土佐のくじらです。
前回記事で私は、日本の歴史観を、【国防】だと定義付けました。
こう定義付けると、日本の戦争の歴史のほぼ全てが、つじつまが合うからです。
神代の時代から、その名残りはありますが、話の流れ上、明治初期の『征韓論騒ぎ』について述べてまいります。
征韓論が政府で議論されていた頃は、明治4年頃からですから、明治の初期中の初期の出来事です。
廃藩置県の断行が明治4年ですから、まだ徳川の残党も、あちこちに相当いた時期ですね。
当時の明治政府自体が、緊急避難政権、救国政権的な性格を持つものでした。
外国勢力にいかに立ち向かっていく体制を創るか・・・というテーマを持った、一時的な性格の、ある意味で暫定政権なのです。
その政権の初期段階、まだ西南戦争以前の西郷隆盛らがいた頃に、朝鮮を征服するかどうかを動議として出す・・・
皆さん、このことを学校の授業で聞いていて、何か不思議な感じがしませんでしたか?
「そんなことやっている場合なの?」
「えっ、もう侵略のことを考えていたのかよ。日本人は・・・。」
幼かった私も当時は、素直にそう思ったものです。
しかしこの征韓論騒ぎは、世界の一般的な視点である、戦争=ビジネス論では、時期的につじつまが合わないのですね。
この問題はそれでは、しっくりこないのです。
現実の歴史の授業においても、征韓論=侵略論議のニュアンスを含んだ、教え方をしているのではないかと、私は推測いたします。
ここに既に、近代日本=侵略国家観の始まりがあると思います。
しかし日本は、この道義を巡って西南戦争という内戦まで行い、西郷隆盛という、明治政府の最大の功労者を失う・・・
という犠牲を払っております。
西郷さんを否定する・・・ということは、当時ではまだ、維新革命を否定する・・・ことと同じ意味を持っていたからです。
これは、大変な出来事であり、真剣そのものの議論だったはずです。
実際に当時の明治政府は、国外に眼を向けている場合ではなかったはずです。
他国侵略とは違う、別の動機があったはずです。
そう考える方が整合性があり、つじつまが合います。
この征韓論は日本の戦争観、【戦争=国防】という観点を入れない限り、絶対につじつまは合わない、代表的な歴史的事実なのですね。
つまり・・・
朝鮮半島という地形が問題なのです。
朝鮮半島は、日本の九州の北に、突き出すように伸びているじゃありませんか。
これが日本の国防上、極めて問題な所なのです。
つまり、日本に近すぎる地形なのですね。
ここにもし、日本を敵視したり、侵略の意図を持った強大な勢力ができると、日本は外敵からの、常時侵略の脅威にさらされるのです。
力関係によれば、防ぎきれない位置関係に、朝鮮半島と日本はあるのですね。
征韓論騒ぎ当時の朝鮮半島は、李王朝時代ですけど、鎖国をしており清の属国でした。
当時の朝鮮は近代化が遅れていたので、李王朝朝鮮という国自体が日本の脅威ではありません。
その後ろにいる清と、ロシア、そして欧米列強諸国が問題だったのです。
清も近代化は遅れていましたが、国内に西欧列強諸国を抱えていました。
いつ近代化されてもおかしくありません。
そして当時の清は、GDP第1位の大国であります。
清がその気になれば、すぐ近代化したでしょう。
当時のロシアは、冬でも凍らない港を探して、南下する機会を伺っておりました。
近代化された清、そして軍事大国ロシア、
これらに朝鮮半島に南下されれば、また日本を諦めた欧米列強が朝鮮に駐屯すれば、
せっかく苦労して明治維新政府を作り、西欧列強に対峙する体制ができて、
『 占領できない国、日本 』をつくったのに、常時侵略される脅威に、日本はさらされることになるのです。
幕末に日本に訪れた、西欧諸国はまだ良いのです。
彼らは遠いところから来ますので、こちらも準備もできますし、彼らも大量の軍船では、日本には来れませんからね。
つまり欧米から日本へは、大量の兵士を送り込むことはできないので、欧米は日本を占領できません。
戦争=ビジネス国家では、割の合わないことはしませんから、占領できない国は、攻撃さえしないのです。
