午後7:02 · 2020年1月26日
午後7:02 · 2020年1月26日
帝国論/山下範久編/講談社選書メチエ2006 //滋賀ほか
午後8:34 · 2020年1月26日
権威主義とポピュリズムで説明することが、素直な認識なんだろうか。私は「ポピュリズム」が間違っていると思っている。もっと人を信じていいと。考え込んでいる。
↓
朝日globe 2020.1.26
世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている/国末憲人
午後8:44 · 2020年1月26日
午後8:45 · 2020年1月26日
午後8:50 · 2020年1月26日
衆愚政治、賢人寡頭政治をいう人は、「啓蒙できない大衆(決めつけ)」に対して、代理、指導者でおろうとするのではないか。あるいは、理解を示そう、寄り添う姿勢を持とうとする(欺瞞)。
by龍隆2020.1.27
「今、EUは帝国に近い何か、あるいは米国のような存在になりつつあるように見えます」まさに私が「規制帝国」という言葉で説明したような状況にハンガリーが反応したと言える発言かもしれない。 https://t.co/2Jv0KGNYjd
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) January 26, 2020
午後7:02 · 2020年1月26日
「規制帝国としてのEU」を所収しているのはこちら。https://t.co/GLem2zkHOY
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) January 26, 2020
午後8:34 · 2020年1月26日
権威主義とポピュリズムで説明することが、素直な認識なんだろうか。私は「ポピュリズム」が間違っていると思っている。もっと人を信じていいと。考え込んでいる。
↓
朝日globe 2020.1.26
世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている/国末憲人
権威主義とポピュリズムで説明することが、素直な認識なんだろうか。私は「ポピュリズム」が間違っていると思っている。もっと人を信じていいと。考え込んでいる。↓朝日globe 2020.1.26世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている/国末憲人https://t.co/NYWQRP1r0t
— たつ たかし龍 隆-おはら野 (@owarano1951) January 26, 2020
午後8:44 · 2020年1月26日
帝国とか版図とか、国家の形態を巡る、権力支配の単位の云々ではなくてさ。近代が自明とした(そのため考えたことも無かった)領域国民国家が音を立てて崩壊消滅しようとしているんだと思う。ヒントは、いろんな原理主義が欧米近代国家の域内から出現してることにあるよ。
— たつ たかし龍 隆-おはら野 (@owarano1951) January 26, 2020
午後8:45 · 2020年1月26日
権威主義ポピュリズムの日本的展開。天皇杯主義臣民
— たつ たかし龍 隆-おはら野 (@owarano1951) January 26, 2020
午後8:50 · 2020年1月26日
イスラム原理主義は欧米で生まれた
— たつ たかし龍 隆-おはら野 (@owarano1951) January 26, 2020
衆愚政治、賢人寡頭政治をいう人は、「啓蒙できない大衆(決めつけ)」に対して、代理、指導者でおろうとするのではないか。あるいは、理解を示そう、寄り添う姿勢を持とうとする(欺瞞)。
by龍隆2020.1.27
朝日新聞GLOVE 2020.1.26: 世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている/国末憲人|
https://globe.asahi.com/article/13065866
「ポピュリズム」はほんの10年ほど前まで、人々の不満や不安を吸収して人気を集める右翼などニッチな政治勢力が定番だった。今のポピュリズムは、そんな弱小勢力にとどまらない。実際に権力を握り、持続的に政権を運営し、強権的な振る舞いを繰り広げ、国際社会でも存在感を示すようになった。 この、いわゆる「権威主義的ポピュリズム」を、どんな考えの人々が支えているのか。これに抵抗する動きはあるのか。 欧州連合(EU)内でも近年特に影響力を高めているハンガリーを訪ね、関係者の話を聴いた。(国末憲人)
「権威主義的ポピュリズム」は、旧東欧諸国やロシア、トルコなど、いったんは欧米型のリベラル・デモクラシーを目指そうとした国々に近年目立つ。その典型例が、今年発足10周年を迎えるハンガリーのオルバン政権だ。強権ぶりを発揮して国内の改革を次々と断行する一方で、EUなどとは鋭く対立する。
ハンガリーは冷戦時代、社会主義陣営の改革派として知られ、1989年の東欧革命もいち早く国境を開くなど、民主化の先頭に立ってきた。なのに今は、逆に権威主義ポピュリズムの急先鋒(きゅうせんぽう)だ。2010年に権力を握ったオルバン政権が、EUの意向を無視する形で難民を排し、憲法裁判所の権限を縮小し、教育の規制を強化する。
オルバン・ヴィクトル首相自身がかつて、民主化の闘士として改革派の若手グループを率いた経験を持つ。ポピュリスト政治家として名を売る今の姿は、180度の変節に見える。
まず、その政権を支える立場の論理を探ってみよう。
■オルバン首相の最側近、「恐怖の館」館長
ハンガリーは戦前ナチス・ドイツの、戦後はソ連の事実上の支配下に置かれ、秘密警察の監視の下で不当逮捕や拷問、虐殺が日常化した。その実態を展示したのが、ブダペスト中心部にある博物館「恐怖の館」。建物は共産主義時代の秘密警察本部跡で、地下に設けられていた牢獄も公開されている。学校の社会見学の定番となっているようで、私が訪れた2019年11月、館内は中高生らしき少年少女であふれていた。
ここのシュミット・マリア館長(66)がインタビューに応じた。シュミット館長はホロコースト研究で知られる歴史学者であると同時に、オルバン首相の側近中の側近として政権に深く関わる。10月には米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、政権が目指すものを「コミュニティー、キリスト教、連帯に基づいた非リベラルな社会だ」と説明していた。
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――なぜそのような社会が必要だと考えるのでしょうか。
「リベラルな社会が国から統一性を奪い、いくつかの異なるアイデンティティー集団に細分化してしまったからです。でも、社会にとって重要なのは、国家に基づいた一つのコミュニティーに結集することです。そうしてこそ、連帯感を持つコミュニティーを築くことができます」
