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遠山の金さん
ご存知、名町奉行・遠山の金さんこと遠山金四郎景元(かげもと)。江戸時代の名奉行と言えば、もう一人、大岡越前守忠相(ただすけ)がいた。
金四郎は通称。景元は実名。越前守は官職名。忠相は実名だ。
この二人は時代は違うが、ともに名奉行の評判が高く、また現代でも時代劇番組の主人公の双璧である。
しかし大岡の方は、越前守忠相と正式な官職と実名で呼ばれるのに対して、遠山の方は何故か金四郎という通称で呼ばれることが多い。
大岡を越前守忠相と官職名と実名で呼ぶならば、遠山も同じく官職名と実名で、遠山左衛門尉景元と呼ぶべきでは?
(★二人は「従五位下ーじゅごいのげー」という官位で同格。左衛門尉ーさえもんのじょうーと読む。)
そこに大衆の心が見てとれる。大岡にはある種の権威を感じ、圧迫感があるのではないか。
翻って、遠山には金さんと呼ばせる、なにか下情に通じた砕けた親近感を抱かせるものがあるのだろうという気がする。
それは、あの桜吹雪の彫り物と、それを見せる際のベランメエの啖呵が最大の原因ではなかろうか。
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それなりに真面目に調べてみた。専門の歴史家の書いたものも当たってみたが、だいたい次のことが言える。
1.金さんは、彫り物をしていたかどうか、不明。していなかった可能性も強い。現状、調べようがない。
2.彫り物があったとしても、桜吹雪かどうか甚だ怪しい。
3.女の生首が彫ってあったという説も根強い。
4.まして幕藩体制下の奉行所で、片肌脱いで彫り物を見せることは狂気の沙汰であり、まず考えられない。
歴史の真実というものは、大概こんなものだ。つまらないねえ……。調べない方が良かったヨ。夢がなくなるものねえ。
それに、なぜ金さんには、このような庶民の思いが寄せられるのだろうか? それは金四郎の複雑な生い立ちなどが関係してくるのだろうが、ここではこれ以上立ち入らない。
皆さん、忘れてください。