しかし、朝鮮半島からだと近いので、そこを日本侵略の拠点にされると、大量の外国の軍隊が日本にすぐに来れてしまい、
とても防ぎきれないのです。つまり、明治維新政府のつくった陣形が崩れ、国防の前提が崩壊するのです。
ですから西郷ら征韓論派は、「朝鮮に出兵し、日本国としてしまえ。」と言い、
(朝鮮に開国を迫る、遣韓論という説もあります。)
一方、大久保、木戸、伊藤ら、反征韓論派は、
「それでは、国防ラインが清やロシアと接してしまい、かえって国防上厳しくなる。」
「朝鮮を独立させて清の影響を排し、朝鮮に独自に自国を守ってもらおう。」
という論戦が、征韓論の議論の中心概念なのですね。
征韓論派は、
「それでは、朝鮮が反日になればどうするのだ。」
「朝鮮が、清やロシアに毅然と戦い、勝てるというのか。」
反征韓論派は、
「朝鮮独立で、日本は守れる。」
「清やロシアと戦う力は、今の日本にはない。」
こうどちらも引かずに、結局多数派を形成できなかった西郷らは、明治政府を辞め、
日本は最後の内戦(西南戦争)になって行くのです。
どうです。
一般的な戦争、侵略的意図を持った議論、こういったものが、どこにも出てこないでしょう?
どちらの言い分も、国防論議です。
「どうやって、日本への外国勢力の侵入を防ぐか。」という、方法論の違いだけです。
ロシアのように、港が欲しいから軍事行動を起こす・・・みたいな、戦争=ビジネス論的動機は、一切入る余地がないのです。
戦争観で見た場合においては。
しかし征韓論については、この説が最もつじつまの合う説明になってしまうのですね。
これが日本が、世界の一般的な国々の戦争観、戦争=ビジネス・・・という発想を持ち合わせていない証拠なのです。
日本人の戦争観は、戦争=国防・・・これでないと、つじつまが合わないのです。
むしろ、歴史の教科書などは、戦争=ビジネス・・・という歴史観で書かれていると思います。
ですから、ピントがずれています。
その歴史観、特に戦争観の分析の間違いが、日本人を正しい歴史認識から遠ざけ、
現代日本人に自虐史観を持たせていると、私は考えています。
日本と朝鮮半島の地理的条件は、今も昔も変わっていません。
ですからこの征韓論騒ぎは、現代日本における国防と平和を考える上で、
きちんと認識し熟慮すべき、代表的事例であると私は思います。
土佐のくじらです。
さて、前回まで世界各国の戦争観、即ち、戦争とは何か・・・を中心の話でした。
そして、世界の主流の考え方は、戦争=ビジネスであると、私は結論付けました。
断っておきますが、世界の各民族は、決して意識的にそう思っているのではありません。
あくまで、無意識にそう思っていると思います。
さて、翻ってわが国日本の人々が無意識に思っているところの戦争観は何か。
一言で申し上げて、私は、日本人の戦争観は、国防である・・・と申し上げます。
別に私の出身国であるから、いい格好をしてそう申しているのではありません。
そう、定義付けると、つじつまが合うからです。
否、そうでないと、つじつまが合わないのです。
他国では明らかに、戦争をすることで、
国内の経済のパイを、単純に広げようとしている歴史です。
他国から、食べ物を取ってくる。
他国の、税金収入を取ってくる。
他国の人々を、労働者(奴隷)として自国に連れて帰る。
他国から、領地を取る。
他国から、賠償金をせしめ取る。
こうした、手っ取り早い経済をするために、自国の軍事力を使ってきたとしか思えない歴史です。
つまり、わかりやすく言うなら、「国家予算が足りなければ、隣の国から取って来い!」っていうことです。
これが、戦争=ビジネス論です。
ですから、負けそうになったら、さっさと領地などを勝った側にあげたり、
征服されたり服従したりして、まあ、そんな感じで交渉するのが普通なのですね。
あくまで戦争は、会社的なビジネス感覚なのです。
負けても生き残れば良い訳ですし、生き残っていたらまたやり返すことも可能です。
会社的ビジネスですから、処理が早いわけですね。
しかし、日本の他国との戦争歴史においては、そういった迅速な戦後処理をした形跡がありません。