■「ハンガリーは均一国家」
――このグローバル化の時代に、そんなことが可能でしょうか。
「まさにそういった時代だからこそ、つまり人それぞれ違いがあるからこそ、私たちを結びつけ、連帯意識をつくるものが、国家を差し置いてはないのです。国民国家が重要な理由はそこにあります。グローバル化に直面するからこそ、地域のアイデンティティーもまた強まるのです。ハンガリーに限りません。スペインでも、英国でも、イタリアでも同じです」
――その場合、少数民族への対応が難しくなりませんか。たとえばロマ人とか。
「私たちは彼らを少数民族とは見なしません。みんなハンガリー人です。私たちのような市民と同様に」
「ハンガリーは均質の国民国家です。第1次大戦の戦勝国がそう決めたのです。その前、私たちは確かに、ハンガリー人がようやく半数を超える程度の多国籍多民族国家でしたが」
ハンガリーを中心とする旧東欧一帯には第1次大戦前、ハプスブルク家が支配するオーストリア・ハンガリー帝国が広がり、その中で様々な民族が共存していた。しかし、1918年に帝国が崩壊した後、民族移動や住民交換、さらに第2次大戦での敗北を経て、ハンガリーの領土は縮小し、同時にハンガリー人の割合が増えた。現在のハンガリーでは、1000万弱の人口の9割近くをハンガリー人が占めるに至っている。
一方で、ハンガリーには依然として多くの少数民族が暮らす。ジプシーと呼ばれ差別を受けてきたロマ人もその一つで、数十万を占めるという。後述するように、現在の政府には多数派ハンガリー人を優先する意識が強く、少数派を軽視しているのでは、との懸念を抱く人々もいる。
■「コピーをやめ自らの道を」
――「ベルリンの壁」が崩壊し、さらに冷戦が終結してから30年になります。この30年のハンガリーの変化をどう見ていますか。
「ベルリンの壁は崩壊したのでなく、私たちが倒したのです。共産主義を打倒したのです。それはともかく、これまで大きな変化がありました。当初、私たちは米国化されました。国家と市場を再建するにあたって、米国のモデルに従ったのです。私たちは確かに、多くの新たなことをそこで学びました」
「続いて2008年に世界金融危機が起き、私たちは大きな苦汁をなめました。そこで、外国をコピーするだけではだめだ、自ら歩まなければ、と悟ったのです」
「私たちはコピーをやめ、自分たちならではの道を見つけようとしました。2010年以降オルバン政権が続けてきたのはその営みです。それが、有権者の3分の2の支持を得て、3期続けて政権を担当することにつながりました」
■「西欧はマイノリティー優先」
――ただ、2011年に憲法を改正した際には、多くの批判が寄せられました。報道や表現の自由が抑圧されている、との声もあります。
「それはうそです。ハンガリーには報道や言論の自由があります。その範囲は広く、他の国が模範とするぐらいです」
――今後ハンガリーはどうなりますか。
「西欧のようになりたいとは思いません。性的マイノリティーや少数民族に関する問題がすべてに優先されるのも、西欧ならではの現象です」
シュミット館長の歴史学者としての評価は、議論を呼ぶところである。そのホロコースト研究は国外にも広く知られる一方、被害を過小評価するものだとして批判を浴びたこともある。その一方で、オルバン首相顧問として政権のイデオローグ的な役割を果たし、その影響力は甚大だ。言葉の背後には、「ハンガリー」という国家アイデンティティーを確立し、それを抱く人々を一つのコミュニティーに結集しようとする意図がうかがえる。
1989年の民主化運動の中にも、このようなナショナリズムの意識がすでに含まれていた可能性は拭えない。旧東欧の民主化運動は、欧米の価値観やライフスタイルを追求する動きでもあるとともに、それまで均一化を迫ってきた共産主義とソ連に対抗してそれぞれの国のアイデンティティーを取り戻す運動でもあったからだ。その動きはかつて、欧米からのグローバル化とともに歩んできたが、あるときから違う目標に向かい始めた。それが、欧米側から見ると「民主化が定着しなかった」と映るのではないか。
■EUという帝国は望まない
オルバン政権を支援するもう1人の人物に会った。経済大学として知られるブダペスト・コルビヌス大学のランチ・アンドラシュ学長(63)だ。政権が推し進める政策について、彼はその論理と目指すものを、明確に解説した。
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ランチ学長にはまず、民主化後30年の歴史を振り返ってもらった。
「30年といえば1世代です。この間、様々な問題がありました。第1に、共産主義体制をいかに解体するか、という問題です。第2に、経済をいかに再建するか。第3に、新たな環境の下でアイデンティティーをいかに形成するか、です。民主化は1989年になされたといわれますが、私の理解では今なお続いている。しかも、いつ終わるかわからない営みです」
「つまり、体制転換のプロセスはまだ続いているのです。共産主義をいかに払拭するか。それを常に気にかける世代に、オルバンも属しています。その点、西欧人は共産主義を単なるイデオロギーとしか認識していない。彼らはその政治体制の中で暮らしたことがないものですから。リベラルな人々にとって、共産主義はもはや過去のものでしょう。でも、共産主義を実際に体験したオルバンらは、そんなことを信じないのです」
「オルバンは、それが共産主義であろうがリベラルな考えであろうが、帝国の復活を決して受け入れません。今、EUは帝国に近い何か、あるいは米国のような存在になりつつあるように見えます」
――EUが国家主権を超える組織を目指しているのは確かです。
「そう、超国家組織です。誰も明言はしませんが、EU帝国になりつつあるのです。ゆっくりと、しかし着実に。オルバンは、それを望んでいません。もちろん、ハンガリーにとってEUは必要です。ハンガリーがEUを離脱したがっている、などと言う人がいますが、それは真っ赤なうそです。EUのあり方を変えたいだけなのです」
ハンガリーやポーランドなど旧東欧の権威主義政権に対して、しばしば「反EU」のレッテルが貼られる。しかし、確かに正確だとは言い難い。これらの国は欧州委員会の決定に反発したりEUの合意に従わなかったりするものの、EUの存在自体に疑問を投げかけているわけではない。その点、EU脱退を決めた英政権とは基本的に立場が異なる。
「オルバンが志向するのは、国民国家の擁護と、ハンガリーの歴史に根ざしたアイデンティティーの確立です。これは、イデオロギーではありません。インテリだけのためのものではないのです。経済、社会、文化すべての指針となるべき存在です」
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「ハンガリー民族は150年間にわたってトルコに支配されました。でも、一部の風呂の形式を除いて、トルコの痕跡は今どこにもありません。私たちは生き延びたのです」
