こんばんわぁ!
弊社最年長のおじい事、河野 司です。
本日2月7日は “吉原遊廓移転の日” について一筆投稿させて頂きます。
1657年2月7日、それまで東京・日本橋人形町辺りにあった吉原遊廓が、浅草・日本堤に移転しました。
旧暦明暦2年12月24日
吉原遊郭は江戸幕府公認遊廓として営業しておりましたが、江戸一帯を襲った大火事「明暦の大火」によって吉原もほぼ全ての家屋が倒壊してしまうことに…。明暦の大火からの再建を機に浅草・日本堤へと移転されております。
ちなみに、吉原遊廓は徳川家康(とくがわ いえやす)が江戸に幕府を開く際に、江戸開拓のため
徳川家康の領地だった駿府(現:静岡県)から、工事現場の人足や食事の世話をする者を江戸にたくさん呼び寄せたことが始まりとされております。
この記事を見て、吉原遊郭は江戸幕府公認の遊郭だったとは聞いてびっくり玉手箱ではないですが、まさに、青天の霹靂であります。
それも、戦国時代の3英傑(信長・秀吉・家康)の一人で信長・秀吉に比べると比較的に堅物のイメージの家康が吉原遊郭を幕府公認の遊郭にするとは、本当にびっくり仰天であります。
さすがに、徳川幕府264年の創業者、酸いも甘いも嚙み分ける天下人、良く学び、よく遊べの有言実行の人だったのかなと思い直している今日この頃です。
お付き合い頂き有難うございました!
以上です。失礼します。今後とも宜しくお願い致します!
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