結構、国家間国際間の関係が悪化してから戦争をし、戦後処理もてこずった様子が見受けられます。
戦争事に関して日本は、諸外国より明らかに打つ手が遅いです。
のっぴきならない状況に陥ってから、シャニムに戦い始めるのが、日本のパターンです。
(この感覚は、今でも変わりないと思われます。私はそこを心配します。)
そして何より、たとえ他国を所領とした場合においても、それによって本国経済が潤った形跡がないのが特徴です。
これが、日本の戦争観が、他国のような、戦争=ビジネスでない、明らかな証拠です。
そして日本は、民族の存亡をかけて戦ってきた事実がたくさんあります。
このような国は、他には例が余りありません。
「民族の存亡をかけての戦い・・・。」
これは、普通は表面的なフレーズであり、実際の世界での戦争は、ある意味でクールなビジネスなのです。
本当に行ったのは、日本と古代ユダヤくらいでしょうね。
世界の常識は、戦争=ビジネスですから、割の合わない戦争は、諸外国は行いません。
否、割が合うと判断するから戦争するのですね。
ですから必ず、自分より弱い相手と戦います。
強い相手だと、弱くしてから戦います。
戦争をビジネスとしてとらえるならば、こういう方法を選択するのは当たり前ですよね。
軍事力も、交渉材料の一つくらいの感覚です。
まあ、彼らからすれば、何でもビジネス的に合意すれば、それでOKなんですね。
日本のように、当時の世界GDP、遥か上位の大国、(清1位・ロシア2位・アメリカ1位)と、
がっぷり四つで戦うなどは、当時の世界の人々から見たら、正気の沙汰とは思えなかったでしょうね。
日本人は、戦争=国防という、世界でもまれな戦争観を有している民族と思われるのです。
日本の中にいれば、それが当たり前であるので、意識しないだけではないでしょうか。
そして日本人は、戦争=国防であるのに、世界の主流の考え方である、戦争=ビジネス論によって、
近代日本の戦争の歴史を教育されているがゆえに、現代日本人は混乱しているのではないでしょうか。
日本的戦争観、戦争=国防を証明する事例は、無数にありますので、一度にはとても書ききれません。
もう神代の時代から、戦争=国防であったのではないかと推測する案件もあります。
神代の時代から、そして現代に至るまで、それは一貫して民族を貫く、軍事的なポリシーだと私は思います。
それが良いことなのか、それとも悪いことなのかは別として、
日本人は元来、国防という理由以外に、武力を使うことを厭う民族なのです。
そういう視点を持つと、日本人の歴史上行ってきた判断が、スーっと、つじつまが合うのです。
長くなりますので、細かい事例に関しては、次回以降、述べさせていただきます。
まとめると、日本人の戦争観、即ち日本人の考える戦争とは何かは、国防であるということです。
そうでないと、日本史のつじつまが合わないのです。
土佐のくじらです。
私は戦争観という言葉を用いております。
私の使う戦争観は、「戦争とは何ですか?」と問いかけて、返ってくる答えだと思ってください。
世界の人々にこの問いを投げかけると、恐らく「ビジネスです。」と答えるだろうと私は思います。
戦争には大義名分がございます。
ここではいくらでも言葉を飾ることが出来ます。
史実でも同様に、様々に語られる各国の大義名分はありますが、言葉はいくらでも飾り立てることが可能なものです。
本音は、史実では決して図れないのです。
たとえば、日露戦争の折、ロシアは日本に負けましたけど、ロシアには戦闘継続能力は、まだまだ余裕しゃくしゃくで残っておりました。
不凍港という、経済ツールを得るために、彼らは南下しておりましたけど、
日本という、”手ごわい国”が出てきたので、沿海州から南下するのを諦めた・・・
というのが、彼らの本音ではないでしょうか。
1年半、極東から南下のための戦争をしたけれど、ちっともラチがあかないので、
「もう、や~めた。」「別の方法論を探そ!」
結局これが、当時のロシアの本音だと思います。
旅順攻略時、そのロシアの要塞には武器も弾薬も食料も豊富にあったはずです。
旅順要塞は孤立しておらず、既にシベリア鉄道もあり、兵站の補給も十分だったからです。