「この100年の歴史を見る限りでも、第1次大戦後に領土や民族はばらばらになりました。すでに大変な衝撃です。続いて、ナチスがやってきて第2次世界大戦になり、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を含めて恐ろしい出来事が起きました。戦後、東西両陣営は我が国を東側に属すると決めたのです。続いて56年革命(ハンガリー動乱)が起き、ハンガリーは以後ソ連に軍事的に制圧されました。つまり、ハンガリーはその歴史の大部分を、外部に支配されて過ごしてきたのです。それは、ハンガリーのアイデンティティーに大きな影響を与えました」
■「ポピュリストと呼びたければ、呼べばいい」
「共産主義支配下で、私たちは『ハンガリーは小国だ』といった意識を植え付けられました。『おまえたちは小さいんだ、だから黙って大国についてこい。国家の尊厳など持つな』と。その意識は、民主化以降も続いたのです。オルバンはこれに異議を唱えました。人々のメンタリティーを変え、ハンガリーのライフスタイルと伝統、キリスト教に根付いた新たなアイデンティティーを築こうとしたのです。私たちにはその能力があるのだ、勇気を持て、と。その試みは成功していると思います」
「リベラルな人々は欧州的な個人主義に基づいた社会を志向します。しかし個人主義は伝統的なものすべてを破壊する恐れがあります。伝統的な考え方では、家族は男と女から構成されます。しかし、リベラルな人々は、そうではないというのです」
「オルバンとその協力者たちは、リベラルに対して、リベラル・デモクラシーに対して、戦いを挑んでいるのです。ただ、間違えていけないのは、オルバンはデモクラシー自体に異議を唱えているわけではありません。デモクラシー自体に問題はありません。大衆が物事を決めるのですから。リベラルや西欧は『オルバンがデモクラシーに挑戦している』などと批判しますが、全くの間違いです」
――オルバンはつまり、ポピュリストではないという意味でしょうか。
「全然違います。彼はプラグマティックな人物です。ただ、ポピュリストと呼びたい人がいれば、そう呼べばいいと思います」
――オルバン氏は、権威主義的だとしばしば批判されます。
「彼が決断しようとするのは確かです。リーダーシップを握るタイプですから。でも、たとえばこの国にはスズキの工場があって成功を収めていますが、その経営方法とオルバン氏の手法を比べて、違いがあるとは思えません」
――企業の経営方法に似ているという意味ですか。
「そうです。効果的なリーダーシップが必要だという点で。いい企業は権威主義的だし、そうでないとやっていけないと思います。オルバンは企業と同様に、強いハンガリーを築こうとしているのです」
■アイデンティティーは貴重だが
オルバン政権を支える両氏の意識には、ハンガリーとしてのアイデンティティーを確立しようとする意図が顕著にうかがえる。グローバル化の時代だけに、逆にそうした意識が強まっているのだろう。
国家アイデンティティー自体、決して悪いものではない。むしろ、流動化する世界を生き延びていくうえで必要な要素となり得る。問題は、それを強調することによって社会に亀裂が生まれないか。政権が規定するアイデンティティーからあぶれる人たちにとって住みにくい社会とならないか。
次に、オルバン政権に批判的な識者の話を聴いてみたい。(つづく)7,500文字
【続きを読む】順調な民主化、その先にポピュリズムが来た ハンガリー、経済の分断が生んだ危機
https://globe.asahi.com/article/13065896
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1989年の「ベルリンの壁」崩壊に伴って体制変革を迫られた旧東欧諸国の中で、ハンガリーは当初、とりわけ順調に民主化が進んだ国だと受け止められていた。冷戦時代から、名物料理の名前にちなんで「グヤーシュ社会主義」と呼ばれた経済自由化などの改革がすでに進められており、それが急激な変化を和らげたからだといわれる。大きな混乱もなく複数政党制に移行する中で、一党独裁の権力を握っていた社会主義労働者党(共産党)はハンガリー社会党と改称し、議会勢力の一翼を担った。
社会党は、共産主義時代への反発から当初支持が低迷したものの、その後改革派政権の混乱などから国内の左派政党としての地位を確立し、1994~98年と2002~10年には政権を担った。一方、これに対抗して98~02年と2010年以降政権の座に就いたのが、オルバン・ヴィクトル氏の率いる右派政党「フィデス」だ。前稿で見た通り、オルバン氏の協力者たちは「リベラル勢力」や「共産党」をしきりに批判するが、これは社会党を意識したものだと考えられる。社会党と「フィデス」はライバル関係にあり、両者の対立は現在まで続いている。
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歴史学者のフォルデシュ・ジェルジ氏(67)は社会党系のシンクタンク「政治史研究所」で最近まで所長を務めていた。右派のオルバン政権には批判的で、特に前出の首相顧問シュミット・マリア氏とは激しく対立してきたと、自ら認めている。
■一部の人が得た、西側接近の恩恵
――ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結してから、30年が経ちました。この間の歴史をどう評価しますか。
「20世紀の歴史で、ハンガリーには一つ、世界で一番のことがあります。体制がこの間少なくとも7回変わったことです。多くの場合、それは国際環境の変化に伴うもので、平和裏に進められました。(1989年の)民主化もそうでした。共産主義の政治エリートと反体制派とが協議を重ね、妥協した末に達成できたのです。平和の中で民主化できた経験は、ハンガリー社会が共有するものとなっています」
「その時みんなは、西欧型の市場経済が約束されていると思いました。でも、それは実現されませんでした。戦後のマーシャルプランのような枠組みがなかったからです」
「社会主義だったハンガリーには、企業の民営化が必要でした。それを西欧企業が買い占めたのです。その結果、ハンガリーは経済危機に見舞われました。もちろん、一方でハンガリーは西側への接近を続け、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)にも加盟したのですが、その代償は小さくありませんでした。ハンガリーの一部の人は世界経済と欧州経済に統合され、快適な地位を得ました。でも、大多数の人はその枠組みの外にいて、相変わらず公共部門に依存したのです」
■「EU以外に選択肢はない」
「つまり、ハンガリー経済は二つに分断されたのです。一つは西側に開かれ、欧州経済の一部になりました。この部分はGDPの約6割、輸出の約8割を稼ぎ出し、ドイツの自動車産業が大きな比重を占めています。もう一つはGDPの約4割を占める国内経済で、政府や国内経済に依存しており、競争力など持ち得ません」
