土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

現代の野中兼山 天才橋詰毅(つよし)の挑戦は続く

2013-07-22 20:20:50 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

昨日開票が行われた、参議院選挙の結果が出ました。
与党自民党と公明党、野党では共産党の躍進となりました。

私が応援していた、高知選挙区では橋詰毅(つよし)の果敢なる挑戦は叶いませんでした。
しかし、全くの無名での初陣、そして今年2月からの選挙準備となる今回の戦い。

橋詰氏はこの短期間に、見事な地方政策をまとめつつ、広く交通の不便な高知県を2度も回るという、情熱ある戦いを演じました。
橋詰氏は、負けは致しました。

しかしそれは、彼の戦術面での反省はあれど、志においては見事であったと、友人である私は思います。
その証拠に、彼の所属する幸福実現党の高知県内の得票数得票率とも、過去最高であったとお聞きしました。

彼のブログでは、再起の誓いの記事を載せておりました。
当然です。
橋詰さん、あなたは諦めてはいけません。

それは橋詰氏のビジョンは、高知県民が将来、必ず受け容れなければならないものだからです。
でなければ、この地に未来が訪れないからです。

今回幸福実現党は、高知においてはほぼ他党と平等な扱いの報道が、選挙区においてはなされました。
しかしそれが意味するものは、つまり、

初めて幸福実現党のことを知った有権者が多い・・・ということです。
人間心理的に、こういう時にどういう判断をするかと申しますと、私のような偏屈者では無い限り、(笑)

「まっ、一回は様子見ようか。」となるのが常でありましょう。
そういう意味で、過去最高の得票数と得票率ならば、善戦と言えるのではないでしょうか。

そして今回の一般的な有権者の心理を読み取る限り、政権に復活した与党自民党への信任、
そしてその、好調自民党へのバランサー機能としての政治勢力をどこにするか・・・

で、得票が動いたように思います。
反自民、反与党心理というのは、何時の世にも存在します。

これまでバランサーとして票の受け皿となっていた民主党が、そのまずい政権運営を国民に知られ、得票の受け皿になることができませでした。

今回はそのバランサー機能的受け皿として、共産党が選択されたと私は見ております。

橋詰氏の所属する幸福実現党は、バランサー機能政党ではありません。

そういう単純な、古い価値観には、属さない性格を持っております。
政治選択をする側の、国民の総意がまだ、そういう単純な、

強い権力を持つ与党VSバランサー機能政党

という、構図を望む限り、橋詰氏の所属する幸福実現党の、苦悩は続くかも知れません。

アメリカの偉大な大統領リンカンは、大統領選挙に4回落選しております。
アメリカの歴史上最も偉大な大統領を、4回も落選させるのですから、民主主義というのも完全なものではなく、
選挙での判断というのも、価値の点では余り当てにならないものだと言えます。

ともあれ、幸福実現党の性格は、私が見る限り、新しい政治を発信している政党組織なのです。
宗教政党なので復古主義かと思えば、それは単なる思い込みであって、内容は新しい政治なのです。
これは高知の橋詰氏の構想を見れば、よくお分かりかと思います。

橋詰氏を始め、幸福実現党は集票力がまだ未熟なだけで、発信力は強く、ソフトが充実しておりますので、
それらは長く活動して行けば行くほど、それは効いてくると思います。

ですから世の中が、今ある既成政治組織的な、古い政治と、時代の問題解決に基準をおいた、新しい政治を望むようになれば、
橋詰氏の所属する幸福実現党は、かなりの得票数と議席を得るのではないかと推測します。

世の流れは早いです。
日本の現状は、多くの国民が、選挙をお祭りの一つと見て遊んでいる感覚では抗いがたい、難しい局面が多数あるからです。

歴史家としての私が見る現代の日本は、日清・日露・大東亜戦争を併せたくらいの、外交面、国防面での危機的な状況下にあるように見えます。

古い政治(既存政党)VS新しい政治(幸福実現党)の対決を国民の総意として望む時代。
その時は、案外近いのではないかと私は思っております。

兎にも角にも、橋詰毅さん、そして彼を支えたスタッフの皆様方、選挙戦本当にご苦労様でした。
初陣の経験と、そして出会いをバネにして、これから大きく飛躍してください。

