土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

宗教問題への、日本の役割について。

2015-02-16 19:07:25 | 外交

 

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

日本人二人が暗殺されてから、日本人の「イスラム国憎し。」の思いが、日々高まっているように思います。

私とて、同胞として、断腸の思いであります。

しかし、だからと言って、対イスラム勢力に加担したり、イスラム国を殲滅するような動きは、日本は選択するべきではないと思います。

先の大戦で、日本に無差別空襲や原爆投下などをアメリカは行いましたが、彼らの日本に対する憎しみは、今のイスラム国への憎しみと変わることはないでしょう。

相手が悪魔の国と思わなければ、一般市民を無差別に、大量破壊兵器で殺戮することなどできるわけがありません。

 

今アメリカを中心に、イスラム国への空爆は行われており、現実に何千人、もしかすると何万人もの一般市民が命を落としている可能性もあり、高度な兵器を持ち得ないイスラム国は、戦争末期の日本と変わりない状況下であると思います。

このイスラム対キリスト教+ユダヤ教との、争いの歴史は長く複雑であります。

宗教融和が進んだ日本においては、なぜ宗教の違いで殺しあう必要があるのかは、理解に苦しむ人も多かろうと思います。

日本とて、聖徳太子の時代までは、仏教と神道との争いがあり、宗教による内戦を経験しております。

聖徳太子が、仏教化した天皇制度を残す、つまり、日本神道を残した上で、仏教に天皇が帰依すること。

そして世界初の憲法、十七条憲法の第1条に、「篤く三宝をうやまえ」としたことで、仏教と神道の融和が実現しました。

天皇の詔に従うことより、三宝、つまり、仏教を尊重することで、事実上日本の国教は仏教となりました。

そしてその仏教に、天皇の多くが帰依することで、宗教融和がはかられたのです。

天皇は、天照大神の子孫であり、神道の最高の神官でもある宗教家です。

その神道の最高神官天皇が、仏教に帰依するという、宗教上の離れ業が日本の歴史にはあり、それが日本国内での宗教戦争を終わらせたのです。

これは日本の、約1500年前に起こった、歴史的事実です。

これはおそらく、日本人が持つ宗教観、つまり、

「大宇宙の神仏の神意が、小さな教団の教えという、限局された中に、収まるはずはない。」

という、民族の悟りがあったと思います。

古代日本人が、宇宙の単位で、思考できたか?

それは古事記を読めば歴然です。

古事記の始まりは、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)による、宇宙創造から始まるからです。

要するに、宗教戦争の話題の耐えない今の世界は、日本より1500年遅れているわけです。

 世界は、日本の歴史に学ぶべきだし、日本もまた、世界の精神的リーダーとなれるよう、努力するべきです。

日本は、世界のお手本となるべき働きをし、イスラム社会とキリスト教・ユダヤ教社会の仲介役。

またそれのみならず、ロシアやその他の世界との仲介役を、現代日本の使命と悟るべきです。

なぜなら、それができるのは、日本しかないからです。

またその資格は、日本には十分あることを、国の為政者も、日本国民も、もっと知るべきなのです。

その日本人の自覚が、世界を平和にします。

先の大戦で、日本は負けましたが、その果敢な戦いの結果、世界から植民地争奪戦争は終わりました。

終戦後の日本は、国土拡張なき空前の大発展という、歴史的偉業をなしたことで、世界から侵略戦争をなくしました。

今は、宗教戦争の時代です。

この宗教戦争の時代を終わらせるのも、また日本です。

簡単です。

日本は、樺太をロシアから買えば良い。

その方法は、経済発展でも、円の増刷でも何でも良い。

その樺太に、イスラエル共和国を、国ごと移住されれば良い のです。

また、イスラム教VSキリスト教VSユダヤ教の宗教戦争も、結局は石油資本をめぐっての、利権戦争でしかありません。

それならば、石油文明そのものを、日本の力で終わらせれば良いことです。

日本の電気文明を拡大発展し、金のなる水である石油を、石炭のような資源価値とすることで、宗教戦争も終わります。

石炭の利権をめぐって、戦争ができますか?

蒔きをめぐって、戦争ができますか?

いくら宗教が違っても、絶対にできないです。

結局宗教戦争は、神の名を語った、利益戦争でしかないのです。

その証拠に、アラブ地域で石油の産出されなかった戦前において、イスラム勢力による蜂起などなかったはずですし、この地域への大国の思惑も、今ほど露骨ではなかったはずです。

また、 「ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、根本の神から分かれてきたものだ。」ということを証明できれば良い のです。

上記の、太文字で書いたことが成れば、世界から宗教戦争はなくなります。

これが、現代人への神からの宿題です。

これを成すのが、現代日本人の、歴史的使命なのです。

 

 

 

 

 

 

 