「2002年から政権を担ったリベラル左派は、この問題に解決策を示せませんでした。この政権は、左派にもかかわらずネオリベラルな経済政策を進めたのです。その結果、右派ナショナリスト政権が誕生することになりました。その時ハンガリーはすでに、EU加盟を果たしていたために、右派政権はEUからの支援を受けることができたのです。皮肉なことに、右派政権はEUを批判しておきながら、EUの恩恵も受けています」
――オルバン政権側の話を聴くと、「私たちが反EUというのは間違い」「EUの重要性は認識している」といいます。
「今の政権がEU内にとどまろうとしているのは、間違いありません。それ以外の選択肢はないのです。ハンガリーはEUの忠実な加盟国ですよ」
■英国への人口流出
――政権は権威主義的な性格を強めているといわれますが。
「今や、独立機関がほとんどなくなりました。司法機関も政府への依存度を強めています。検事総長は右派の人物で、腐敗を捜査しようとしません。左派政権のころとは大違いです」
「この30年間でハンガリーがなしえなかったのは、欧州の標準レベルに達することです。もちろん、得たものは少なくありません。でも、大ざっぱに言うと、30年前とあまり変わっていません。社会的な問題が多すぎるのです。経済成長と科学技術のイノベーションはうまくいっていません。その結果、50万人以上のハンガリー人が国外で働くようになりました。もしひとたび国外に出ることができたら、その人は家族を呼び寄せますから、さらなる人の流出につながります」
「教育を受けた人ほど、英国などに出ようとします。今や、ロンドンはブダペストに次いで『ハンガリー人第2の都市』と言われるほどです。20万人以上のハンガリー人がロンドンとその近郊で働いているというのですから」
英国が旧東欧からの移住先となっているのは、よく知られた話だ。2004年に旧東欧諸国が一斉にEUに加盟した際、ドイツなど多くの国は入国制限策をとって移住を管理したのに対し、労働力確保に困っていた英国は無制限に受け入れた。その結果、最も多いポーランド人ほどではないにしても、ハンガリーからも多くの若者が労働者として渡英した。急増した旧東欧出身者への反発は英国、特にイングランドで根強い。2016年に英国が国民投票でEU離脱を選択した背景にも、旧東欧出身者への偏見があったといわれている。
■ポピュリスト政権が成功するカギ
――それでも、30年前に比べるとハンガリーは随分発展したように見えます。
「確かに、安定性と発展を支える力はあると思います。周囲の国々に比べても、政治的には悪くないでしょう。ブルガリアでは国内の抗争が相変わらずだし、チェコでは首相に抗議する大規模なデモが起きました」
「ただ、経済的には、発展は不十分です。ハンガリーの人口の5%ほどは裕福で、30%もまずまずですが、残る半数の人々は希望を持ち得ない状況です。そこに、現在のポピュリスト政権が成功している鍵もあります。政権は、低所得者層の擁護者として自らを売り込んでいるのです。つまり、ハンガリーの(政権を担う)富裕層と低所得者層が結託するという奇妙な状況が生まれているのです」
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一部の富裕層と貧困層が結びつく傾向は、多くのポピュリスト政権で見られる現象だ。例えば米国でも、トランプ大統領は富豪だが、その支持者たちには白人貧困層が少なくない。ハンガリーも同様の状態にあるという。背景には、貧富とは別の価値観に基づく共感――問題意識が共通するという意識や、同じコミュニティーに属しているという意識――があると考えられる。
「ハンガリーはいつも、過去のことについて議論を重ねてきました。でも、将来についての議論はほとんどなかった。今後どのような国をつくっていくか、ハンガリーには現実的な構想がないのです。次の総選挙がある2年後までに、過去のことばかり議論するのでなく、将来のことを議論できないか。そう望んでやみません」
フォルデシュ氏はそう語った.その言葉の背後には、現在の左派リベラル勢力を「共産党」と呼んで攻撃するオルバン政権とその支援者らへの反発がにじんでいるように思えた。
■アイデンティティー政治の犠牲者
人々がアイデンティティーを通じて国家や社会に帰属意識を持つこと自体は、決して悪いことではない。アイデンティティーの共有は、対立や格差を時に和らげる。その意味で、オルバン政権が目指す国家アイデンティティーの確立も、ある種の正当性を持っている。
ただ、アイデンティティー重視の政治が抱える問題は、それを抱く人と抱かない人との間で分断を生み出す恐れがあることである。多数派のアイデンティティーに属しているうちは心地よいが、そこから外れる人々は疎外される。その亀裂は過去、各地で対立や紛争、虐殺にまで結びついたことがある。
エトベシュ・ロラーンド大学(ブダペスト大学)准教授で政治国際研究所長のマイテニ・バラジュ氏(46)は、そのような分断に対して懸念を抱く。人権社会学と少数者の人権を専門とするマイテニ氏は、ハンガリーの少数民族ロマ人の権利擁護の活動にかかわっている。ロマ人は「ジプシー」と呼ばれ、ハンガリーでも差別や迫害を受けた歴史を持つ。
ハンガリーの右翼には特に、ロマ人への蔑視の意識が根強い。2008~9年には右翼によるロマ人襲撃事件が起き、6人が死亡した。
「現在の政権には大きな懸念を抱いています。ロマ人に対して、何ら効果的な社会政策を用意していません。職を失うなど問題が多いのに、彼らを社会に統合するための施策が採られていないのです。ロマ人を排除する状況はますます悪化しています。1989年の民主化前に比べても悪くなったほどです」
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「現在の政権は、民主主義と権威主義とのハイブリッド政権です。EU内でもこのような政権の例はありません。特にNGOの活動を規制する法律をつくりました。いわば、ロシア型の法制度になっているのです」
――ハンガリーは1989年、他の国に先駆けて民主化を推し進めたはずですが。
「私たちは確かに、当時民主化を先導した国でした。今や、EUの中で脱民主化を先導する国になってしまいました。民主化でせっかく立派な制度を築いたのに、社会がそれを支えられなかったのです」
「そうなった背景にあるのは、『私たちはかつて偉大だったのに、今はそのパワーを失ってしまった』と懐かしむ意識です。それはたぶん、英国がEU離脱に走った背景にある意識と似ているのではないかと思います」
――現政権は伝統的な価値観を盛り上げようとしているように見えますが。
「確かに、現政権は多数派ハンガリー人の伝統的価値観のみをもり立てようとしていますね。少数派の課題に配慮するような教育がなされていないところに、一番の問題があると思います」
■オルバン・モデルの今後