さて、友人橋詰毅(つよし)の参議院選挙も終わりましたので、次回からは新たなテーマで記事を綴って参りたいと思います。

時節は夏休みですので、何か若い方も、楽しんでいただけるものになればと構想中です。(^^)


幸福実現党 橋詰毅(つよし)は野中兼山の再来 

2013-07-20 12:04:00 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

今高知は、存亡の危機にあると言えます。
日本の少子高齢化最先進国であり、人口の自然減と、県内産業の長期にわたる衰退。
また、東南海大震災とそれに伴う巨大津波の恐怖。

これら、現代の文明では、何の模範解答もなく、具体的な解決策もなく、今の県民はただそれらを受け入れ、諦める以外の術を持っていないのが現実ではないでしょうか?

私は、一人の歴史を愛する者です。
その一人の歴史家として今の高知を見るならば、江戸時代初期の野中兼山以前の土佐の国、
長年の戦国の世に内乱に明け暮れ、そして京の都や日本の中心からも離れ、辺境の地としてあり続けた、長曽我部(ちょうそかべ)以前の土佐と重なるのです。

四国の雄となった長曽我部家は、確かに戦は強かった。
しかし、四国の戦国の覇者長曽我部家の戦の強さは、地元土佐を潤しはしませんでした。

大河はあれど、その水資源は使えず、平野はあれど、ただの広大な荒地でした。
関が原の勝者、後の土佐藩主山内家も、公には土佐20余万石を発表しておりましたが、
実質的には10万石強というのが、江戸時代当初の土佐のコメの取れ高でした。

そのような土佐藩が、幕末期には薩摩・長州と並ぶ・・・否、凌駕するほどの実力を持つ大藩となりました。
だからこそ、土佐の殿様(山内容堂)が、大政奉還の建白書を江戸幕府に提出したことで、江戸時代は終わったのです。

徳川幕府は対等外交相手、今で言うなら連立相手の土佐藩が、倒幕側に回ることで政権維持を断念せざるを得なかったのです。

幕末期に残る外様大名は、薩摩の島津家、長州の毛利家、加賀の前田家、米沢の上杉家など極わずかです。
これらは元来が、豊臣五大老格の大大名であり、元々の軍事力も大きく、江戸幕府としても手が出しにくかったのですね。

幕府開闢当初は、50万石以上の外様大名が、全国各地にたくさんありましたが、それらは押しなべて元来は小藩でした。
それがのきなみ10倍以上の領地を得たことで、藩の運営に無理がかかったのですね。
そこを幕府につけ込まれ、そのほとんどは改易となりました。

土佐藩も、元来5万石程度の小藩ですので、幕府にいつ取り潰されても仕方ない状況でしたが、
江戸時代を通じて土佐山内家は、幕府と実質的な対等外交ができております。

これは今の高知県民の持つ、「自由を愛する心」にも通じております。
幕府に対して強かったから、幕府が決して倒せない藩だったからこそ、土佐人は自由に生きることが許されたのです。

土佐の国を変えたのは、たった一人の天才政治家でした。
それが野中兼山です。

野中は大きな川の上流に堰(せき=ダム)を造り、そこから引いた用水路網で、
広大な荒地だった高知平野を、人工的な近代農地へと変貌させました。
その広大な平野を縦横無尽に走る、規模の大きな用水路網は、防衛用の堀を兼ねています。

また、外洋港をたくさん造り、漁業の基地を設けるだけでなく、実質的な海軍機能を持たせておりました。
野中は、対幕府防衛力強化と藩内経済向上を、同じインフラで行ったのです。

