◆SORAの小さな写真館◆
アタシが切り取る小さな世界 アタシが見た一瞬
あの頃の未来 アタシの記憶の断片をキミに
          
 












「足りる」を知らなければ欲望にはきりがなく
何かを求めることは自分自身を苦しめることでしかない。

「一度できたポーズは、もう手放していいのです。」

ヨガの先生はこう言った。
これまでできなかったポーズができるのはうれしいことに違いないが、
その反面、危険な一面も持っていて、
できたことに対する喜びと、次に挑戦したとき
できなかったらどうしようという不安がないまぜになってしまうのだ。
こうしたことは、日常生活でも起こっていて、
たとえば、仕事で好成績を収めたときや、恋愛でいい関係になったときなど、
今日はよかったけれど明日はダメかもしれない、
もう二度と幸運は手に入らないかもしれないと、じわじわ不安が押し寄せる。
いったん手に入れたものにしがみつけば、
同時に、それを失うことの恐怖もやってくるのだ。

だが、よそ見をせず、いま、まさにこの瞬間、手にあるものだけに目をやれば
身に起こるすべてのことが移り変わりのプロセスにあることを知るはずだ。
トラブルに巻き込まれている間は、悲しみや痛みにしか目がいかないが、
良いことも悪いことも、永遠に続くことはない。
それは、まさしくヨガの呼吸と同じで、
息をすって受け入れて、息を吐いて手放して、
こんな一瞬一瞬の積み重ねがヨガになり、生活になり、人生になるのだと考えたら
せっかく手にしたものを失うかもしれないという恐怖が入り込む余地はどこにもなく、
むしろ、かけがえのないこの瞬間がなんとも愛おしく思えてくる。

なにかを求めて手を伸ばすよりも、「いま」「ここ」に意識をつなぎとめ、
自分の内側へ目を向ければ、微細ながらも確実に起こっている変化を丁寧に
すくいあげることができるはずだ。
それぞれの”山”に到達することがヨガなのではない。
山頂へ続く一本一本の道筋がヨガなのだ。
足は視線の先に進むもの、そう思えば、いずれ、足が山頂へいざなってくれるということが
ココロ強く思えるはずだ。 


あるフィットネス雑誌の文章を何度も読み返した。



ジム通いをはじめて3か月と少し。
このスタジオレッスンはやめようこれは好き・・私にはそういうものはなく
どんなレッスンにも参加する。ようやくほぼ全てのレッスンに参加した。
その中でも週に一回は必ず参加するヨガは、私にとっては得意な分野ではなく
むしろ苦手な部類に入る。でも、苦手であっても嫌いではない。

スピーディーな動きのエアロやステップなどに比べ
スローな動きやポーズを繰り返すヨガは、誤魔化しがきかない。
ひとつひとつを丁寧にこなさなくてはいけない。
あらゆる場面で自分がぶれているのがよくわかる。
スローな動きは、スピーディーな動きより神経を集中させなくてはいけない。
そういうひとつひとつが、私にとっては難しい。
だけど苦手でも楽しいのだ。

苦手でもヨガのレッスンを受け続けているのは、
多分、人と自分を比べない 比べたとしても悲観しない。
そういう性格が功を奏しているのだと思う。
自分自身と向き合いそれを楽しむ。
これは、ヨガだけではなく他のレッスンでも同じだ。
できない自分を恥ずかしがらない。
できない自分を認める。 
自分にこなせなくてもこなせても目の前のことにひたすら熱中する。
ある日、突然、昨日まで全くできなかったことができるようになる。
そのことにひとりコッソリ喜びを噛みしめる(笑)
自分自身とひたすら向き合い熱中することが、こんなに楽しいものだと
あらためて最近感じる。
他人と自分を比較し、恥ずかしがったり悲観してしまう人は
何のレッスンでもすぐに顔を出さなくなってしまう。
特に若い人・・・。
そんな人達を見かけると

「自分は自分と開き直って楽しまなくちゃ損してしまうよ。あなたはあなたでいいんだよ。」

そう言ってあげたくなる。




普段の生活でも

息を吸って受け入れて、
息を吐いて手放して・・・

目の前にある一瞬一瞬の積み重ねを大切に
移り変わりのプロセスを楽しめるというか(楽しくないことの方が多いかもしれないけれど)
色んな瞬間を噛みしめられる
かけがのないこの瞬間を愛おしく思える自分でありたいなぁ。
そして、ある時気がついたら
あれ?私、ナイスバディーやん!
あれれ?私すごく幸せやん!
あれ?私すごく頑張ってこれたやん!
あれ?私すごく素敵な人生やったやん!

な~んて思えれば最高だなぁ。










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素敵な恋の物語がはじまるといいね。





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昔、私がやっていたコミュニティサイトが閉鎖になった時
サイト閉鎖と共に交流していた友とあっという間に会えなくなってしまった。

でもね、また会いたいなと願っていた人とは不思議と
違う場所で再会した。
きっと、願えば叶うんだと思った。

「縁」とはそういうものなのかもしれない。


本当に縁がある人とは、不思議な力でお互いを引き合っていて
きっと繋がり続けるんだろう・・・。






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あなたが虚しく過ごしたきょうという日は、
きのう死んでいったものが、あれほど生きたいと願ったあした

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韓国の趙昌仁さんの『カシコギ』という、
白血病の息子と父親の親子愛を描いた小説の中の一節。


自分にあたえられた今日という日を大切に過ごそう。
生きたいと願ったキミのぶんまで・・・







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