ロシアにとっては、一戦争の勝ち負け以上に大事なものがあった・・・ということですね。
その証拠に、日露戦争後ロシアは、バルカン半島への政治的、軍事的な動きを強めております。
そしてバルカン半島から南下しようとして、その後の第1次世界大戦の遠因となりました。
奴らは、全然へこたれていないのですね。
日本は、外国から多額の借金をしてまで、この戦争をしたというのに・・・(^^;
順番が逆ですが、日清戦争もそうです。
当時近代化が遅れていたとはいえ、清は世界第1位のGDPを持つ大国です。
教科書などでは、朝鮮半島の利権が戦争の原因・・・とあります。
これはビジネス論的説明であります。
そして恐らく、清国側から見た戦争の原因だと思います。
利権が原因だとすれば、当時のロシアを含め、朝鮮半島の3国分割統治も可能だったはずです。
恐らく3国は、それらの交渉もしているはずです。
しかし日本側は、これらの交渉には恐らくのらず、朝鮮半島に対しては、強硬な姿勢を崩さなかったからこそ、
戦争になったはずなのですね。
意外なことですが、利権目的(戦争=ビジネス論)ならば、清との戦争にはならないのです。
小国日本ぐらいならなんとかなる・・・と、清も思っていたかもしれませんね。
しかし1年余り戦って、日本が思いがけず強いので、台湾を日本にあげて終わらせた・・・という感じでしょうか。
中国と言う国は、歴史的には完全な大陸民族であって、陸地の外に興味を示した形跡はありません。
当時の台湾は、清の国民にとっては、どうでも良い地域だったのです。
(ですから中国政府が言う、尖閣や沖縄中国領説は真っ赤なウソです!)
賠償金は、お金を国内でつくればよいわけですし、遼東半島はその後、三国干渉によって変換されます。
これなど、ロシア・フランス・ドイツの3国に、根回しはきっと済んでいたはずですね。
つまり、清という国は、大国としてのメンツと朝鮮半島への影響力は失いましたが、経済的には、それほどの損失はなかったのです。
しかし、日本は3国干渉にあっさり従っております。
せっかく、戦争という代償を払ったのにもかかわらずです。
清はその後、50年も歴史は続きます。
まあ、国家の体をなしていたとはとても言えませんけど。
とまあ、長々と書きましたけど、
日清・日露とも、戦争=ビジネス理論VS日本の戦争観との戦いであったということです。
大東亜太平洋戦争(太平洋戦争)に関しても、同じようなことが言えると思います。
土佐のくじらです。
私は歴史ファンですけど、ちょっと変わった歴史の見方をします。
それは、「どう考えれば、前後のつじつまが合うのか。」ということを、重視することです。
かなりマニアックなモノの見方だと、自分でも思うのですが、
ある意味での、歴史における原因結果の法則の適応であるし、科学的な分析方法の一つではないかと思っております。
ですから、私の歴史観シリーズを貫くテーマは、つじつまが合うか否か・・・であります。(笑)
さて、世界の国々における戦争観は、私は、戦争=ビジネス・・・ではないかと思っております。
なぜそう思うかは、もう語るまでもないかも知れませんね。
そうです、そう考えた方が、つじつまが合うからでございます。
もちろん全ての国の事情を、私は知りませんので、歴史の表舞台に出てくるような、主だった国々、
欧米列強や、中国各王朝といったレベルではあります。
どう考えても、これらの国々の戦争の歴史を見れば、
既存の国家予算の範囲でしか、戦争をしている様子はない・・・ということです。
その中で、割の合う戦争しか、諸外国は戦争をしている様子はないということです。
どこかの身近な国(日本)のように、国家の存亡を賭けて・・・という戦争の歴史を有している様子は、
全く、微塵も感じられない・・・ということですね。
前後のつじつまで言えば・・・。
第一次世界大戦が泥沼の戦争であった・・・と言われますが、戦勝国は敗戦国のドイツから、多額の賠償金をふんだくっております。
このように、どこかで経済的に”ペイ”しているのです。
これが、戦争=ビジネス論です。