野中兼山は、「国防につよし」また、「経済につよし」の天才政治家だったのです。

高知の歴史を振り返れば、野中兼山という一人の傑出した政治家なくば、高知はとっくに太平洋の荒波が押し寄せるだけの、四国の防波堤となっていたはずです。

今の高知は、野中が家老に就任する前の、長曽我部以前の時代と同じなのです。
野中や彼に協力した人たちが、智慧と工夫と汗と努力で土佐の国造りをし、江戸時代最強藩土佐をつくりました。

長曽我部以前の土佐の領主たちは、土佐の少ない田園を奪い合うだけの小さな抗争を、延々と続けただけでした。
ですから家老に就任した野中には、やるべきことが山積みでした。
野中は、土佐の奪い合う歴史を、土佐が富を生む地に激変させることで終わらせたのです。

今また時代は繰り返し、その選択の時期に来ています。
高知には、やるべきことがたくさんあります。
否、やらなくてはいけないことが山積みです。

高知県民は、野中兼山の再来を選択するべきです。
それは、彼がやろうとしていることを見ればわかります。

野中兼山の再来こそ、幸福実現党公認候補、橋詰毅(つよし)です。
橋詰毅(つよし)は野中兼山同様、「国防につよし」「経済につよし」の人物です。

                                               (完)

                                       




野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) 高知県全体を繁栄させる男

2013-07-19 21:55:26 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

私が高知選挙区出馬の橋詰毅(つよし)氏からお聞きした地方政策を、最近の拙ブログでは書き続けております。
書き続けられるのは、何回も申しますが、書く内容があるからです。

橋詰氏の友人である私が思うに、この人の地方政策には大きな特徴があって、
どれも一地方にとっては規模が大きく、そして長年使うことを前提に考えられていること、
多機能でお買い得なこと、そして次の手立てが決まっていることです。

橋詰氏の地方政策の名は、「高知100年繁栄の計」ですが、橋詰氏によると、これにも意味があって、

船以外の、海上大量輸送技術が開発され、文明として定着するまで。
陸路の移動手段が、自動車や鉄道などで行う以外の文明ができるまで。
そして、原子力発電以上の、大規模エネルギー創造が、文明として定着するまで。

が、大体100年くらいだろう・・


ということらしいのです。

これらによって現代文明は、人・モノの移動が行われていますが、現代の方法を越える文明技術ができるまでは、
高知100年の計を施した高知は、他の地域に負けないだけの優位を長く保てる・・・という橋詰氏の試算があるのですね。

ということは、人類の文明の技術革新がなければ、それだけ高知の繁栄は続く・・・という橋詰氏の読みもあるわけです。

土佐湾の入り口は広いです。
外洋港という発想ならば、いくらでも大規模な港を造れます。
海流は年中一定ですし、海上の風が強いので霧は出ません。

瀬戸内は狭く、海流も複雑です。霧も出ます。
高知の港を利用した方が、大きな輸送が頻繁に行えるのですね。
当然その方が、コストも安くなります。

これは、地域的、地理的優位です。
ですからこの、高知県が持つ地域的・地理的優位な条件というのは、未来永劫変わりません。

しかしそのためには、陸路を大改革しなければなりません。
具体的には、四国山脈を克服すると同時に、県内アクセスを良くしなければならないのです。

また、黒潮に大量のウランがあるが、コストの問題で産業化できないならば、
最も近いところで産業化するのが、コスト的に絶対に有利です。
もし他の地域がこのビジネスに参入してきても、地域的優位さというのは絶対に変わりませから、これまた原子力発電の優位が続くまで、高知の優位なわけです。

橋詰氏はよく「四国中にリニアモーターカー網を造りたい。」と言っています。
「新幹線もなく、JRもディーゼル単線で高架にもなっていないのに、リニアなんて現実的でない。」とおっしゃる方も多いようです。(笑)

