そのひとのためなら、自分を犠牲にしてもかまわない
そのひとのためなら、どんな嘘でもつける
そのひとのためなら、なんでもできる
そのひとのためなら、人殺しにもなれる
あのとき、大切なひとのことだけ考えた
大切なひとが、いちばん傷つかない方法を考えた
後悔なんかしていない
どんなことだってやる
起こったことのすべてを
わたしは
受け入れる
書店の入口で大量に平積みされていた「Nのために」
読んでみようと決心させたのは
「告白」を思い出したからに違いない
余計なことをつけ足してしまうが
カバーのないまっ白なハードカバーの本が出現して
二度と触れることのできないものに触れることができるような
錯覚を起こしたのだろう
このひとの作品は読まないルールにしていたのに
逆に働いてしまったようだ
読みたいのに時間がない
それでも無理をして読み始めた「abさんご」
ひらがなと全文横書きが印象的な作品で
固有名詞、カタカナやかぎかっこを一切使わず
句読点は英文と同じくカンマとピリオドを使用し
15の断章からなる物語で入口で躓くと言われている
それがどーした?くらいにしか思っていなかったけど
わたしも例に洩れず3章の始まりで躓いてしまっている
ひらがなの多い文章を読み進めるにはエネルギーがいるわけで
それでいて、なんでここに難しい漢字を使うわけ?
11ページ2行目「語彙」が読めずに本を閉じてしまったのでした(笑)
「偶然の旅人」を読み終えて本を閉じました
すぐにまた開いて、もう一度読んでしまいました
どうしたらいいのかわからなくなってしまったとき、
僕はいつもあるルールにしがみつくことにしているんです
ルール?
かたちのあるものと、かたちのないものと、
どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、
かたちのないものを選べ。
それが僕のルールです。
壁に突きあたったときには
いつもそのルールに従ってきたし
長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。
そのときはきつかったとしてもね
どんな本でもまず「あとがき」を読むことにしている
タイトルや表紙に魅かれて手にする本は
余計にそこが大事で
それ次第では元あった場所にあっさり置かれてしまう本もあるわけです
その中でも「あとがき」に甚く感動してしまい
読んだ気になっていた
いや、読まなくても満足してしまっていた本がある
たとえば悲しみを通過するとき、
それがどんなにふいうちの悲しみであろうと
その人には、
たぶん、
号泣する準備ができていた。
喪失するためには所有が必要で
すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
そして、
それは確かにそこにあったのだと思う
(抜粋)
途中から半ベソで読んでるわけじゃない
泣きそうなのを我慢して読みすすめてるわけでもない
それなのに、最後の一行を読み終えると
ポロポロ涙が頬をつたうんよ
雨の日には思い出したくなる1冊の本がある
新刊として平積みにされていたその本を手にしたのは
もう20数年も前のことだ
この物語には「サーブ」という車が登場する
車に興味のないわたしがその描写を愉しむ
数行の描写どおりに頭の中で線が引かれて
見たこともない車がわたしの憧れとなって完成した
それから間もなくのこと
わたしは「SAAB」に乗ることになる
「ねぇ、この車サーブ?」
『そうだよ』
雨の日にはこんな余計な会話まで思い出してしまうのさ(笑)
It's You
夜になって本屋に出かけた
昨日のコトはまるで花占いのよう
ならば奇数の花びらを持つ花を用意しよう
村上春樹の作品は「ノルウェイの森」しか読んでいない
「深い」描写に何度ページを戻したことだろう
「愛し合う二人に代わって」を一気に読み終えた
言うまでもないけど
短編でありながらも何度かページを戻してしまった
ページをめくり続けられない自分の「おばか具合」を試されているようだけど
嫌いじゃない(笑)
村上春樹がすごく好きというわけじゃないけど
読んでみたいと思うような記事に出逢ってしまった
冒頭の「愛する二人に代わって」があまりにも素晴らし過ぎて
「はぁ」と思いながら余韻を楽しみ
その余韻だけで他の短編を読み進めることをやめてしまった とある
だから、昨日は本屋さんに行った
眠る前に読む本はハードカバーでは具合が悪い
わたしだけではないと思うのだが
それはページがめくり難いという理由からだ
その本を手に取っては置き、また本を手に取る
そんな行動を何度も繰り返してしまった
本の表紙は竹久夢二
黒い猫を抱く女性が描かれていた