オルバン政権は今年、発足10年を迎える。この間、アイデンティティーを掲げ、国内を分断しつつ統治するという権威主義的ポピュリズムの手法は、多くの国にとって一種の政治モデルとなってきた。米トランプ政権もオルバン政権から多くを学んでいる、との分析もあるほどだ。
一方で、最近では2019年10月の首都ブダペスト市長選で野党候補が勝利を収めるなど、その力にも陰りが見られる。オルバン・モデルはしょせん一時の盛り上がりに過ぎないで終わるのか。あるいは、このまま勢いを持ち続けて歴史の一ページを切り開くか。判断を下すのは、まだ難しい。
〈了〉ハンガリーは冷戦時代、社会主義陣営の改革派として知られ、1989年の東欧革命もいち早く国境を開くなど、民主化の先頭に立ってきた。なのに今は、逆に権威主義ポピュリズムの急先鋒(きゅうせんぽう)だ。2010年に権力を握ったオルバン政権が、EUの意向を無視する形で難民を排し、憲法裁判所の権限を縮小し、教育の規制を強化する。
オルバン・ヴィクトル首相自身がかつて、民主化の闘士として改革派の若手グループを率いた経験を持つ。ポピュリスト政治家として名を売る今の姿は、180度の変節に見える。
まず、その政権を支える立場の論理を探ってみよう。
ハンガリー
旧東欧の内陸国で、面積は日本の約4分の1、人口は1千万人足らず。首都はブダペスト。印欧語族ではなくウラル語族に属するハンガリー語を話すハンガリー人が人口の9割近くを占める。
旧東欧の内陸国で、面積は日本の約4分の1、人口は1千万人足らず。首都はブダペスト。印欧語族ではなくウラル語族に属するハンガリー語を話すハンガリー人が人口の9割近くを占める。
■オルバン首相の最側近、「恐怖の館」館長
ハンガリーは戦前ナチス・ドイツの、戦後はソ連の事実上の支配下に置かれ、秘密警察の監視の下で不当逮捕や拷問、虐殺が日常化した。その実態を展示したのが、ブダペスト中心部にある博物館「恐怖の館」。建物は共産主義時代の秘密警察本部跡で、地下に設けられていた牢獄も公開されている。学校の社会見学の定番となっているようで、私が訪れた2019年11月、館内は中高生らしき少年少女であふれていた。
ここのシュミット・マリア館長(66)がインタビューに応じた。シュミット館長はホロコースト研究で知られる歴史学者であると同時に、オルバン首相の側近中の側近として政権に深く関わる。10月には米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、政権が目指すものを「コミュニティー、キリスト教、連帯に基づいた非リベラルな社会だ」と説明していた。
//写真//
――なぜそのような社会が必要だと考えるのでしょうか。
「リベラルな社会が国から統一性を奪い、いくつかの異なるアイデンティティー集団に細分化してしまったからです。でも、社会にとって重要なのは、国家に基づいた一つのコミュニティーに結集することです。そうしてこそ、連帯感を持つコミュニティーを築くことができます」
■「ハンガリーは均一国家」
――このグローバル化の時代に、そんなことが可能でしょうか。
「まさにそういった時代だからこそ、つまり人それぞれ違いがあるからこそ、私たちを結びつけ、連帯意識をつくるものが、国家を差し置いてはないのです。国民国家が重要な理由はそこにあります。グローバル化に直面するからこそ、地域のアイデンティティーもまた強まるのです。ハンガリーに限りません。スペインでも、英国でも、イタリアでも同じです」
――その場合、少数民族への対応が難しくなりませんか。たとえばロマ人とか。
「私たちは彼らを少数民族とは見なしません。みんなハンガリー人です。私たちのような市民と同様に」
「ハンガリーは均質の国民国家です。第1次大戦の戦勝国がそう決めたのです。その前、私たちは確かに、ハンガリー人がようやく半数を超える程度の多国籍多民族国家でしたが」
ハンガリーを中心とする旧東欧一帯には第1次大戦前、ハプスブルク家が支配するオーストリア・ハンガリー帝国が広がり、その中で様々な民族が共存していた。しかし、1918年に帝国が崩壊した後、民族移動や住民交換、さらに第2次大戦での敗北を経て、ハンガリーの領土は縮小し、同時にハンガリー人の割合が増えた。現在のハンガリーでは、1000万弱の人口の9割近くをハンガリー人が占めるに至っている。
一方で、ハンガリーには依然として多くの少数民族が暮らす。ジプシーと呼ばれ差別を受けてきたロマ人もその一つで、数十万を占めるという。後述するように、現在の政府には多数派ハンガリー人を優先する意識が強く、少数派を軽視しているのでは、との懸念を抱く人々もいる。
ロマ人
欧州各地で15世紀ごろから、移動生活をする人びとの集団が目立ち始めた。行商や鍛冶(かじ)、占いなど定住民があまりしない仕事にしばしば従事。読み書きができない場合が少なくなく、しばしば差別や迫害、追放の対象となってきた。エジプトから来たと信じられ、エジプト人がなまって英語で「ジプシー」と呼ばれた。その後インド起源説が有力になったが、現在は否定する考えも出されている。印欧語系のロマニ語を話す人が多いことから、「ロマ人」と言い換えられたが、ほかの言語や居住地の主要言語を話す人もいる。住む地域によって文化や習慣の違いが大きく、一つの民族ととらえるべきかどうかにも議論がある。ハンガリーでは人口の3%あまりを占める。
欧州各地で15世紀ごろから、移動生活をする人びとの集団が目立ち始めた。行商や鍛冶(かじ)、占いなど定住民があまりしない仕事にしばしば従事。読み書きができない場合が少なくなく、しばしば差別や迫害、追放の対象となってきた。エジプトから来たと信じられ、エジプト人がなまって英語で「ジプシー」と呼ばれた。その後インド起源説が有力になったが、現在は否定する考えも出されている。印欧語系のロマニ語を話す人が多いことから、「ロマ人」と言い換えられたが、ほかの言語や居住地の主要言語を話す人もいる。住む地域によって文化や習慣の違いが大きく、一つの民族ととらえるべきかどうかにも議論がある。ハンガリーでは人口の3%あまりを占める。
■「コピーをやめ自らの道を」
――「ベルリンの壁」が崩壊し、さらに冷戦が終結してから30年になります。この30年のハンガリーの変化をどう見ていますか。
「ベルリンの壁は崩壊したのでなく、私たちが倒したのです。共産主義を打倒したのです。それはともかく、これまで大きな変化がありました。当初、私たちは米国化されました。国家と市場を再建するにあたって、米国のモデルに従ったのです。私たちは確かに、多くの新たなことをそこで学びました」
「続いて2008年に世界金融危機が起き、私たちは大きな苦汁をなめました。そこで、外国をコピーするだけではだめだ、自ら歩まなければ、と悟ったのです」
「私たちはコピーをやめ、自分たちならではの道を見つけようとしました。2010年以降オルバン政権が続けてきたのはその営みです。それが、有権者の3分の2の支持を得て、3期続けて政権を担当することにつながりました」
■「西欧はマイノリティー優先」