しかしリニアモーターカーの方が、新幹線より運用コストは低いのですね。
高速で車輪を回す新幹線は、線路や車体のメンテナンスコストが、ものすごく高いのです。
これは、新幹線が抱える宿命と言えます。

一方、リニアモーターカーは、浮いて進みますから、線路や車体のメンテナンスは新幹線ほどシビアではありません。
しかし、電気をべらぼうに消費いたします。

東京-大阪間をリニアモーターカーを建設すれば、その区間に、リニア専用原発施設を造る必要があるらしいです。
リニアモーターカーは、それくらい電気を消費いたします。

高知の山々に、小型原発を大量に造って、電気代を限りなく安くする構想を橋詰氏は語っていましたが、
その安い電気料金ならば、リニアも格段に安く利用できるという構想なのかも知れません。
それならば、新幹線よりお得です。

また高知は雨が多く、水がどの地域よりも豊富です。
水が豊富で、地震による津波災害の恐怖なく、流通に優れ、エネルギーが潤沢にあるならば、高知の産業化は容易ですよね。

産業化に最も適した環境を、これからの高知に創り出すのが、橋詰流高知興国論なのです。

全ては、流れやすい方に流れて行きます。
水も風も電気も、そして、人の心も。(笑)

であるならば、繁栄しやすい環境を創り出すのが、最も繁栄に近い道のりのはずです。
それこそが、政治の仕事なのではないでしょうか?
いや、これは政治の力なくしては、絶対に出来ないのではないでしょうか?

日本は、大人の国です。
もうそろそろ日本国民は、本物を見る眼を持たなければならないと思います。

イメージやビジュアルだけの政治家選びの時代は、自由と革命の国高知から終わりにしましょう。

それはいつやるのですか?
今でしょう!  (笑)

                                             (続く)





野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) エネルギー大国高知が目指すもの

2013-07-18 08:57:32 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

私は彼の友人として、そして高知県民として、今回の参議院選挙公認候補の橋詰毅(つよし)を応援しております。
橋詰氏が、かつての土佐の天才政治家、野中兼山を彷彿とさせる政治的創造性と、構想力を秘めた人物であるからです。

高知県西部・東部に、黒潮ウラン産業化研究施設を造る構想は、この地域の飛躍的な重要性の向上をもたらすだけではないと思います。
それに伴う、小型原子炉開発や、それが可能にする、完全密閉空間(地下や山中)での発電が可能だからです。

私は医療者のはしくれですが、病院のレントゲン室を見れば、それがよくわかります。

レントゲン撮影で使うX線は放射線です。
放射線、つまり放射能は、波長の短い光です。
放射能を、何かの汚染物質のように思う方もいらっしゃるかも知れませんが、放射能は紫外線より波長の短い光なのです。

放射能は光ですから、密度の濃いものや分厚いものは通過できないのですね。
ですから病院のレントゲン室は、鉛入りの分厚いコンクリートの壁で、部屋ごと防御している仕組みになっています。
橋詰氏の言うように、分厚い土で原発自身を覆えば、放射能漏れは絶対に有り得ません。

今日本の原発施設は、万一の事故の時の冷却を考えて海沿いに造られています。
しかしこのような方式は、世界では日本くらいです。
海際わだと、テロ対策がやりにくいからです。
ですから海外の原発施設は、主に川の水を冷却機能とした、内陸型の原発施設が主流です。

地下や山中ですと、入り口が制限されるので、テロ対策も万全です。
地下水で冷却できるくらいの小型汎用原子炉ならば、今現実に世界では原子力船などはいくらでも走っていますから、完全な実用技術です。

これを黒潮ウランで作った、安全な燃料で稼働する原子炉を作り普及すれば、燃料を握ることで工業製品である原子炉市場も握れるわけですね。
ビデオテープのVHSとベータマックスの戦い、DVDとブルーウェイの戦い、フロッピーとUSBの戦い・・・等々ございますが、
その関連材料を握れば、商品全体の主導権を握ることにもなります。

