もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「この胸いっぱいの愛を」 -雑でーす。

昔からの言葉に「死んでも死にきれない」と言うのがあります。
実際、そんなのは誰にとっても嫌だと思う。
できれば後悔しない選択が常にできたらそう言うことも無いのだろうと思う。



この映画の登場人物4人の中で自ら間違った選択をしてしまったのは主人公の比呂志と光男(影の薄い人)で、他の2人、輝良(チンピラ)と老婦人は自己の選択でなくて偶発的な出来事によって後悔を背負ってしまったと言う違いがある。

後の2人が出てくることによって、生きている間の自分の選択や生き方と言うものにこの映画が示唆を与える役割を放棄してしまっていると思える。この映画の趣旨が単に「生」と言うものへの賛美であれば現在、その生に対して我々ができる事に焦点を当てているのでなく、死んでからの単なるSF的エピソードを描いたに過ぎない。

命を大切にと言う当たり前の事だけで、実際に今何をすべきか、どう生きるべきかまで言わない。それが普通の日本映画であって、結論や製作者の主張を入れるのは好まれない。見る人が好きなように解釈すれば良いと言う態度はもう止めて欲しい。映画自体がつまらなくなる。

この映画、いったいどう言う事なのか?

各々のエピソードは感動的であるが、全体として見ている観客へ何を言いたいのかがぼやけてしまっているようだ。前後にカットして良いような部分もあるし、4人は多すぎる。死んだ人間のためにわざわざ辻褄が合わないように歴史を変更してしまったのも余計だし、1986年にあるはずのない飛行機の残骸を見せるのも分からなくさせている。そして20年前と現在の映像がキャプションが付かないと区別できないのもつまらない。

(結果:もうちょっと練ってから見せて欲しい)

コメント一覧

kimion20002000
残骸
http://blog.goo.ne.jp/kimion20002000/
TBありがとう。

ああ、飛行機の残骸ね。魂と一緒に、くっついてきたか。バミューダトライアングルみたいな、次元の裂け目に入り込んでしまったか。

ちょっとした工夫でそういう感想を持たなくさせられると思いますけどね。
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