものがあります。

守る事は、それを愛する事、必要とする事。

旅の終わりのカフェで、そんな事を考えました。


では