――ただ、2011年に憲法を改正した際には、多くの批判が寄せられました。報道や表現の自由が抑圧されている、との声もあります。
「それはうそです。ハンガリーには報道や言論の自由があります。その範囲は広く、他の国が模範とするぐらいです」
――今後ハンガリーはどうなりますか。
「西欧のようになりたいとは思いません。性的マイノリティーや少数民族に関する問題がすべてに優先されるのも、西欧ならではの現象です」
シュミット館長の歴史学者としての評価は、議論を呼ぶところである。そのホロコースト研究は国外にも広く知られる一方、被害を過小評価するものだとして批判を浴びたこともある。その一方で、オルバン首相顧問として政権のイデオローグ的な役割を果たし、その影響力は甚大だ。言葉の背後には、「ハンガリー」という国家アイデンティティーを確立し、それを抱く人々を一つのコミュニティーに結集しようとする意図がうかがえる。
1989年の民主化運動の中にも、このようなナショナリズムの意識がすでに含まれていた可能性は拭えない。旧東欧の民主化運動は、欧米の価値観やライフスタイルを追求する動きでもあるとともに、それまで均一化を迫ってきた共産主義とソ連に対抗してそれぞれの国のアイデンティティーを取り戻す運動でもあったからだ。その動きはかつて、欧米からのグローバル化とともに歩んできたが、あるときから違う目標に向かい始めた。それが、欧米側から見ると「民主化が定着しなかった」と映るのではないか。
■EUという帝国は望まない
オルバン政権を支援するもう1人の人物に会った。経済大学として知られるブダペスト・コルビヌス大学のランチ・アンドラシュ学長(63)だ。政権が推し進める政策について、彼はその論理と目指すものを、明確に解説した。
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ランチ学長にはまず、民主化後30年の歴史を振り返ってもらった。
「30年といえば1世代です。この間、様々な問題がありました。第1に、共産主義体制をいかに解体するか、という問題です。第2に、経済をいかに再建するか。第3に、新たな環境の下でアイデンティティーをいかに形成するか、です。民主化は1989年になされたといわれますが、私の理解では今なお続いている。しかも、いつ終わるかわからない営みです」
「つまり、体制転換のプロセスはまだ続いているのです。共産主義をいかに払拭するか。それを常に気にかける世代に、オルバンも属しています。その点、西欧人は共産主義を単なるイデオロギーとしか認識していない。彼らはその政治体制の中で暮らしたことがないものですから。リベラルな人々にとって、共産主義はもはや過去のものでしょう。でも、共産主義を実際に体験したオルバンらは、そんなことを信じないのです」
「オルバンは、それが共産主義であろうがリベラルな考えであろうが、帝国の復活を決して受け入れません。今、EUは帝国に近い何か、あるいは米国のような存在になりつつあるように見えます」
――EUが国家主権を超える組織を目指しているのは確かです。
「そう、超国家組織です。誰も明言はしませんが、EU帝国になりつつあるのです。ゆっくりと、しかし着実に。オルバンは、それを望んでいません。もちろん、ハンガリーにとってEUは必要です。ハンガリーがEUを離脱したがっている、などと言う人がいますが、それは真っ赤なうそです。EUのあり方を変えたいだけなのです」
ハンガリーやポーランドなど旧東欧の権威主義政権に対して、しばしば「反EU」のレッテルが貼られる。しかし、確かに正確だとは言い難い。これらの国は欧州委員会の決定に反発したりEUの合意に従わなかったりするものの、EUの存在自体に疑問を投げかけているわけではない。その点、EU脱退を決めた英政権とは基本的に立場が異なる。
「オルバンが志向するのは、国民国家の擁護と、ハンガリーの歴史に根ざしたアイデンティティーの確立です。これは、イデオロギーではありません。インテリだけのためのものではないのです。経済、社会、文化すべての指針となるべき存在です」
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「ハンガリー民族は150年間にわたってトルコに支配されました。でも、一部の風呂の形式を除いて、トルコの痕跡は今どこにもありません。私たちは生き延びたのです」
「この100年の歴史を見る限りでも、第1次大戦後に領土や民族はばらばらになりました。すでに大変な衝撃です。続いて、ナチスがやってきて第2次世界大戦になり、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を含めて恐ろしい出来事が起きました。戦後、東西両陣営は我が国を東側に属すると決めたのです。続いて56年革命(ハンガリー動乱)が起き、ハンガリーは以後ソ連に軍事的に制圧されました。つまり、ハンガリーはその歴史の大部分を、外部に支配されて過ごしてきたのです。それは、ハンガリーのアイデンティティーに大きな影響を与えました」
ハンガリー動乱
1956年にハンガリーで起きたソ連支配に対する蜂起。ソ連軍の介入によって鎮圧され、多数が犠牲になったほか、多くの亡命者を出した。
1956年にハンガリーで起きたソ連支配に対する蜂起。ソ連軍の介入によって鎮圧され、多数が犠牲になったほか、多くの亡命者を出した。
■「ポピュリストと呼びたければ、呼べばいい」
「共産主義支配下で、私たちは『ハンガリーは小国だ』といった意識を植え付けられました。『おまえたちは小さいんだ、だから黙って大国についてこい。国家の尊厳など持つな』と。その意識は、民主化以降も続いたのです。オルバンはこれに異議を唱えました。人々のメンタリティーを変え、ハンガリーのライフスタイルと伝統、キリスト教に根付いた新たなアイデンティティーを築こうとしたのです。私たちにはその能力があるのだ、勇気を持て、と。その試みは成功していると思います」
「リベラルな人々は欧州的な個人主義に基づいた社会を志向します。しかし個人主義は伝統的なものすべてを破壊する恐れがあります。伝統的な考え方では、家族は男と女から構成されます。しかし、リベラルな人々は、そうではないというのです」
「オルバンとその協力者たちは、リベラルに対して、リベラル・デモクラシーに対して、戦いを挑んでいるのです。ただ、間違えていけないのは、オルバンはデモクラシー自体に異議を唱えているわけではありません。デモクラシー自体に問題はありません。大衆が物事を決めるのですから。リベラルや西欧は『オルバンがデモクラシーに挑戦している』などと批判しますが、全くの間違いです」
――オルバンはつまり、ポピュリストではないという意味でしょうか。
「全然違います。彼はプラグマティックな人物です。ただ、ポピュリストと呼びたい人がいれば、そう呼べばいいと思います」
――オルバン氏は、権威主義的だとしばしば批判されます。
「彼が決断しようとするのは確かです。リーダーシップを握るタイプですから。でも、たとえばこの国にはスズキの工場があって成功を収めていますが、その経営方法とオルバン氏の手法を比べて、違いがあるとは思えません」
