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もんく [とある南端港街の住人になった人]

外国人作業員の査定は簡単じゃない

半年に一度の査定の季節が来た。

外国人作業員の査定ってのは簡単でもあり難しくもあり。

(簡単な部分)
外国人作業員の査定はしても給料に反映する部分なんかわずか。やっても仕方ない程度。もしかすると出席点の方が影響が大きいかもしれない。これが1つのポイント。もう1つは適当に点数付けてしまっても彼らあまり文句言わない。上司の機嫌を損ねる方が彼らには不利と思っている節があるので適当に書いてしまってこれで良いかと聞くと絶対にそれで良いとなる。

(難しい部分)
上司がテキトーに書いてしまってもしほんの少し隣の人と差が出てしまうと彼らにとっては気持ちが良くない。それは外国人労働者ばかりじゃないと思うが、特に彼らは他人と同じところで同じように仕事していると認識しているのでちょっとの差の理由がわかりにくい。同じ時期に入ったら同じだと思いたい。ただ、実際、働きに差が無いかと言うと、ある。ちょっと機転が効く人とそうでも無い人、特殊技能をたまたま持っていてそれが使える人とそれが無い人のような事。

ただ、仕事全体として見た場合、ここでそのちょっとの差を付けて給料を変えるのが良いのかどうか?これは考え所。全体として見た時には実はあまり違わない方が良いように思っている。その方が彼らも何となく安心するように思えるから。ここでの給料はこんなものと思ってくれた方が、がんばったり落ち込んだりするより余程良い。

と言うのは、彼らの責任は仕事にちゃんと来て決められた事をやると言う事がまずあり、その結果に関しては彼らの責任ではないからだ。ならば気持ちよく仕事に毎日来てくれた方が有難い。それに安全かもしれない。知識もスキルも無いのに無理する必要なんて無いし、仕事場としてはそれで怪我される方が問題が大きい。

(別の意味で難しい部分)
この査定の仕事、簡単な部分との認識が先行してしまい、ちょっと軽いと思われている。評価する方法に関しては1人あたり1枚の紙が来るだけだし、中身は例によって一般的な(はっきり言ってどうでも良いような)ものになっている。それが新たな問題を産む。

直属の上司はこの場合現場の管理人と言う事になるので彼にこれを持って行かせる。各自自分が納得する評価である方が良いと思うのでまずは自分で書かせるように指示する。が、これがテキトーにやる。昨日渡して今朝出せと言うと朝になってテキトーに書いてサインだけ取って持って来る。紙を見ればそんなのすぐにわかる。

外国人作業員は例によって上司が書いたのに反対意見なんて出せないから言われるままにサインだけする。こう言ういい加減な査定を儀式のようにするのならやらない方が良いような状態になる。紙が無駄だ。

どうにかすべきはこっちの問題の方だったりする、実は。
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