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もんく [とある南端港街の住人になった人]

「あの人は生産性が無い」って使い方は、あの、その・・・

レコードプレーヤーのためのヘッドシェル+カートリッジの注文でミスしてしまった。ヘッドシェルにカートリッジは付属していなかった。中古(持っていた人がカートリッジだけ使ってヘッドシェルだけ使わなかった物)なのでカタログ通りじゃないのをちゃんと画像で確認しておかなかったため。完全に自分のミス。


というわけで、急遽カートリッジだけ別に買った。こちらも時代の名品ではないがソニーの中程度の製品だ。月曜日か火曜日に到着して欲しい。



いつものようにここから別の話題

今日、いやそうじゃない、以前からだが、キャサリンさんが「生産性」という言葉をよく使うが、この言葉にとても違和感があった。たまたま今日、気付いた。生産性の定義が違うことに。

報道などで生産性と出てくると、それはアウトプットとインプットの比率を指す。だいたいが儲けに対する投資金額だ。報道などではそれしか想定しようがない。会社とか業界は金額で計算できるから。それ意外だと人の生産性だけれどこれも投資とプロフィットという前者の延長上の考えだ。ただ、それは全体とか平気とかだ。

キャサリンさんが生産性を使うのは特定の個人に対してだ。「生産性の無いヤツら」という感じ。思い起こせばどこかの政治家が「家庭の主婦は生産性が無い」「子供産まない女性は・・」みたいなことを言って批判を浴びていたが、それと同じ使い方だろう。

言わんとしていることはわかるのだが、ちゃんと理解するには難しい。生産性は出入の比率だから数値を大きくするには出を増大させるか入を減少させるという方法がある。だが、上記の使い方であると入を減少させるという考えは含まれない。どちらかというと、ガリガリと入を大きくしてやってる感が大きい方を生産性が高いと言うようなことになっている。親が子に「勉強しなさい」と言って子が机に向かっているのを見て安心するというあれ。

実は物を生産する工場ではそんなのは論外なのだけれど、イメージ的にそうしたやり方を推奨してしまう人もいる。そこで働いている以上プロのはずだが・・・。 工場の場合インプットに設備の分も入るから場合によっては、ということも無いではないが、基本的には間違っている。

まあ、それはそうとして、生産性などという言葉を生産に全く関係ない個人が(政治家も含めて)テキトーに意味をねじって使うのはどうしたものかと考える。工業生産をやっていた自分は言葉はもちろん知っていて仕事で使うこともあるが、それを日常生活で使おうと思ったことはない。報道で目にするのはあるがそれは経済の用語だから仕方ないと思う。それを誰か特定の人に向かって「生産性が無い人」とは言えない。

ともかく困ったものだ。
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