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もんく [とある南端港街の住人になった人]

良い人とか親切とかおもてなしとか、そういうのは必要無くて、こうでありたいと思うようにすれば良いだけ

昨日、WFPに寄付したと書いたけど、こういう書込みすると絶対変に誤解されるよなあ〜と思うんだ。

そもそも我々日本人って寄付とかほとんどしないわけで、それだけでもある意味変なんだよね。そう思うでしょ?


まず考えるのは、寄付とかしてそれをしましたって公開すると、ある人は単に「優しい」とか言うだろう(そこで思考は止まる)し、ある人はそんなことわざわざ言うのは偽善だと言う。それとかお金あるからと変に勘繰る人もいないとは限らない。(うち、真面目にお金そんなにないよ。減らさないようにやってはいるにしても)

でもね、真相はそんなのとは全く違う。

これは単に生活のスタイルの問題。日本だと働いていて税金払ってさえいれば自分周辺の全ての環境整備って役所がやるみたいな考えになっている。でもそれだけじゃ世の中成立しないよな、と感じている。実際、この周りにはギリギリの人もけっこう多いし、自分も・・・少し先にはどうなるかわからない。


だから、優しさ、おもてなし、思いやり、やる気、なんて個人の気持ちにそういった行為が還元されて評価されるべきじゃないと考えている。優しくなくても親切でなくてもお金があるとか無いとかそんなのはどうでも良いのだ。

時々買い物ついでに他人を車で拾ったりしているけど、そんなこと誰にでもできる。歩道で高齢者や足が不自由な人が買い物帰りに疲れてしまっていたり、外国の人が道に迷っていたりしたとき、それを全て税金で動いている役所の人や警察官がどうにかしなければならないとしたらどうだろう?高齢者だけが住む家でゴミを回収する場所まで運べないというようなのは現実にあると思うが、それを解決するために役所が何かすべきだろうか?することも無いとは言えないが、完全に解決できる気もしない。

だから、誰かが何かできる範囲でするということが、そもそも必要なのじゃないかと思っているだけ。そういう社会の方が良いと思っているだけ。


重ねて言うけど、別に親切とか良い人とかそういうのじゃない。こうなったら良いなと思う状態に自分を当てはめているだけだ。

まあ、こう言っても多くの人は何も理解しないだろうけど。



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