カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

パンチ・ファウンテン越しの夜景☆

2011年12月10日 | Soliloquy

パーティーに行って参りました。

今回は総勢60名程の中規模パーティーでございまして、毎年この時期恒例です。

丘の上のレストランのバンケットルームを借し切ってのパーティーで、

お部屋はレストランご自慢の夜景を見下ろせる、総ガラス張りです。

エントリーを済ませ、バーで飲み物を調達してから指定された席に着くのです。

、バーカウンター脇の窓際に、何やら怪しいものを発見。

それがこちら

ピンク色の液体が滝状に流れ、その液体がぶくぶくと泡を立てて溜まっております。

このピンク色の液体の正体はノンアルコールのパンチです。

ちょっと躊躇しましたが、テイスティング致しましたところ、結構美味。

オレンジとピーチをベースにしたカクテルで、甘みを抑えたさわやかな飲み口です。

皆様それぞれに、好みの飲み物を確保して座席に着いたらしく、

バーやパンチファウンテンの周囲は人がいなくなり、

その向こうに音の無い夜景が広がっていました。


私は昔から夜景が好きです。東京で暮らしている頃は夜な夜な高層ビルから眺めていました。

その時の気持ちは、クリスマスのイルミネーションを眺めるときのそれとは違っていました。

一つ一つの明かりの下に人が居る。私にはそう感じられるのです。

昼間はどんなに眺めの良い所から見下ろしたところで、目に見えるのは建物ばかりですが、

夜はその建物の中に人々がちゃんと生きていると感じられます。

一つ一つの窓明かりや、車のライトの向こうに命が見える。

夜が私に見せてくれる光は、人が一生懸命生きていることの証しのように見えます。

 

 

目の前に広がるこの明かり達のように、

人の命も明るく輝いて、目に見えたらいいのに。


そうすれば、

自信満々のあの人の命も、落ち込んでいるこの人の命も、

笑っている君の命も、泣いているあなたの命も、

同じようにキラキラと輝いていることが誰にでも判る。

そして、姿はそれぞれ違っていても、

その命の輝きの大きさは同じなんだって、ちゃんと見える。

生命体としての命の輝きは、ちっぽけな心なんておかまい無く輝いている。

それを見たら、安心出来る人はきっと沢山いるんじゃないかな?

 

皆同じだよ。大差ないさ。

大丈夫!

あなたの命はちゃんと輝いているよ。

 

 

パンチ・ファウンテンの向こうに広がる夜景に向かって、

私は心の中で、そんな風につぶやきました。

さあ、この不気味なピンクの液体をグラスに注いで、賑やかなテーブルに戻りましょう!

女性ばかりの私のテーブルでの今夜の話題はジェーン・バーキンとH社のバーキン。

楽しい夜になりそうです


 

Have a fabulous and brilliant weekend every body !







あなたの薔薇

2011年09月06日 | Soliloquy

 

今朝、いつもの様に王様とお散歩に行く為にローズガーデンの前の小道を通ったら、

薔薇が綺麗に咲いていました。

あなたの薔薇です。

初夏のしばらくを、あなたが過ごしていた部屋の窓から見えていた薔薇。

あなたが訪ねてくれる事が決まった時、

私が真っ先にした事は、薔薇に肥料をあげること。

普段誰も使っていないのを良いことに、あまりにも殺風景なゲストルーム。

窓から見える薔薇を大きく咲かせてあなたを迎えようと思いました。

あなたが到着したのはもう暗くなってから。

翌朝、嬉しい「おはよう♪」の後で「凄く素敵な薔薇!」と言ってくれたよね。

花は、誰も見ていなくても力を蓄え花を咲かせ、

その命を全うする強い強い生き物だけれど、

誰かが自分に気付いて、見守ってくれていることをちゃんと知っていると思うよ。

だからこの薔薇は、あなたが気付いてくれていたことをとても喜んでいたはず。

あなたが遠いところに帰って行く朝も、あなたはこの薔薇を見ていたね。

私はその後ろ姿にかけたい言葉が沢山有って・・・・

それでも何も言わないで、あなたのスーツケースを車に積み込むことにしました。

 

あなたが素敵だと言ってくれたから、この薔薇はあなたの薔薇になりました。

またいつの日かあなたが訪ねてくれるまで、

私がしっかりとお世話をすることにします。


何でも無いものが、特別なものになって行く。

それが思い出。

 