多くの現代日本人には、この感覚がわからないだけだと思います。
現代においては、企業間でM&Aと言われる、企業間買収が行われていますが、
恐らくそういった感覚で、国の経済のパイを増やすために、取れるものは取れる時に、取れるだけ取っておく・・・
というのが、諸外国にとっての、極々当たり前の姿なのではないかと推測するのです。
軍事力や軍事予算は、それを行使しない限り利益を決して産みません。
つまり、山賊方の略奪経済です。
ですから、いざと言うときの手っ取り早い経済として、軍事力を有しているのが、諸外国・・・
そう言い切って良いのではないかと、私は思っています。
そういう眼で見た方が、すっきりと世界史やニュースが読め、理解できるのですね。
(ただ、表面的な大義名分としては、宗教や民族問題が、よく使われておりますけど。)
世界では、語られるのがはばかられるレベルの、ごく当たり前の価値観であるけれども、
日本人でそういう視点を有している人が、極めて少ないだけではないかと、そう私は思っています。
その、国家経済の一つのツールとしての軍事力・・・であり、方法論としての戦争・・・ではないかと私は思っています。
そういう視点を持ったならば、自然と前後のつながりがよくなる事例で、世界史は満ち満ちているからです。
ただ、日本の歴史だけは、それではつじつまの合わないことだらけです。
教科書で習っている歴史観、特に戦争観だけでは、この国の神秘は深すぎて、整合性がなさすぎるのです。
土佐のくじらです。
以前に、「日本とその他の国々では、戦争観が違う」と書きました。
戦争観とは、『 戦争とは、何を意味するか 』ということですね。
その国、その地域の人々が、「戦争」と聞かれて、当たり前のように答える、または思い浮かぶと推測されるものです。
他の国々では、 戦争=ビジネスだが、日本はそれとは違っている・・・こう、私は言い切りました。
なぜ、そう言い切れるのか・・・
答えは簡単です。
そうでないと、それらの国々における、前後の歴史のつじつまが、全く合わなくなるからです。
ではどこを指して、つじつまが合わないと言っているのか・・・
それは、
今日は時間がありませんので、日本の明治以降に限りますけど、
日清・日露・大東亜太平洋戦争、近代日本が経験した、いずれの戦争も、日本は戦後、国力が疲弊しきっているのです。
「戦争をすれば、国力は疲弊するに決まっているではないか?」
そう、皆さんはお思いになるかも知れません。
恐らく、日本人の多くの方々は、そう疑問に思うだろうと推測いたします。
そう実は、そうお思いになることが、即ち、
日本人は、戦争=ビジネスだとは思ってもいない、確固たる証拠なのです。
そして他の国々では、戦争=国力の衰退・・・とは、発想が必ずしも一致しないのです。
むしろ、戦争=儲かるかも知れない・・・と考える人々が多い、
いや、そう考える国々の方が、圧倒的に主流であると言えます。
その証拠ですが、明治以降近代日本と戦いを交えた国々は、日本のように国力が衰退しきった・・・という様子は微塵もありません。
ロシアはソ連に、清は中華民国に、その後の革命によって国名は変わりましたけど、
これなどは、日本で言うところの、政権交代程度でしかありません。
あくまで、それぞれの国の中の、国内問題だということです。
戦争で疲弊しきって、その結果、国が他国に滅ぼされた訳ではありません。
当時の政権が、国民の信任を受けられず、瓦解した・・・内部崩壊した・・・
というのが、正しい見方だと思います。
私の、歴史=つじつまあわせ理論で言えば、
清やロシアは日本と戦い、負けた・・・ということになっていますが、
清やロシア視点で言えば、
これ以上戦争をすると、割に合わなくなったから、戦争を止めた・・・と見るのが、一番つじつまが合うのです。
これは、他の国々の戦争観、戦争=ビジネス論で言えば、そう説明するのが、前後の事実は一番つじつまが合いますし、
そういう視点で、世界や日本の歴史を見たら、また違った真実が見えてくるのが、歴史であると私は思うのです。
詳しくは、後日また日記にエントリーいたします。