――企業の経営方法に似ているという意味ですか。
「そうです。効果的なリーダーシップが必要だという点で。いい企業は権威主義的だし、そうでないとやっていけないと思います。オルバンは企業と同様に、強いハンガリーを築こうとしているのです」
■アイデンティティーは貴重だが
オルバン政権を支える両氏の意識には、ハンガリーとしてのアイデンティティーを確立しようとする意図が顕著にうかがえる。グローバル化の時代だけに、逆にそうした意識が強まっているのだろう。
国家アイデンティティー自体、決して悪いものではない。むしろ、流動化する世界を生き延びていくうえで必要な要素となり得る。問題は、それを強調することによって社会に亀裂が生まれないか。政権が規定するアイデンティティーからあぶれる人たちにとって住みにくい社会とならないか。
次に、オルバン政権に批判的な識者の話を聴いてみたい。(つづく)7,500文字
【続きを読む】順調な民主化、その先にポピュリズムが来た ハンガリー、経済の分断が生んだ危機
https://globe.asahi.com/article/13065896
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【前の記事】世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている
1989年の「ベルリンの壁」崩壊に伴って体制変革を迫られた旧東欧諸国の中で、ハンガリーは当初、とりわけ順調に民主化が進んだ国だと受け止められていた。冷戦時代から、名物料理の名前にちなんで「グヤーシュ社会主義」と呼ばれた経済自由化などの改革がすでに進められており、それが急激な変化を和らげたからだといわれる。大きな混乱もなく複数政党制に移行する中で、一党独裁の権力を握っていた社会主義労働者党(共産党)はハンガリー社会党と改称し、議会勢力の一翼を担った。
社会党は、共産主義時代への反発から当初支持が低迷したものの、その後改革派政権の混乱などから国内の左派政党としての地位を確立し、1994~98年と2002~10年には政権を担った。一方、これに対抗して98~02年と2010年以降政権の座に就いたのが、オルバン・ヴィクトル氏の率いる右派政党「フィデス」だ。前稿で見た通り、オルバン氏の協力者たちは「リベラル勢力」や「共産党」をしきりに批判するが、これは社会党を意識したものだと考えられる。社会党と「フィデス」はライバル関係にあり、両者の対立は現在まで続いている。
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歴史学者のフォルデシュ・ジェルジ氏(67)は社会党系のシンクタンク「政治史研究所」で最近まで所長を務めていた。右派のオルバン政権には批判的で、特に前出の首相顧問シュミット・マリア氏とは激しく対立してきたと、自ら認めている。
■一部の人が得た、西側接近の恩恵
――ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結してから、30年が経ちました。この間の歴史をどう評価しますか。
「20世紀の歴史で、ハンガリーには一つ、世界で一番のことがあります。体制がこの間少なくとも7回変わったことです。多くの場合、それは国際環境の変化に伴うもので、平和裏に進められました。(1989年の)民主化もそうでした。共産主義の政治エリートと反体制派とが協議を重ね、妥協した末に達成できたのです。平和の中で民主化できた経験は、ハンガリー社会が共有するものとなっています」
「その時みんなは、西欧型の市場経済が約束されていると思いました。でも、それは実現されませんでした。戦後のマーシャルプランのような枠組みがなかったからです」
「社会主義だったハンガリーには、企業の民営化が必要でした。それを西欧企業が買い占めたのです。その結果、ハンガリーは経済危機に見舞われました。もちろん、一方でハンガリーは西側への接近を続け、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)にも加盟したのですが、その代償は小さくありませんでした。ハンガリーの一部の人は世界経済と欧州経済に統合され、快適な地位を得ました。でも、大多数の人はその枠組みの外にいて、相変わらず公共部門に依存したのです」
■「EU以外に選択肢はない」
「つまり、ハンガリー経済は二つに分断されたのです。一つは西側に開かれ、欧州経済の一部になりました。この部分はGDPの約6割、輸出の約8割を稼ぎ出し、ドイツの自動車産業が大きな比重を占めています。もう一つはGDPの約4割を占める国内経済で、政府や国内経済に依存しており、競争力など持ち得ません」
「2002年から政権を担ったリベラル左派は、この問題に解決策を示せませんでした。この政権は、左派にもかかわらずネオリベラルな経済政策を進めたのです。その結果、右派ナショナリスト政権が誕生することになりました。その時ハンガリーはすでに、EU加盟を果たしていたために、右派政権はEUからの支援を受けることができたのです。皮肉なことに、右派政権はEUを批判しておきながら、EUの恩恵も受けています」
――オルバン政権側の話を聴くと、「私たちが反EUというのは間違い」「EUの重要性は認識している」といいます。
「今の政権がEU内にとどまろうとしているのは、間違いありません。それ以外の選択肢はないのです。ハンガリーはEUの忠実な加盟国ですよ」
■英国への人口流出
――政権は権威主義的な性格を強めているといわれますが。
「今や、独立機関がほとんどなくなりました。司法機関も政府への依存度を強めています。検事総長は右派の人物で、腐敗を捜査しようとしません。左派政権のころとは大違いです」
「この30年間でハンガリーがなしえなかったのは、欧州の標準レベルに達することです。もちろん、得たものは少なくありません。でも、大ざっぱに言うと、30年前とあまり変わっていません。社会的な問題が多すぎるのです。経済成長と科学技術のイノベーションはうまくいっていません。その結果、50万人以上のハンガリー人が国外で働くようになりました。もしひとたび国外に出ることができたら、その人は家族を呼び寄せますから、さらなる人の流出につながります」
「教育を受けた人ほど、英国などに出ようとします。今や、ロンドンはブダペストに次いで『ハンガリー人第2の都市』と言われるほどです。20万人以上のハンガリー人がロンドンとその近郊で働いているというのですから」
英国が旧東欧からの移住先となっているのは、よく知られた話だ。2004年に旧東欧諸国が一斉にEUに加盟した際、ドイツなど多くの国は入国制限策をとって移住を管理したのに対し、労働力確保に困っていた英国は無制限に受け入れた。その結果、最も多いポーランド人ほどではないにしても、ハンガリーからも多くの若者が労働者として渡英した。急増した旧東欧出身者への反発は英国、特にイングランドで根強い。2016年に英国が国民投票でEU離脱を選択した背景にも、旧東欧出身者への偏見があったといわれている。
