ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

坂村真民という方の冬がきたらという詩を冬になると読みます。このコロナ禍で苦しむ人々にも伝えたいと思い書きました。

2021年01月11日 | 日記

「冬がきたら」
冬がきたら
冬のことだけ思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう

冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと静けさを知ろう
(後略)

この後にも詩は続いています。

凍てつく朝、雪にまみれた小屋を雪かきし、手があまりの寒さで耐えられないほど痛みながら、だちょうさん達に餌をやります。
命が全く感じられない寂莫とした世界で、喜びや楽しさを忘れてしまいそうになります。
しかし、こうした厳しい冬の中にあって、ふと美しい風景や気づきに出会います。
吹雪の中で垣間見えた羊蹄山の神々しい美しさ、張り詰めた静けさの中ではらりと舞い落ちる粉雪、凍り付いたハウスの表面に現れる氷裂の複雑で美しい模様。
雪が積もらなければ、ふもとに素晴らしい湧水は湧かず、畑を休めることもできません。
凍てつく寒さが病害虫を死滅させ、滋味豊かな美味しい野菜が作れます。
何事にも意味があり、この厳しさと静けさからも学ぶことが多いのだと感じます。

強引なこじつけかもしれませんが、このコロナウイルスも自然の一部であり、その厳しさからも何らかの学びを得られると感じていますし、進んで何かを得ようとしなければならないと思います。
現在、人々は分断され、いつもどこかで誰かが非難され、なぜ自分がこんな目に合わなければならないのかと嘆き悲しんでいる人々がいます。
誰かのせいにしたり、何かのせいにしなければ心を保てないこともあるでしょう。
ただし、この世には常にそうした事象があふれていることは歴史が証明しています。確かに、このウイルスは人類が今まで経験してきている物に比べて、ずいぶんと性質が悪いものです。
軽い症状や無症状の人を油断させ、致命的な病状を起こす人に感染させ、数多くの悲劇を生み出しています。
今は不安や不満から、ウイルスが人々を苦しめているはずなのに、人間同士が否定しあい、攻撃しあっています。
ですが、人類は一つ一つ学び、打ち勝ってきたことを歴史は証明していて、このウイルスともいつか共存することができます。
どうか体と心を健やかに保ち、時にささいな喜びを生活の中から見出しながら過ごしてください。

「冬がきたら」の他に「必然」という詩も心を強く持てるよう語り掛けてくれているので、こちらも紹介させていただきます。

必然

夜は必ず明け
光は必ず射してくる
念ずれば必ず花は咲き
道は必ず開いてくる
この必然の祈りに生きよう

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