日本の歴史を、政争や外交にする愚。

2014-03-16 12:31:00 | 外交

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
どうやら安倍内閣は、河野談話を追随するようです。

これは恐らく、同盟国アメリカとの絡みがあると思います。

従軍慰安婦問題然り、日本の歴史問題に絡む云々というのは、
大東亜戦争において、当時の日本が悪者であったという歴史史観が根源にあります。

それは今や、現代日本人が持つ主流の歴史観になろうとしております。
国宝の根源である、日本国憲法自体が、その理念によって書かれており、
法律を始め、教育までもが、日本性悪説によって成り立っているのが、今の日本の現状です。

その日本性悪説は、韓国をはじめアメリカの、対日外交の基本ですらあります。
なぜならばかつて日本と戦い、日本を悪者にすることによって、自国を正義としたのは、他ならぬアメリカであるからです。

アメリカと日本はその後、軍事同盟を結ぶ仲にまでなりました。
当時はソ連との冷戦真っ只中にあり、日本がある程度強くならないと、ソ連の盾になりえないということもありましたが、
つい先ほどまで、雌雄を決する戦いをしていた相手との軍事同盟は、それはひとえに、日本が悪い国家ではなかったことを、
戦いの当事者であったアメリカも、十分熟知してたということです。

でなければ、相手国のために自国民の血を流す可能性のある、軍事同盟など結べるはずはありません。

ですが、アメリカを始め日本までもが、かつての歴史を振り返り、
日本性悪説は真か?という議論を、これまではしては来ませんでした。

それは、軍事同盟下における、強国アメリカへの配慮と言えば配慮でしょう。

なぜならば、その日本の正しい歴史観、つまり私がこれまで述べてきた、

日本の戦争は、侵略戦争ではなく、すべて国防戦争 という理念や、
人種差別撤廃理念の日本と、人種差別を前提にした、当時の植民地主義国家群との戦いが、大東亜戦争の本質

という理念を、アメリカ政府に飲ませることは難しいというのが、これまでの行政判断であったということだろうと思います。

ですから、
ことさら韓国の従軍慰安婦問題然り、それらの像がアメリカにまで建っている然り云々、という現状を打破するにしても、
所詮はアメリカの国益の許す範疇にしか、日本が取り戻せる歴史はない・・・ということを、
安倍首相が思っていたとしても、不思議でも何でもありません。

安倍首相は昨年5月に、韓国から従軍慰安婦であったとされる、老婦人2名が来日する折でも、
アメリカ政府から、歴史観に関する事項に釘を刺されて、急激にトーンダウンした経歴があります。

まぁ、それが私が、拙ブログを開設しようとしたきっかけでもあるのですが。

この安倍首相にして、アメリカ政府のご意見に、その政治理念を左右されるというのは、
これは氏が持つ、国家観の限界を露呈していると思い至ったからです。

この理念の下、ブログ開設時に書き綴ったのが、カテゴリー【誇るべき日本の歴史】のシリーズです。

独立国の自由というのは、最終的には、国防の自由の範疇の中にあります。
すなわち、国防力こそが、国家の自由を担保しているわけです。
左翼的な方々が何を言おうと、いくら、表向きは理想的なフレーズを述べようとも、これが世界の現実です。

安倍首相においては、国防の自由の範疇が、同盟国アメリカの軍事力と共にある国防・・・でしかないと、私は見ています。
これが安倍首相の持つ、国家観の限界です。

残念ながら、これもまた現実です。

つまり、「日本を取り戻す。」という、安倍政権樹立時の、自民党のキャッチフレーズですが、
このままでは、取り戻せないと私は考えます。

本気で取り戻す気であるならば、今自民党に在籍している、河野洋平氏の子息である河野太郎氏を切ってでも、
日本の正しい歴史観を取り戻し、それをアメリカに納得させるべく、国際的に政治活動やロビー活動をするのが本筋です。

アメリカは確かに、自国の国益にしか考えないところがありますが、自由の国家でもあります。
ですから、声を上げれば、賛同する人たちも多くいるのです。
しかし、声さえ上げないならば、話にならないです。

今回の「候の談話を前向きに評価する。」という政府見解は、4月導入の消費増税に加え、
安倍内閣の崩壊の序曲となる可能性が高いです。

その最も日本的立脚点に立った内閣の崩壊は、本当の意味において日本を取り戻す、
否、日本の誇りを取り戻すための、歴史の見解革命の序曲となるでしょう。






シリアに見る、良い軍隊と悪い軍隊の見分け方.

2013-08-29 10:10:08 | 外交

土佐のくじらです。

長期間の混迷が続くシリア情勢。
そのシリアで、化学兵器が使われたことで、ようやくアメリカが重い腰を上げようとしています。

遅い!
遅すぎる!!

一体、何万人の市民が、戦闘に巻き込まれ亡くなったのか。
アメリカは、世界の警察ではなかったか!

