ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

ロシアのウクライナ侵攻と日々の営みの大切さについて

2022年02月28日 | 日記
ロシアのウクライナ侵攻が現実に起こる様子を様々な映像で見ました。

SNSの発展によって戦争はこんなにも身近に感じられると同時に想像力や思いやり、俯瞰した視点がない主張を述べている方々がいることに恐ろしさも感じます。
どうか人々がこれ以上傷つけあい、分断され過ぎないことを祈ります。

私は歴史的、地政学的な背景を鑑みると起こるべくして起きたような感覚を持っています。
ロシアが置かれている状況をみると、日本が戦争に突き進んでいった状況にも若干似ているように思います。
多角的に物事を捉え、悪者に見える一方を批判しているだけでは見えてこない複雑さを感じます。
人類が有史以来続けてきた戦争の必然性を痛切に感じますし、まだまだ人類は発展の途上にあるのだと思います。

ただはっきりと言えることは、実際に戦争の被害に遭っている人々がいて、彼らは私たちと変わらない弱者であるという事です。
人々が不条理な暴力の中で苦しんでいるという事実を想像して、互いに理解し、協調することの意義を考えていくことが大切です。

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。  ヘルマン=ヘッセ

戦争に翻弄され、国民の世論に反して戦争反対の論調を張るなどの行為から波乱の生涯を送る中で、耐えがたい苦しみを抱え、戦争を憎み、平和を愛しつづけた文学者の言葉です。

彼は戦争という人間の身勝手な行為によって奪われる個人の自由や幸福、自然環境の破壊を嘆き、戦争が身勝手に自然や人類に与えた影響の多大さに比べれば個人がささやかな幸せを享受することに何ら悪いことはないと訴えました。

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。   忌野清志郎

この言葉もとても好きです。
難しいことばかり上から目線で物を言っても通じあえることはほとんどなく、信頼や互いへの敬意を持つことや、様々なチャンネル、受け入れられやすい表現を通して相互理解をしあえるよう尽くすことが大切だと最近は良く感じますし、物事を悲観的に捉えすぎないことにも大きな価値を感じます。


私は調子が悪くなったり、怪我をしてしまったりすることがあるだちょうさんや命を頂く事を考えているだちょうさんと過ごしていると、生きているという事がとても尊く有難いことだと感じます。

歴史が脈々と受け継いできた平和への灯を次の世代にも引き継いでいくためにも、少しでも笑い合える今の幸せを守ること、大切にすることを効果的に伝えていかなくてはならないですし、努力したいと思います。

おかげさまで、私の話を聞いていただくことには一定の評価を頂けていて、学校の旅行などで聞きたいと問い合わせしていただいたり、来年の修学旅行の依頼を頂いたりしています。

しかし、慢心せずに襟を正し、しっかりと子どもたちに良い経験をしてもらえるよう与えられた勤めを果たさねばなりませんね。

そして彼らから頂いた学びを糧にまた学び、少しでも次の世代に良い教訓の種を蒔くために、日々を大切に営んでいかなくてはと思います。

今回更新しようと思った何よりの想いとして、皆さんはどうか日々の心悩ますニュースにばかり囚われず、心と体を思いやった日常を大切にお過ごしいただければと思います。当たり前の日常を大切に生きることが、多くの犠牲の上で成り立つ平和を守ることだと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年もお世話になりました。 | トップ | ウクライナ侵攻とSNSの発展に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