もんく [とある南端港街の住人になった人]

卒研から1年

信じられないものを信じてみたり、信じているものを疑ってみたり.......

去年の今頃は卒研の最終面接だったとは信じられないほど環境が変った。もう何年も前のことのように感じてしまうが、まだたった1年前だ。もっとずっと前のことのように感じる。


続きを書こうと思っていたけれど、冷めてきたので止めとこうかな。

まてよ....でも、少しだけ。


建物を考えるときに壁が作られる。この壁はたいがい垂直に立っている。
おー! それななぜなんだ?

その壁はたいがい直線上にある。そうでない場合はCADで描いたようにきれいなRになっていたりする。
おー! それななぜなんだ?

そして壁はたいがい同じ厚さでずっと続いてどこか別の壁か柱などにぶつかって終わる。
おー! それはなぜなんだ?

従って建物の形も四角かったり丸かったりする。
おー! それはなぜなんだ?

その四角は同じような四角と隣り合ってさらに大きな四角を形作る。
おー! それはなぜなんだ?

その建物を使う人は鈴木さんだったり橘さんだったり綾小路さんだったりするのになぜか同じ形の部屋に住まわされたりする。
おー! それはなぜなんだ?

空間と名付けられたものは区切られていてどこで何をするか平面図で決められていたりする。
おー! それはなぜなんだ?

人は統計的に集合として扱われる。お年寄りと言う集合、子供と言う集合、夫婦と言う集合、単身者と言う集合、その他いろいろ。
おー! それはなぜなんだ?

一度建築がなされると生活の仕方はフリーズさせられてしまう。3日後、1週間後、1ヵ月後、3ヵ月後、1年後、6年後、14年後、22年後、48年後、115年後にもそれはフリーズしたままだろう。
おー! それはなぜなんだ?

現代建築の限界ってのは技術による限界より意識の限界なのかもしれません。
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