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もんく [とある南端港街の住人になった人]

幸せは状況より決意

また昨夜も工場へ車を飛ばしてしまった。午前2時だ。

帰ったのが午前3時半。短く済んで良かったと言えばそうだが、その後朝普通に6時半に起きて7時半には出勤した。頭ちょっとグラグラするが。何て不健康な。


ところで、人間はかなりの確率で間違った決断をする。決断と言うより決意と言うべきか?

どんな悪い状況の中でも幸せでいられる人がいるらしい。これはまさにその決意の現れだとか。幸せは置かれた状況によると多くの人が考える。が、そう思った時点でほとんどダメ。不幸の始まり。不幸の片道切符。なぜなら、自分にとって完璧に良い環境や状況が人生の中で続くなんて家の庭で徳川の埋蔵金掘り当てるようなものだから。

でも、いくら幸せでいる決意をしたところで本物の不幸ってのもありそうに思う。状況の力の方が強大になる可能性だって無いとは言えない。世の中には戦争みたいな事は起きているし、それで親兄弟が亡くなったり自分も大怪我してたりする人がいるのだから。経験浅い自分にはどこかの新興宗教の教祖様みたいに決定的な事は到底言えないのだ。

でも、そうなる前には一応、ある程度は何があっても普通程度にしていられるはず、そんな位には決意はしておかないといけない。あまり状況に左右され過ぎるのは自分自身にとって正当な置かれ方じゃないとも思うから。


これ以外にも変な決意をしている人はけっこう多いと感じる。その多くが自分を守るためにそれをしている。

他人を支配しようと決意していて、理不尽な要求を押し付けて来る人。例は亡くなった自分の父親がそれだ。具体的には言わないけれど、そんな人だった。

自分が劣っているのを必死に隠そうと決意していて、新しい事を何も学ばない人。学んでいる最中はどうしてもレベルが低い。そう言う状況が嫌で何もしない。それは自分の仕事範囲じゃないと言ったり、必要無いとか、興味が無いとも言う。


決意、意図的にできればそれに越した事は無いが、人生少し長くなって来るとほとんどそれを無意識にやってしまう。気をつけていないといけないな、と思う。
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