黒潮ウランと小型原子炉が全国に、そして親日国に輸出すれば、さすれば高知は・・・。
ぼろ儲け地方自治体も夢ではありません。(笑)

まぁそれは、私の妄想ですけれども(笑)、原発の怖いところは、事実上放射能だけです。
原子力自体は、暴走すれば人類の手に負えないところはあるかも知れませんが、怖い放射能は、現代の技術で完全に防ぐことができるのです。

小型原子炉による、地下・山中発電ならば、何もしなくても分厚い土が、勝手に防いでくれます。
水素爆発したって、山を突き崩せるほどの力はありません。

そこで橋詰氏曰く。
「小型原子炉ならば、地下に造っても良いけれど、高知ならばトンネルを掘って山の中に造るべきだ。」
「トンネルならば、事故で封鎖しない限り一般道としても使えるから、その方が便利性が良い。」
「まぁ、事故が起きても、施設だけ封鎖するだけで済むだろうから、トンネルを封鎖することはないだろうけどね。」


おぉぉぉぉぉぉぉ、またしても、軍用の堀を農業用水路として日常的に使い、軍用の大規模外洋港を、日常では漁港として使うことで、土佐藩の富を蓄積した、かつての野中兼山を思わせる橋詰氏の発言を聞いてしまいました。(笑)

続けて橋詰氏曰く。
「ところでくじらさん。海が怖くなくなって(浮上式防波堤)、流通が良くて(四国山脈貫通トンネル)、電気エネルギーがとにかく安い地域だったら、くじらさんが事業家なら、そんなところで事業したくないかい?」

私はハッとしました。

橋詰氏は、高知県をこよなく愛する男です。
橋詰つよしは、高知を永続的に産業が起こりやすい地域へと変貌させるために、「高知100年繁栄の計」を構想したのだと、私はその氏の発言を聞いて確信しました。

橋詰氏曰く。
高知には産業が足りない。とにかく仕事がないんだ。」
「若者は高校を卒業したら、他県へ出て行き、その大部分はもう帰ってこない。」
「私は高知県を、どうかここで事業をさせてください・・・と、多くの方々に思わせる地域にしたいと願っている。」


高知県が、日本で最ももの作りがしやすく、日本で最も物の出し入れがしやすい地域にしたいと願い、それを実現するだけの具体的な構想を持っている、稀有なる人物が橋詰毅(つよし)氏なのです。

高知県民が困っていることは、日々の仕事がないことです。
それがこの地域を長年苦しめ、人口減が止まらない要因です。

これは昔で言えば、不作続きで食うことができず、田畑を捨てて他の地域へ逃げていく領民のごとく、高知県民は他県へ毎年毎年流出して行きます。

橋詰毅(つよし)氏は、この高知県が抱える構造的な問題を、根底から覆すビジョンを持ち、それをマスコミリリースしています。

荒地に苗を植えても、大量のコメは収穫出来ません。
必要な基盤インフラ無しで、いくら産業を誘致したって続かないのです。
そういう事例を、高知県民である私は、嫌というほど見続けて参りました。

かつてこのような、高知の構造的問題を克服できたのは、土佐の歴史上人物では、野中兼山だけです。
他の方は克服どころか、ビジョンすら提示できておりません。

橋詰毅(つよし)氏は、野中兼山の再来なのです。
高知県民ならば、応援しなければ損・・・な人物なのです。

                                             (続く)
                






野中兼山の再来 橋詰毅(つよし) エネルギー大国高知の未来

2013-07-17 21:39:32 | 天才橋詰つよしの挑戦

土佐のくじらです。

友人で、参議院高知選挙区出馬の橋詰毅(つよし)氏が、地元メディアから冷遇されているので、
私は一人のブロガーとして、氏の創造性と構想力をお伝えすることに、改めて強い使命感を持つにいたりました。

