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もんく [とある南端港街の住人になった人]

1ヵ月後に向けてみんな、練習・れんしゅう・レンシュウ

1ヵ月後の3月半ば、工場のディナーパーティーがある。

創立記念日とかそう言うのでは無いから毎年の日付も決まっていないけれど、毎年やる事になっている。スタッフばかりじゃなくて作業員も全員、バスに乗ってどこか大きい会場を借りてビュッフェと歌や踊り、抽選会などをする。

日本にいた時もこう言う催しをする会社はあったけれど、はっきり言って、自分はそう言うのが好きじゃない。できれば参加したくないとずっと思っていた。歌とか踊りとか、やりたくないし、と。

しかしまあ、この歳になるとちょっと考えも変ってきた。と言うのは、自分で何かやる必要なんか無くなってきて、見て食べているだけで済むから。つまりいるだけで済む。

そうなってからよく考えてみると、それはつまり、自分が会社のメジャーな年齢層とか階層から外れたって事なのだとわかった。全員参加みたいな事が言われていたけれど、実際は決してそうじゃなかったんだな、全員と言うのは主流を成すある人間の塊がメインになって参加していれば良いのだな。参加せよとうるさく言われた時代、自分もメジャーな階層の中にいたのだった。

子供が、玩具が欲しいとき、親に「みんな持っている」と言う。みんなってのは子供にしたら学校とか同じ年代とか、要は同じ塊の中の"自分たち"を指すわけで、決してそこに親は入らない。親にしてみれば「みんな」って言われてもねえ...なのだ。

大人だってiPhone、欲しいな、楽しそうだな、みんな持ってるなと考えて買ったりしている。その「みんな」だってそんなに広いみんなじゃないかもしれない、実は。海外にいてたまに日本にいる旧友とメッセージやり取りしていると、あれっ?何か違うな、と思うことが出てくる。そう言うときは、自分はかれらの「みんな」から外れてしまっているに違いないんだろう、なんて思ったりする。

それにしても、人間、都合よく「みんな」って定義をしたりするものだ。


と、あと1ヶ月ちょっとでディナーパーティーがあるのだけれど、外国から来た労働者たちはけっこう楽しみにしているらしい。だって、さっき、トイレの横の小さな部屋からネパールの民族音楽みたいなのが聞こえてきて、何だろうと思って覗いてみたら、踊りの練習をしていた。ディナーを楽しみにしていると言うか、その練習をする事自体を楽しみにしているのかな?と感じた。

その練習の成果を見せてもらうのは楽しみなのである。
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