
ウソも方便(ほうべん)
“嘘つきは泥棒の始まり”などと言って、ウソは戒められている。でも嘘を言わずに、全部本当のことばかり言えばよいというものでもない。
道で子連れの友人にあって…
○「君のそばで蠢(うごめ)いているのはなんだい?」
友「あ、これ俺の子供」
○「ジャリかい? 驚いたね、男の子だな」
友「違うよ、女の子だよ」
○「へっ?!女かい?これが?それにしてもヒドイ面(つら)をしているねえ
。いくつだ?」
友「6歳だよ」
○「6歳!チイセエナア。どうひいき目に見ても4歳にしか見えねえな。ヒネコビているねえ……おいおい、泣いているよ」
友「笑っているんだよっ!」
○「笑っているのかい?!驚いたなあ。こりゃあ、大きくなっても、嫁の貰い手はいねえぞ、親の慈悲だ、今のうちにナントカしろ」
友「なにをこの野郎!」
これじゃ喧嘩になってしまう。これが世辞がウマイとこうはならない。
○「君の子供かい?」
友「あ、これ俺の子供」
○「そうかい、道理で…奥さんに似て可愛い女の子だねえ、キッと美人になるよ」
友「違うよ、男の子だよ」
○「へっ?!男かい? あまり可愛いから女の子かと思ったよ将来が楽しみだね。もう小学生かい?」
友「まだ4歳だよ」
○「4歳!オオキイナア どう見ても6歳くらいに見えるよ。驚いたなあ。ニコニコ笑って愛嬌もイイし、こりゃあ、大きくなったら、役者にしたらイイや!」
友「どうだい? 近くで一杯やらないかい?
」
やはり適度なウソは必要なようだ。ウソも釈迦がつけば『方便』、商人が言えば『世辞』となり、それなりに許されている。
嘘がつけないのが子供、とくに幼児だ。
今年4歳になったばかりの男の子。休日に両親と散歩に出た。向こうから犬を連れたオバサンが来た。
男の子は思わず犬に駆け寄り、犬を撫でながら叫んだ。
「わっ!カワイイ犬だぁッ! オバサンは変な顔だけど…」