先日、依頼があり、土香る会さんの会報に文章を寄稿させて頂いたのですがこちらにも転載します。
「豊里という集落の片隅で一人の百姓が考えること」
私が第2有島農園と呼ばれていた土地で牧場を手伝い始めたころ、豊里(有島第2農場跡地周辺)に住む人はとても少なくなっていました。集落にあった豊里神社は人口の減少によって管理できないと町の神社に合祀され、とうの昔に無くなっていました。そこにあった第2農場解放記念碑はニセコ町の中心部に移されていました。
典型的な過疎化が進み消滅していく集落の一つであったように思えます。
坂や崖が多く、狭い谷のような地形に多くの雪が積もるため春の雪解け水によって養分が多い表土が削られます。土は粘土質であることに加えて、標高が少し高いため地温が十分に上がらず、湿った空気によって霧も深くなり、野菜に虫害や病気が発生しやすいです。また、大きな岩がゴロゴロと埋まっている場所が多く、農機具の劣化が早まります。
牧場の敷地の中には効率的な農業が難しく、ほったらかしたままの土地が残っていて、うっそうと茂る藪の中、澱粉小屋や豚小屋などの人々が暮らしていた跡が片付けられないまま点在しています。
ニセコ町から離れた場所で孤立するように生活を営む人々の中では結束も生まれていたようですが次第に人はいなくなり、タヌキやキツネなどの動物が増え、田畑を荒らしていました。
夕暮れ時の静かすぎる森からは蝙蝠が飛び交い、寂しさや虚しさを感じさせる陰鬱とした空気が漂っていました。
自殺した人や馬にかまれて亡くなった人、投資に失敗して去っていく人などの暗い話を人々から伝え聞き、この土地には何か怨念めいたものがこびりついているのではないかと感じることもありました。
人々が妬みなどの暗い感情を抱えながら時に争いながら日々を細々と暮らし、金銭や名誉、都会の華やかさなどへの憧れ、その他経済的な窮地などのやむにやまれぬ事情から去っていったのだろうと想像ができます。
有島作品の中で「カインの末裔」を読んだとき、その歴史を垣間見せられたように思えて、この土地でダチョウを屠畜して生計を立てる自分に重なるように思えました。
地元の人も冬は通らないほうが良い道だと言うほどに深い雪に閉ざされる土地で 人とのかかわりも少ない中、あまり収入になる当てもなかった動物たちの世話をして過ごすという経験はなかなか辛く、絶えず吹きすさぶ冬の嵐に小屋やハウスを痛めつけられ、心まで凍えさせられたものでした。
しかしこれは私にとって恵みであったように思えます。
例えば有島文学について 昔は今ほど共感や理解を持つことはできませんでした。
厳しい自然環境。人を荒ませる土地。悩み苦しむ人の業。その中でも慰めや新たな気づきが得られることを教えてくれる文学の素晴らしさを実感します。
有島文学はこの土地に滞る陰鬱な空気を吸いながら、彼の根源的な優しさというフィルターを通して吐く息は、どこか清浄となった明るさも感じさせてくれるように思えます。
これからも折に触れて彼の文学を読み、彼の生きざまから様々なことを学び続けたいと思っていますし、今年は農場の解放100周年という事もあり、牧場を訪れる多くの方々に彼の功績や文学を伝える取り組みをしていきたいと思っています。
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