国連常任理事国の、ロシアとアメリカで、シリア国内の支持勢力が違うというのなら、
うかうかしていたら、大国の都合による小国の内戦の泥沼化は避けられません。

人道的見地に立つならば、その前に手を打たなければならないのです。

国連は何をしていましたか!
韓国人が事務総長を勤める今の国連は、一体この非人道的な事態に、何をなそうとしていましたか!

無防備な市民にシリア軍が発砲した時点で、国連軍はシリアを制圧し、国連監視下の元、新政府を構築するべきでした。
国連はもう無力化し、既に有名無実化ております。

事態を国際的見地から解決するすべを持たず、そして国連憲章に違反した、「日本は歴史を云々。」という発言をした、韓国出身の事務総長には、日本は事務総長の辞任要求と、事務総長辞任までの負担金ボイコットをするべきです。

さて、善悪の区別のわからない日本のマスコミは、大国が軍隊を動かすだけできっと騒ぐでしょう。
安倍首相の、一挙手一投足にも、いちいち上げ足を取るような取り上げ方をするのでしょう。

しかしこれは、

軍隊には、良い軍隊と悪い軍隊があることが、マスコミがわからない証拠なのです。
これを見分けるのは、実は簡単なのです。

国民を守る軍隊は、良い軍隊です。
無防備な自国民を殺す軍隊は、悪い軍隊です。

これだけです。

左翼的知識人と呼ばれるような方は、軍隊=悪という刷り込みがあるようですが、それは間違いです。
軍隊に善悪があるのです。

善悪というのは、ある意味で観念であって、眼には見えません。
眼に見えない観念が、左翼的知識人には、理解が出来ないのです。

だから、眼に見える軍隊そのものを悪・・・と認識するのです。
彼らの知性が、その程度だということです。

アラブの春では、チュニジアとリビアの軍隊は、結局独裁者から自国民を守りました。
チュニジア軍、リビア軍は、良い軍隊だったのです。

シリア、そして今のエジプトでは、無防備な市民に、治安維持目的と称しながら発砲しております。
これは政府は守るが、国民は守らない軍隊です。
そういう国は、悪い国なのです。

中国も、北朝鮮も、無防備な自国民を、自国の軍隊が殺しています。
これは悪い軍隊であり、悪い軍隊を持つ国は悪い国なのです。

自衛隊が、日本国民を殺しましたか?
殺していません。
災害時など、いつも国民の命を、命がけで助けています。

私は戦前の旧日本軍も同様に、自国民を殺さず、そして、他国民も戦闘以外では殺さなかった証拠も知っていますが、歴史認識以上に大切なのは、”現状認識”です。

マスコミはご自身のことを、「自由の砦」や「民主主義の盾」と自認なさるなら、きちんと善悪の判断をしてください。
そして政治家の方々も、現状認識が善なのか悪なのかの、判断ぐらいは正しくしようとしてください。






謝罪外交は間違っている

2013-06-09 11:49:29 | 外交

                              

土佐のくじらです。

一般的な人と人とのお付き合いであっても、大小様々な問題は発生したします。
まして、国と国であるならば尚更でありましょう。
価値観や文化が全く違うからです。

問題があって当たり前なのですね。
ですから、隣国から小さなことを言われようが、
究極的には気にする必要はないと、私は思います。

隣の国同士は、仲が悪くて当たり前・・・
これは世界では当たり前の中の当たり前。
常識中の常識であります。

お隣の国の世論を、いちいち気にし過ぎてはいけないのです。

むしろ堂々と、国家の代表者や、それを民主的に導くことを使命とするマスメディアは、
近隣諸国と渡り合わなくってはならないのですね。

そうであってこそ、むしろ仲良くなれるものなのです。

特に、中国や韓国など、お隣の国々の国民性は、

強い者には滅法弱く、弱い者には滅法強い・・・
というメンタリティーをお持ちの国々だと思います。

儒教文化が未熟な形で、中途半端に定着していて、
立場の上の者は下の者に対して、何をしてもかまわないという文化になっているのですね。

結果的に、とてもサディスティックで、いじめっ子性分な文化を内包しているのです。

そういう方々とお付き合いする場合には、決して弱みを見せてはいけないのは、
外交も、巷でのお付き合いでも、同じことであります。

諸外国では、たとえば・・・
(たとえが汚いかも知れませんけど)

食事中にゲップが出てしまったり、はたまたオナラがでてしまったりした場合、割とすんなり誤ります。

「失礼。」の一言が、すぐに出るのですね。

しかし、こと、お金が絡むと、彼らは絶対に謝りません。
そういう社会が、国際社会なのです。

下手に誤ると、賠償金が発生するとか、違約金を払わされる・・・

そういう、可能性をキャッチするだけで、絶対に誤らないのが、世界では常識なのです。

日本の謝罪外交は、完全に間違っております。

日本では、謝れば許してもらえる文化があります。
それは、日本人的美徳でもあります。

しかしそれは国際的には通用しません。
謝罪外交は、国益(日本国民の利益)を損なうだけでなく、日本人の命すら危うくする可能性もあるのです。