橋詰氏のエネルギー大国の基盤資源は、土佐沖を流れる黒潮の中にあるウランです。
このウラン抽出と、産業化を研究する施設を、黒潮に最も近い西部の幡多地域、東部の室戸地域に造り、
ウラン産業化の基盤を作るのが橋詰氏の考える、近未来のエネルギー大国高知のスタートです。

ウランが産出されるとなればそれと同時に、当然幡多室戸地域は、日本の中でトップクラスの超重要地域となります。
どうしても国家が守り、ことあれば駆けつけなければならない地域と、その瞬間に変貌するのです。

さすれば高速道路はもちろん、飛行場やヘリポート、軍港、ありとあらゆる高度なインフラは、この地域に造らざるを得なくなります。
当然、津波対策も万全でなければなりません。

それでこの地域が、直接的な投資を得るだけでなく、その後の交通インフラの向上に伴い、他の地域との時間的距離を大幅に縮め、後々までこの地域発展の基本的な大動脈となるでしょう。

話はそれだけではありません。
ウラン産業化の研究施設ならば、当然算出されるウランの販売先を考えなければなりません。

今原発の燃料になっているウランは、地中から露天掘りで採られているものです。
一般的な地中のウランの埋蔵量は、世界で80年と言われますが、黒潮ウランの推定埋蔵量は、最低で200年と言われています。
この最低200年という数値は、黒潮が太平洋をぐるりと回るのが200年ということから算出されています。
つまり、一箇所で全て抽出し切ったとして、200年間はウランが取り続けられると言う計算です。

取りきることはまず不可能ですから、埋蔵量の本当の数値は全くわかりません。
つまり、とてつもない量のウランが、黒潮にはあるということです。

地中から採られる天然ウランは、燃料になるウラン含有量がとても少ないので、濃縮して利用していますが、黒潮ウランは純度が高いので、燃料棒にしている現在の方法とは別の仕組みができるのですね。
ウラン自信は熱にとても強いのですが、燃料棒にするための外材が熱に弱いので、原発の冷却に気を使うのです。

黒潮ウランの燃料なら、安全性が高い原発が可能です。

また橋詰氏曰く。

「この研究施設では、この安全な燃料を使った独自の原発を作れば良い。」
「それは大規模なものである必要はない。」
「原子力潜水艦や、原子力空母に搭載されている、小型の原子炉で十分だ。あれでも火力発電所くらいの発電量はある。」
「原子力エンジンで使われているサイズなら、冷却がラクだからだ。」

「冷却が楽な原発ならば、地下水で冷却できる。そしたらトンネルを掘って、原発を山の中に造れる。」
「大規模原発だから、冷却を優先して海の近くに造らなければならないんだ。」
「海の近くは、テロに弱い。」
「また事故の時、地域住民を何十万人も、短時間で非難させるなんて不可能だ。」

「山の中なら、絶対に放射能漏れは起きない。放射能は光だから、山の土の厚さで完全に遮断される。」
「もし、原発で事故が起きれば、施設ごと捨ててしまえば良い。」
「原発のコストのほとんどは、地域への保障費だから、山の中の原発ならばとても安い発電ができるよ。」
「こういう原発を、トンネルを掘って山の中にいくつも造ればいいんだ。」

「当然、研究施設の近くから、実験的に始めることになるだろうね。」
「そしたら幡多、室戸地域の電力は、ただ同然になるだろう。」


私は橋詰氏の語る、高知エネルギー大国論を聞いて、本当の意味で、今の自民党的な原発施策が怖くなりました。
「施設むき出しの、原子力発電所は危険だ。」「原子炉を小型化し、放射能漏れのない、山の中に造るべし。」

幸福実現党の電気エネルギー政策は、「安全性を高めて、原発推進」でした。

「こ・・・こういうことなのか・・・。」 

現代の野中兼山=橋詰毅(つよし)氏には、高知100年の繁栄の未来が、はっきりと見えているのです。

                                               (続く)