私のパワースポット

2011年08月21日 | Soliloquy

今しがた、庭から見上げた空です。

白とピンクの百日紅も椰子の木も、そして私も元気です。

しばらくぶりにブログの写真を撮ろうと見上げた空は、少しだけ高くなり、

青一色だった真夏の空に、千切れ雲が浮かんでいます。

賑やかに、少しだけ忙しく流れていた我が家の真夏時間が山場を超えて、

寂しい様な、でも少しホッとしたような気持ちです。

私はこの世の万物にそれぞれのエネルギーが宿っていると感じています。

そしてそのエネルギーはお互いに呼応し合っています。

私が私であるために、周囲を取り巻くエネルギーのクオリティーには常に神経を払います。

このエネルギーは例えるなら磁石の特性とは逆の動きを示します。

プラスはプラスと、マイナスはマイナスと引かれ合い、そのパワーを増長するのです。

如何にプラスのエネルギーを集めるかが、私の心の健やかさの鍵を握っております。

パワースポット等という言葉もございまして、

わざわざ時間やお金をかけて足を運ばれる皆様も居られる様ですが、

私はそういうことに限って大変倹約家でして、

何処かに出掛けずに、居ながらにして常に自分の居場所をパワースポットにしようと目論んでおります。

古来から、どのような宗教であっても、人々が神に捧げて来たものは美と食。

咲き誇る花々、ステンドグラス、金箔、漆、天然石、大理石・・・・

その土地に昔から根付く、深い文化に裏打ちされた酒や食べ物。

恐れながら、神様は綺麗なものや美味しい物がお好きかと思われます。

そう考えまするに、自分の周囲をどちらの神様と特定せずとも、

とにかく神の力がみなぎったパワースポットにすることは造作無いことに思えてまいります。

自分自身が常にポジティブなエネルギーを発信し、

祈りを込めてお掃除をして、美しいもの(もちろん高価なものを意味しません)を周囲に配置し、

おざなりでない、丁寧に整えたお食事(こちらも豪華食材とは全く別の次元です)をいただく。

私はこの節約型、もしくはエコな手を使って、常にパワースポットに住んでいると勝手に信じている、

おめでたくも幸せな女でございます。

 

この夏は嬉しいことに次々と様々な人達が訪ねて来て下さっております。

そしてそれぞれの方々が、プラスのエネルギーをお土産に置いていってくださいます。

私はおもてなしの心を込めて、家の中を整え、キッチンに立つのです。

夕べはひと月に渡るヨーロッパへの長旅から戻ったばかりの友人が訪ねて来てくれました。

私にとって、旅の先々でのお話を聞くことほど心躍るものはありません。

私が見たことのない美と食とポジティブなエネルギー。

旅人はそんな素晴らしいエナジーを運んで来てくれるのです。

我が家のプールサイドも昼と夜では全く違うエネルギーを放出します。

昼間、お客様達が残していってくれた賑やかで屈託のない笑いのエネルギーを吸収して、

夜には静かで安らぎのあるエネルギーを私の元に届けてくれます。

今日も皆様の周りに健やかなエナジーが満ちあふれていますように。

 

夏は、まだまだ続きますゾ。私の大好きな曲をどうぞ。

 

 


手紙

2011年07月21日 | Soliloquy

私の長年の憧れであり、大変尊敬している画家の女性から思いがけずお手紙を頂きました。

私の作品を長く愛用して下さっておられ、

新作をお届けする度に感想やお礼をお電話や人づてにお聞かせくださるのですが、

改めてお手紙を頂くのは初めての事です。

お手紙には私の器に対する優しい思いや、制作を続ける私への励ましの言葉、

ご自身の制作活動の様子などが美しい文字で綴られています。

繰り返し読む程に、スッと伸びた背筋や優しい笑顔、そして何よりも私の愛する作品の数々が思い出され、

心が豊かになって来ます。

が!

何度か読み返すうち、いや~なプレッシャーが首をもたげて参りました。

「礼を尽くす。」これは私が何よりも重んじる事でございます。

という事は、私はこの美しく心のこもった直筆のお手紙にお返事を書かない訳にはいかないのですっ

何もかも、メールに任せている昨今の私のていたらく。

最後に手紙を書いたのは何時の事だったか思い出せません。


手紙を書くのは話しているように書けばいいんだ、その人と話しているつもりになって。

初めてのとき、手紙を見ただけで会ってみようかという気持ちになることもあるし、

逆の場合もある。だから、手紙は大事だね。書きかたは、結局、気持ちを素直に出すことですよ。

あくまでも相手に対面しているというつもりでね。そのときにおのずから全人格が出ちゃうわけだ。

それで悪ければしようがない。(池波正太郎先生著 男の作法より抜粋)

 

私が人生の師と仰ぐ池波先生がこのようなことを仰っておられるのですよ。

励まされているとも取れますし、『お前には無理無理』と言われているようにも思えて微妙。

いずれにしても、私は書かねばなりませぬ。

真夏の午後の数時間、汗だく(ま、冷や汗ですな)で書きましたとも。手紙を。

書きながら私は強く強く思いました。時には手紙を書かなければ駄目だと。

キーボードを叩けば自動的に連なる文字を並べたメールと、

一字一句に思いを込める手書きの手紙との間には、

絶対に埋めることの出来ない違いがやはりあるのです。

書き終えて眺むれば、情けなく悲しい文字の連なりよ。

果たして私の思いは届くのでしょうか?

 

かしこ