<陸上>山県10秒00 9秒台まで、あと10センチ
9/24(日) 21:16配信
◇全日本実業団対抗選手権・男子100メートル(24日)
速報タイムの「10秒01」から1分ほどが経過し、出てきた正式タイムは10秒00。その瞬間、山県亮太(セイコーホールディングス)は満足感と、どこか悔しさもにじんだ笑みを浮かべた。日本勢2人目の9秒台まで、あと約10センチ。それでも「ほぼ無風でこの記録は地力が上がっている証拠。9秒台はこの状態を維持すれば出る」と声を弾ませた。
得意のスタートの反応時間は0秒138で4番目。だが、体が早く浮き上がって加速できなかった準決勝での序盤のミスを修正し、すぐに先頭に立った。さらに、課題の中盤以降も進化を示した。力まず、最後まで足の回転も乱れない。10秒08の自己ベストを持つ飯塚翔太(ミズノ)に0秒24差の圧勝だった。
リオデジャネイロ五輪400メートルリレーで銀メダルをつかんだ昨年から一転、今年は屈辱の連続だった。3月に右足首を痛めた影響で、同じ長居で行われた6月の日本選手権は6位と惨敗。8月の世界選手権はリレーの代表すら外れた。さらに、4年前からライバルの桐生が今月9日に9秒98。「9秒台は憧れ。尊いタイム」と語る山県は日本初の偉業に名を残せず、喪失感に襲われた。
それでも「くよくよしている時間が惜しい」と前を向いた。けがも完治し、夏のトレーニングで筋力も戻した。逆襲に向け、今大会だけに照準を定めた。日本選手権で4位に敗れた桐生とは再起を誓い合った仲。「ライバルの刺激を受けながら、どこかでいい記録が出ないかなと思っていた」。近年の日本短距離界をけん引した2人が、タイムでも歴代1、2位となった。
「まだ100点のレースではない。残り何点分かの修正を加えて、今季中に(9秒台を)出せれば最高」と山県。来月上旬の愛媛国体で快挙に挑む。【新井隆一】
◇山県亮太(やまがた・りょうた)
広島市出身。100メートルで広島・修道高時代に出場した09年世界ユース選手権4位。慶大時代の12年にロンドン五輪に初出場すると、予選で五輪の日本選手最速となる10秒07を出し、日本勢唯一の準決勝に進出。14年以降は腰痛に苦しんだが、16年に復調し、8月のリオデジャネイロ五輪では2大会連続で準決勝進出。準決勝では10秒05で自身が持つ五輪の日本選手最速タイムを塗り替えた。400メートルリレーでは第1走者を務め、トラックでは日本勢88年ぶりとなる銀メダル獲得に貢献。昨年9月の全日本実業団対抗選手権で当時日本歴代4位タイの10秒03をマークした。
◇男子100メートル日本歴代上位記録◇
(1) 9秒98 桐生祥秀(東洋大) 2017年
(2)10秒00 山県亮太(セイコーホールディングス) 2017年
伊東浩司(富士通) 1998年
(3)10秒01 桐生祥秀(京都・洛南高、東洋大) 2013年、2016年
(4)10秒02 朝原宣治(大阪ガス) 2001年
(5)10秒03 山県亮太(セイコーホールディングス) 2016年
末続慎吾(ミズノ) 2003年
※所属は記録達成時。桐生は10秒01を2度マークしている
山県、因縁の地で10秒00「僕にもプライドがある」世界選手権落選から3カ月
9/24(日) 16:53配信
「全日本実業団対抗陸上選手権」(24日、ヤンマースタジアム長居)
男子100メートル決勝が行われ、リオデジャネイロ五輪代表の山県亮太(25)=セイコーホールディングス=が10秒00(追い風0・2メートル)の日本歴代2位のタイムで2連覇を達成した。3カ月前の日本選手権で6位に終わり、世界選手権代表から落選した因縁のスタジアムで、意地の走りをさく裂させた。
【写真】桐生9秒台から一夜…山県からのメッセージに「泣きそうに」
桐生祥秀(東洋大)の日本人初の9秒台の快挙から2週間。日本短距離界の躍進は止まらない。山県が好スタートから力強くゴールを駆け抜けると、表示されたタイムは10秒01。一度速報値が消え、再び表示されたタイムは“アジアの風”と呼ばれた伊東浩司の日本歴代2位に並ぶ10秒00だった。「10秒01って出て、最初うれしかった。(昨年10秒03をマークした大会で)1年間、色々あった中で、もう1度この大会で自己ベストを出せたので。(正式タイムを)待っている間は何も考えてなかった。10秒00で記録が上がったので良かったなと」。ただ、悲願の9秒台にはならず、少し悔しそうに「もうちょっと」というポーズを見せた。
3カ月前は、このトラックで屈辱にまみれた。世界選手権代表選考会だった日本選手権。春先に負った怪我から回復が遅れ、本調子にはほど遠く6位に終わり、代表入りを逃した。その時、同じく個人での代表を逃した桐生と誓いあった。「2人で陸上界を盛り上げてきた。だからもう1度鍛え直して戻ってこよう」-。雪辱を誓った2人が、シーズン終盤になって快記録で、再び日本短距離界に火をつけた。
「この結果で、来季、次に向かっていいという気持ちになれた。僕にもプライドがある。ここからまた日本の短距離をけん引できる存在になりたい」と、高らかに復権を宣言した。