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もんく [とある南端港街の住人になった人]

シレッとやる

今日もどこへも行かず、プログラミングをずっとやっていた。何とか一区切りついて、明日からはしばらくぶりの出勤になった。

ところで今日のスランゴール州の新規感染者は400名超えとかなり多かった。多分PCRの検査結果が順次出ているのだろう。この件で驚く事はもうない。


3月の半ばから今まで8ヶ月。通常の事を考えるとかなり例外的に時間があった事になる。家にいて自分自身の為に使う時間は多かった。その間に何ができたのだろうか?自分は?まあ、ほとんどパソコンでプログラミングしていた。新しい事をいくつかできるようになったかもしれない。実践的とは言えないかも知れないが。

その意味で、(これからもあるかも知れないにしても) 本当に特別な1年だったと思う。貴重な1年だった。(まだ1ヶ月弱あるけれど。)

同じ事を若いうちにできたかと言われると、きっとできなかった。小学生の夏休みみたいにボヤボヤして無為に過ごしてしまったに決まっている。若い頃と何が違ってきたかと言うと、それは多分「決意」のような気持ちだろう。歳とって決意も固くいろいろできるようになったかって?

いや、それは逆だ。決意とかそう言う事をしなくなったのだ。

なぜかと言うと、決意とかやる気とかそう言うものを何も信じられなくなったと言うのが正しい。そう言うものが必要なのは、そもそもやりたくないと言う事なのだから。大学を出て最初に就職した時の研修で人事の人が言っていた。「朝起きて、鏡に向かって大きな声で言うんです。『頑張るぞー!』そうするとやる気なんて出てくるんです。」ほーそんなものかな?と聞いていたけれど、その後どう考えてもそんなの長続きはしないと思った。

それから仕事に入って職場を見ていて、どうもそんな雰囲気じゃないなとも強く感じた。やる気とかそう言う言葉とはけっこう遠いんじゃないかな?と。大きな会社だったし、待遇もそれなりで、しかも副社長の直下になっている研究職だったけれど。他の会社でも似たようなものだった。だからダメだったとかそう言うわけじゃなくて、良いかダメかと、やる気や決意は無関係なのだと知った。朧げながらにそう感じていたけれど、今はちょっとはっきり感じる。

いろいろな事、仕事でも個人的な何かでも、奮起しないでシレッとやってなきゃいけないんだ。
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