先日見た「カッコーの巣の上で」では人間の「尊厳」と言う言葉が多く使われていたけれど「尊厳」とは具体的に何なのか。映画の中のどの部分が尊厳に関係があるのか、どういった種類の尊厳なのか。
どの映画でもよく使われる「愛」とは何か。その定義は?
「世界の中心で、愛を叫ぶ」の愛と「君に読む物語」の愛、「フライトプラン」の愛、「SAYURI」の愛。皆違うが言葉は同じ。この違いを鑑賞するのところに要点があるかもしれないのに同じ「愛」だ。
「自由」なども多く使われる。国によって年齢によって時代によって意味が全然違う言葉。「自由」それは口にする人によって何を求めているのか全く違う言葉になる。人に自由が必要と言った時に1960年代と現代では求める自由は異なるし、ベルリンの壁の向う側にいる人の自由と日本人の自由は違ったはずだ。
先日見た「ムルデカ(インドネシア語の独立の意)」の「独立」は抑圧から自由になる事だが、多くの日本人が思う「独立」は自らの足で立つと言う意味だから、これも相当違う。これでは「人間には独立が必要」などと評しても具体的な意味がわからない例になってしまう。
もっと定義の複雑な社会学や精神医学等で用いられる言葉もたくさんあるからちょっと調べればそんな用語には不自由しないし、そう言った言葉の意味を知って映画評程度のことにでも適用できればけっこうカッコいいかも知れない。何となく説得力もありそうに見える。
そりゃそうだ。だって権威ある誰かが定義してくれた言葉にたくさんの自分で語るべき言葉を(もしかしたら)無理やり押し込んでしまっているんだから。
でもそう言うやり方って危険かも知れない。
以前知り合いの芸術家が言っていたのを思い出す。「自分の作品に有り物を組み合わせるのは危険だ。皆その物を知ってしまっているからこれはアレって決まりきった印象から離れて見てはくれない。だから自分で作った作品なのに自分のものでなくなってしまう事もある。」と。
言葉も同じで他人の言葉を適用または流用するとその定義から自由にはなかなかなれない。自分の言葉で言うべき事なのに。自分の感じた事を書くべきなのに、どうしても分析のようになってしまう。(もちろんそう言うやり方だってある。)とっても危険だと思う。
自分への反省を込めて、言葉には気をつけようと思う。
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orang-u
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