ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

祖父の死、百姓の矜持について

2022年04月09日 | 日記
札幌で長年農業をしていた私の祖父が亡くなりました。
尊敬する人でした。
100年以上続く農家を継ぎ、高度経済成長期には「どん百姓」と蔑まれたこともあったそうですが、懸命に私の父たちを育て、私たち孫にも愛情を注いでくれました。
あまり言葉が達者ではない人でしたが愛情と責任感が強く、私の通っていた保育園の理事長や連合町内会の会長、札幌の農業委員会会長など、私が幼いころから地域の顔役として忙しく働いていて、きっと大きな使命感のようなものを持っていたのだろうと思います。
卒園式や入学式、成人式などにはなぜか何かの役職に就いているために貴賓席に座っていて、違う意味で緊張しました。

その姿には戦後の貧しい時代から地域を発展させてきたという自負もあったと思います。
当時は戦時中に接収された畑に作られた防空壕のがれきを片付けて、作物をつくったそうです。

私の小さなころから今まで、農業や不動産業の傍ら、地域の神社活動や近所の公園の整備、消防活動や交通安全活動など枚挙にいとまがないほどにいつも働いていました。

私が牧場で本格的に働く前の約一年間、祖父の農業や不動産業の手伝い、町内会活動に参加していました。
様々な活動に熱心な様子を間近で見て、苦労や意味をすこしだけ理解できました。
きっと資産を持っていたり、地位を持っていたりするという事は祖先のおかげであったり、何かの縁であり、その頂いた力は社会や誰かの為に正しく使う重い責任があるのだろうと思います。
もし、そのことを知らずに成功や資産を得たとしてもそれは本当の意味での成功や幸福にはつながらなかったり、長くは続かなかったり、自分の大切にしたいと思っていたものを見失ったりしてしまうでしょう。

西洋では「ノブレスオブリージュ」という言葉がありますが、それに似ているように思います。

土にまみれて、汚れた作業服を着ながら畑仕事で汗をかき、私たちに美味しい野菜を取ってきて、しわしわの手から渡してくれる祖父の中に、甲冑をまとった騎士や刀を差した武士のように誇り高い何かを私は感じていました。

あのまなざしをもう見られないことが本当に寂しいですね。
私は祖父の作る野菜のように美味しい野菜がまだ作れず、食べてもらえなかったことも心残りですね。本当に美味しいトマトだったのですよ。

とにかく、私は祖父に恥じない立派な百姓になり、堕落することなく自分に与えられた責任を果たし続けなくてはと思います。

とはいっても、まだまだ未熟な私は時々この文章を読み返し、自分を諫める助けにしたいと思いますし、これからも皆さんに見守ってもらえればと思います。

おじいちゃん、本当におつかれさまでした。
ありがとうございました。






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