EUの東方拡大と英国への移動
EUの法体系によると、加盟国の国民はEU域内を自由に移動できるだけでなく、どこでも仕事を持ち、どこでも開業することが認められる。04年のEU第5次拡大、いわゆる「東方拡大」でハンガリーをはじめとする旧東欧諸国やバルト3国など10カ国が加盟した際、労働市場の混乱などを避けるため、新加盟国からの「移民」を最長7年間にわたって制限することが旧加盟国に認められた。しかし、好景気に沸いていた英国はこの措置を執らず、その結果労働者が旧東欧から英国に殺到した。EU「東方拡大」に伴う欧州内の人の移動は最終的に300万人に達すると推測されるが、その3分の1以上が英国にやってきた。
EUの法体系によると、加盟国の国民はEU域内を自由に移動できるだけでなく、どこでも仕事を持ち、どこでも開業することが認められる。04年のEU第5次拡大、いわゆる「東方拡大」でハンガリーをはじめとする旧東欧諸国やバルト3国など10カ国が加盟した際、労働市場の混乱などを避けるため、新加盟国からの「移民」を最長7年間にわたって制限することが旧加盟国に認められた。しかし、好景気に沸いていた英国はこの措置を執らず、その結果労働者が旧東欧から英国に殺到した。EU「東方拡大」に伴う欧州内の人の移動は最終的に300万人に達すると推測されるが、その3分の1以上が英国にやってきた。
■ポピュリスト政権が成功するカギ
――それでも、30年前に比べるとハンガリーは随分発展したように見えます。
「確かに、安定性と発展を支える力はあると思います。周囲の国々に比べても、政治的には悪くないでしょう。ブルガリアでは国内の抗争が相変わらずだし、チェコでは首相に抗議する大規模なデモが起きました」
「ただ、経済的には、発展は不十分です。ハンガリーの人口の5%ほどは裕福で、30%もまずまずですが、残る半数の人々は希望を持ち得ない状況です。そこに、現在のポピュリスト政権が成功している鍵もあります。政権は、低所得者層の擁護者として自らを売り込んでいるのです。つまり、ハンガリーの(政権を担う)富裕層と低所得者層が結託するという奇妙な状況が生まれているのです」
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一部の富裕層と貧困層が結びつく傾向は、多くのポピュリスト政権で見られる現象だ。例えば米国でも、トランプ大統領は富豪だが、その支持者たちには白人貧困層が少なくない。ハンガリーも同様の状態にあるという。背景には、貧富とは別の価値観に基づく共感――問題意識が共通するという意識や、同じコミュニティーに属しているという意識――があると考えられる。
「ハンガリーはいつも、過去のことについて議論を重ねてきました。でも、将来についての議論はほとんどなかった。今後どのような国をつくっていくか、ハンガリーには現実的な構想がないのです。次の総選挙がある2年後までに、過去のことばかり議論するのでなく、将来のことを議論できないか。そう望んでやみません」
フォルデシュ氏はそう語った.その言葉の背後には、現在の左派リベラル勢力を「共産党」と呼んで攻撃するオルバン政権とその支援者らへの反発がにじんでいるように思えた。
■アイデンティティー政治の犠牲者
人々がアイデンティティーを通じて国家や社会に帰属意識を持つこと自体は、決して悪いことではない。アイデンティティーの共有は、対立や格差を時に和らげる。その意味で、オルバン政権が目指す国家アイデンティティーの確立も、ある種の正当性を持っている。
ただ、アイデンティティー重視の政治が抱える問題は、それを抱く人と抱かない人との間で分断を生み出す恐れがあることである。多数派のアイデンティティーに属しているうちは心地よいが、そこから外れる人々は疎外される。その亀裂は過去、各地で対立や紛争、虐殺にまで結びついたことがある。
エトベシュ・ロラーンド大学(ブダペスト大学)准教授で政治国際研究所長のマイテニ・バラジュ氏(46)は、そのような分断に対して懸念を抱く。人権社会学と少数者の人権を専門とするマイテニ氏は、ハンガリーの少数民族ロマ人の権利擁護の活動にかかわっている。ロマ人は「ジプシー」と呼ばれ、ハンガリーでも差別や迫害を受けた歴史を持つ。
ハンガリーの右翼には特に、ロマ人への蔑視の意識が根強い。2008~9年には右翼によるロマ人襲撃事件が起き、6人が死亡した。
「現在の政権には大きな懸念を抱いています。ロマ人に対して、何ら効果的な社会政策を用意していません。職を失うなど問題が多いのに、彼らを社会に統合するための施策が採られていないのです。ロマ人を排除する状況はますます悪化しています。1989年の民主化前に比べても悪くなったほどです」
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「現在の政権は、民主主義と権威主義とのハイブリッド政権です。EU内でもこのような政権の例はありません。特にNGOの活動を規制する法律をつくりました。いわば、ロシア型の法制度になっているのです」
――ハンガリーは1989年、他の国に先駆けて民主化を推し進めたはずですが。
「私たちは確かに、当時民主化を先導した国でした。今や、EUの中で脱民主化を先導する国になってしまいました。民主化でせっかく立派な制度を築いたのに、社会がそれを支えられなかったのです」
「そうなった背景にあるのは、『私たちはかつて偉大だったのに、今はそのパワーを失ってしまった』と懐かしむ意識です。それはたぶん、英国がEU離脱に走った背景にある意識と似ているのではないかと思います」
――現政権は伝統的な価値観を盛り上げようとしているように見えますが。
「確かに、現政権は多数派ハンガリー人の伝統的価値観のみをもり立てようとしていますね。少数派の課題に配慮するような教育がなされていないところに、一番の問題があると思います」
■オルバン・モデルの今後
オルバン政権は今年、発足10年を迎える。この間、アイデンティティーを掲げ、国内を分断しつつ統治するという権威主義的ポピュリズムの手法は、多くの国にとって一種の政治モデルとなってきた。米トランプ政権もオルバン政権から多くを学んでいる、との分析もあるほどだ。
一方で、最近では2019年10月の首都ブダペスト市長選で野党候補が勝利を収めるなど、その力にも陰りが見られる。オルバン・モデルはしょせん一時の盛り上がりに過ぎないで終わるのか。あるいは、このまま勢いを持ち続けて歴史の一ページを切り開くか。判断を下すのは、まだ難しい。
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by龍隆2019.12.24 龍隆2020.1.8 龍隆2020.1.24
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