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もんく [とある南端港街の住人になった人]

さよならの意味

昨日は最後のところに「さよなら」と書いたのだが、キャサリンさんはそれがなかなかできないで心理的にきついらしい。

まず、さよならの意味だけれども、大きく分けて2つあると考えている。最初は、濁った水には住まないという方。自分の人生の事を考えれば濁った淀みにいつまでもいる必要はないわけだし、適当に澄んだ綺麗な水の流れに移るのが良いと思う。別に淀みのナマズと付き合わなくても世界には他にも魚はいる。

2つ目は、尾ひれで泥を掻き回す魚には、そんな事するなと注意しても無意味だという事。良かれと思って何かしたり言ってやったりしても、相手が絶対に怒ると決めているのだから何やっても、そして放っておいても同じ。前に書いた事があるが、ムスリムの作業員が昼間に食堂でビールを飲んだという噂を聞いた管理職が本人を呼んでまずしたのが「怒る」事だった。何も聞かずに、証拠も無しにだ。そういう人は世の中にたくさんいる。仕方ないと諦めるしかない。

ついでにもう一つ言っておくと、それで彼らの人生が上手く回るのならば、それも自由なので放っておいてやるのが優しさというものだ。怒らなくなったらきっと回らなくなるから。

というわけで、関わる必要もないが、関わっていると自分の人生の時間も消費してしまうので損だ。時間消費といえば、そういう事を思い出して頭で何度も考えると牛が草を食べる時にやっている反芻(はんすう)のようになって、悪い事を何度も何度も味わわなければならない。すると自分の脳に悪い思い出を何度も上書きして強化してしまう。怒る人はきっと1回で済ましているが、それを受けた方は何度も何度も空想の中で経験させられてしまうのでサッカーで言えばオウンゴールの練習しているみたいなバカな事になる。

そういう事でちゃんと言おう、「さよなら」と。




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